◎ジェイド・タブレット-外典-12-4
◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-4
◎聖音オーム
11番から20番が死の側の10枚。これもホドロフスキー流で、2枚ずつ眺めていく。すなわち、11と20は独立だが、12-13、14-15、16-17、18-19がペア。
11 力
これは、聖音オーム。潜在意識の世界、死の世界の現在、過去、未来のすべてを貫くもの。それが、神に至る流れであり、奔流であり、力である。神は、“20世界”たるアートマン。
ヨーガ・スートラでは、『至高の存在の表現が、聖音オームである』とし、『オームを繰り返し、その意味への念想がなされなければならない』、更に『この実践により内なる自己を知り、障害はなくなる』とする。これが基本。
オームの意味を念想するとあるが、特定の意味が最初に与えられるわけではないので、自分がオームそのものにならない限りはその意味は与えられることはないだろう。
マンドゥーキヤ・ウパニシャッドでは、
『オームは現在、過去、未来のすべてである。三世を超えるものすらすべてオームである』(現代人のためのヨーガ・スートラ/グレゴール・メーレ/産調出版P57から引用)とそのものズバリで解説する。
これに対し、OSHOバグワンのヴィギャンバイラブ・タントラでは、
『-39-
ある音をゆっくり唱える「オーム」と。
音が遍音(あまねくひろがる)状態になるとき、あなたもそうなる。』
(沈黙の音/OSHOバグワン/市民出版社P94から引用)
絵柄は、口を開けたライオンを手で押さえた女神であって、北欧神話のトールのような力自慢のそれではなく、いかにも軽々とやってのけている。だが、ライオンである自己実現、自己拡張の願望を口を閉じるのではなく開けたままで抑えるのが強引さを感じさせない。まだ自己を拡張させる段階でもあるのだ。
インドの聖者ユクテスワによれば、人は真の信仰の意味を理解するようになって、幸運であれば、“自分を霊的に導いてくれる聖師(救い主)となってくれる神のような友”に出会えるという。
この友に忠実に従って修行をしていくと、スシュムナドワーラ(スシュムナー)に心を集中することができるようになる。そして自分の内なる光輝く身体が見えてきて、聖音オームを聞くようになるという。
(1. “神のような友”とは、聖者が友として現れるということ。
2.内なる光輝く身体のことを神の先触れたるバプテスマのヨハネであるとする。)
ユクテスワは、聖音オームは川の流れであり、これに浸って沐浴(洗礼)を行い、いくつかの世界をとおって神のもとに帰るとする。
オームは神に至る川の流れだったのだ。よってこの死の世界で神に至るまでの流れの力が最初に置かれている。