アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

愚者と世界

2024-05-18 16:48:25 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-12-1

◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-1

◎ニルヴァーナから迷いまで

 

世の中には、第七身体ニルヴァーナから第一身体肉体・物質レベルまでを網羅しているシンボル体系は意外に多くないものだ。七つの身体論、禅の十牛図などはその例だが、タロット・カードもその一種である。系譜としては、西洋錬金術あるいはユダヤ教神秘主義だが、その正統性は端倪すべからざるものがある。

タロット・カードは、西洋の悟りへの22段のパスであって、いわば禅の十牛図のようなものである。

さて、今日の運勢占いとして大アルカナ22種のうち1枚を引く人もいるだろうと思う。最近のタロットの絵柄はこなれてきて、伝統的なタロットのタロットである所以の特徴をも壊してしまった破格の図柄のものも多数出てくるようになった。その一方で、カモワン・タロットを丁寧に復刻したホドロフスキーのような伝統重視のタロットもある。

禅の十牛図は、十が確定ではなく、四牛図もあれば、六牛図もある。チベット密教には十五段の牧象図もあるからタロットが二十二人図であっても一向に構うまい。

悟りとは、第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナのこと。物事の順序には、迷い(マーヤ)を一番に置くタイプと、悟り(ニルヴァーナ)を一番に置く逆順のスタイルがある。

そこでまず、タロットの何がニルヴァーナであって、何がアートマンなのかということになる。0番愚者がニルヴァーナであって、21番世界がアートマン。旅の始めは迷いの1番魔術師。

 

それとあまり意識されていないかもしれないが、ホドロフスキーは、左右対称のシンメトリーは悪魔的であって、左右非対称が神的であることを発見したと述べている。彼は日本の御所とパリのノートルダム大聖堂でそのことを確認した(タロットの宇宙/国書刊行会P32)。これがタロット・カードが1ステップ1枚で直線として構成されている理由である。

 

※参考:大アルカナ22枚の順序(カモワン版)

0 愚者(道化師)

1 魔術師

2 女教皇(女司祭長)

3 女帝

4 皇帝

5 教皇(法王、司祭長)

6 恋人達(恋愛、恋人)

7 戦車(征服者)

8 正義(裁判の女神)

9 隠者

10 運命の輪(運命、運命の車)

11力(剛毅)

12 吊された男

13 死神

14 節制

15 悪魔

16 塔(神の家)

17 星

18 月

19 太陽

20 審判(永劫)

21 世界(宇宙)

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イグドラシル

2024-05-18 16:30:08 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-11-3

◎世界樹-1

◎エッダの宇宙樹

 

世界樹のシンボルは世界中に見られる。有と無という事で言えば、世界樹は有の世界であって、無の世界ニルヴァーナではない。ただし世界樹の説明の中に、その位置が世界の根源や世界の中心だと示したり、泉などニルヴァーナを暗喩するものが置かれている場合もある。

つまり世界樹はどちらかと言えば、人が神仏に大逆転することを主眼として置かれているのである。

 

さて北欧神話エッダの宇宙樹イグドラシルは巨大なトネリコで、あらゆる樹木の間で最大最良のもので、世界の軸であり支柱である。

その枝は、全世界をことごとく蓋い、天に達している。三本の根は神々の世界アースガルズと、氷の巨人の世界ヨトゥンヘイムと、死者の世界ニヴルヘイムの3つの世界に伸びている。

各世界の根元には泉があり、死者の世界ニヴルヘイムの泉は、フェルゲルミルと呼ばれる。この泉は、大地を潤すすべての大河の源泉であり、大地を人間の住める場所にしている。地母神は死の世界に発する。

さらにフェルゲルミルの泉には有翼の巨大な蛇ニーズホッグが棲み、根をかじっている。有翼の巨大な蛇ニーズホッグは、言うまでもなく、クンダリーニである。

巨人と言えば唐突だが、滅亡したアトランティス人を指して巨人と呼んでいるのではないかと考えている。オーディンは巨人の泉ミーミルの水を飲んで智慧を得た。

 

時代が下って8世紀、サクソン人は、この地方の宇宙樹信仰のシンボルであった大木の幹でできた宇宙の柱イルミンスルを崇拝していたが、772年神聖ローマ帝国カール大帝がこれを破壊することでサクソン人との開戦となった。

