◎ジェイド・タブレット-外典-12-5
◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-5
◎世界が逆転
12 吊された男は、個人と世界が逆転して世界が主で個人が従、換言すれば、世界樹で言えば、根が世界で枝葉が個人。
世界が逆転して見えるのは、個なる自分が世界全体、宇宙全体となった時だが、上下逆転と語るのは、逆立ちしていなかった時分の認識が残っているからであって、世界観が倒立した驚きが残っている時点とみる。
世界観の逆転には、一時的な場合と半永久な場合があって、半永久の方は「20世界」と「0愚者」があるので、ここは見神、見仏の方なのだろうと思う。見神見仏した人間を菩薩と言い、菩薩には52ランクが設けられており、あの空海ですら52ランク中の上から10番目、下から43番目の発光ランクとされる。見仏して、仏を知ったとしてもまだまだ上がある。同様に世界が倒立して見えたとしてもまだまだ求むべき目標は先なのだ。
世界には吊るされた男があふれている。
1.【ペテロ】
ペテロは、イエスの使徒の一人にして最初のローマ教皇。彼が十字架にかかる時、逆さ磔になったのは、イエスを憚って逆さにしたなどと言われるが、聖書外典ペテロ行伝では、この姿を『初めて誕生した人間の模写』だと表現し、十字架の縦木と横木の交わった場所に打たれた釘こそ回心・悔い改め(悟り)だとしている。
逆さはりつけで、右のものは左になり、左のものは右になり、上のものは下になり、下のものは上になる。これは、ヘルメス・トリスメギストスのエメラルド・タブレットを連想させる言い回し。
左右上下逆転の姿は、逆転という死からの再生を経て、それまで有用とされたものが無用となり、それまで無用とされていたものが有用となること。
2.【吊るされた男の死】
『奥義を完全に伝授された男は、その工程すべての知識を持っており、こうした秘儀を自分のものにするからには、死の報いがあることを知っている。
(タロットの大家から、沈黙の義務を象徴すると言われている、「吊るされた男」にかんするエリファス・レヴィの言葉)』
(世界予言全書/トニー・アラン/原書房P154から引用)
この文からすると、吊るされた男は、クンダリーニ・ヨーガの工程すべての知識を持っている男であって、死を経て、体験とは言えない体験をする。
その体験の後、9割方の人は死によってその人生を終わるが、まれに復活する者がいる。復活する者の中には、言葉を持たない者もおり、彼らからは精妙なバイブレーションは伝わるが、言葉による伝授はない。ただし復活した者の中には、言葉でもって大いに語る者もいる。その一人が出口王仁三郎である。
3.【北欧神話オーディンの箴言】
箴言138.
わしは、風の吹きさらす樹に、九日間の間、槍に傷つき、オーディン、つまりわし自身に我が身を犠牲に捧げて、誰もどんな根から生えているか知らぬ樹に吊り下がったことを覚えている。
九は数の窮極であり、「九日間」とは、長さを計れないほど長い時間または時間を超えた世界。
「槍に傷つき」とは、クンダリーニというエネルギー・コードに刺し貫かれていること。
「我が身を犠牲に捧げて」というのは、自分というものがない第六身体アートマンのレベルに至っていること。
「誰もどんな根から生えているか知らぬ樹」とは、根っこが絶対者(神、中心太陽、オーディン)のこと。絶対者という根っこからあらゆる人間、動物、生物というエネルギー・コードの枝葉が伸びている。逆に人間の側から見れば、根っこに向かって上昇していくように見える。
この箴言は、クンダリーニ・ヨーガ型の冥想体験で、絶対者(神、中心太陽、オーディン)に到達して、その後絶対者の側から、クンダリーニのエネルギー・コードにぶら下がった人間の姿を「世界樹に吊り下がっている人間」の姿と見たものであることがわかる。
さて12 吊された男と13死神はペア。男が吊るされるためには、男は死なねばならないから、この二つはペアになっている。