◎どこまで行ってもきりがない・・・(老子狂言)
『どこまで行ってもきりがない・・・
あなたと言ったら
すでに
わたしが含まれていた
地獄と思ったら
もうそこには
天国が花開いている
思うがままに生きるのだ
思わないままに生きているのだ
快楽と苦痛とは
果てしのない戯れを戯れている
この神秘のカオスのただ中には
永遠に答えなぞない
私はどこにも行き着きはしない
どこに到達する必要もない
ニルヴァーナとマーヤーの
交合歓喜は続き続ける
これが至福だとも知らずに
これがやすらぎと生命力だとも知らずに
あなたが何をしたところで
あなたにわかるものなぞ
一つとしてない
死がわからないと同じように
わたしの言葉もわかりはしない
わたしは
小麦色の肢体が好きだ
太陽と輝くエメラルドの海が好きだ
ニルヴァーナを愛し
マーヤーを愛している
どこまで行ってもきりがない・・・』
(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)
以下【】内は上掲詩から引用。
ここには、既に自分個人が神人合一した時の実感がならんでいる。
あなたとわたし、地獄と天国、快楽と苦痛、それを
【思うがままに生きるのだ
思わないままに生きているのだ】。
今ここを生きるということは、そういう実感を生きるということだが、どうだろうか。
だからといっても、何でも好きなわけではなく、
【わたしは
小麦色の肢体が好きだ
太陽と輝くエメラルドの海が好きだ】。
これは水平の悟りが好きだということ。
今ここが、至福でやすらぎと生命力だが、あなたがある限り、
【あなたが何をしたところで
あなたにわかるものなぞ
一つとしてない】。