(イルミンスル所在地:ヴェストファーレン州、オーバーマルスベルク)

これにより、ドイツも、世界の死の部分、闇の部分を覆い隠すアポロン的西欧文明優勢の世界に組み込まれていくことになった。

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苦行、タンキーからダヴィンチ・コード

2024-05-18 05:31:42 | 究極というものの可能性neo

◎ゾイゼの徹底した苦行ぶり

(2018-10-14)

 

東南アジアでは、タンキー(童乩)とよばれる自分の肉体を針や釘などで刺す苦行者に出くわすことがある。そういうのが祭礼などで行われ、わざわざ人込みでやらなければいけないものなのかと奇妙に思う。

またそういう映像が、グロ画像としてネットに出回り検閲者の目に止まり削除されることがある。テレビでフィリピンのキリスト教の祭礼で、十字架に生きた男性を載せ、両掌のひらを釘で打ち付け、苦痛に顔をゆがめながら十字架が立てられるシーンをやっていたが、その番組ではネットから削除されるグロ画像の一つとしての扱いだったが、その残酷さは最初はタンギーかと思ったくらいだった。東南アジアにはなぜか苦行の伝統がある。

映画「ダヴィンチ・コード」で、カトリック系の一会派オップス・デイの暗殺僧が苦行を繰り返すシーン(鞭で背中を打ち、釘付き鎖で太ももを締め付け続ける)が出てきて衝撃を受けた人もいたかも知れないが、かのドイツのゾイゼは、あの苦行の10倍以上と言っても差し支えないほどのものだった。

 

ゾイゼは、イエスの苦しみをわが身の体験とし、自らの罪をあがなうためにあらゆる苦行を24時間やった。

釘30本付きの小さな木の十字架で背中を叩く(8年間)、150本の釘付き腹ベルトを巻く(16年間)。寒中の暖房のある部屋に入らず、暖房に近づきもしない(25年間)。沐浴をしない(25年間)。食事は日に一度だけ。布施ではお金は受け取らない。

このようにゾイゼは身体にくつろぎを与えるあらゆることを避けてきた。

こうしたある日、ゾイゼは、さらに食事の飲み物さえ少量しかとらないようにした。するとある夜、天の婦人から天の飲み物を心行くまでたっぷり与えられ、口の中に小さな柔らかいマナのようなものが残った。

 

苦行をやるというのは、能動的に痛みを受けるということで、相当な自覚がないと何年も継続できることではない。

生きていること自体が公案である現成公案の現代とは、生きていること自体が苦行に近いというべきか。ただ食うために生きるだけでも全力を傾注せざるを得ない上に、それだけでは魂のかわきは癒されないので、寸暇を惜しんで冥想をしないと正気で生き抜けない時代となって久しく、大物覚者は世を去って久しい。

自分がある限りこの苦行は続く。

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ゾイゼの第六身体、第七身体

2024-05-18 03:12:29 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-11-9

◎アートマン-9

◎第六身体アートマンの様々なアスペクト-1

◎自己放下、神への沈潜と一者

 

ゾイゼが第六身体を語っている。

『根源の一者に、再び導かれることになっている、すべての人間にとって有益なのは、自らと万物の始原を知ることです。というのは、それによって、そうした人たちの最終目標も定まるからです。ですから、かつて真理について語った者はすべて、絶対の原初で、最も単一な何かがあり、それに先んずるものは皆無であるという点では、一致した意見を抱いていることを、承知しなければなりません。』

(永遠の知恵の書/ドイツ神秘主義叢書 6 ハインリヒ・ゾイゼ/創文社P175から引用)

 

ゾイゼが第六身体のことを根源の一者とよび、自らと万物の始原であり、絶対の原初で、最も単一な何かであると、三様の表現をとっている。これは有の側。また根源の一者は終わりがなく測り知れず、理性によって知ることはできないとする。言葉による表現も排除する。

 

さらに自己放下と並行して起こる神への沈潜の始まりと終わりがこの一者であることを認めている。

 

かつまたその先は皆無であるとし、皆無であることを確認したのだ。これが第七身体ニルヴァーナ。

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