◎欲念相続(老子狂言)
『欲念相続
悟りへの修行———
これもまた他のあらゆる人間営為と同様に
欲望の一形式であり、
したがって、
欲望のあるところに苦しみがあるのは、
当然である。
解脱への修行は
他の一切の人間の欲念の戦いと変わるところなく、苦あれば楽ありである。
ああ、それにしても、
余りの戯れよ!
夢よ!』
(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)
以下【】内は上掲詩から引用。
※欲念相続:人が生きている間に抱く様々な欲望や執着(欲念)が、死後も消滅するのではなく、来世に引き継がれること。
一切の人間の欲念の戦いも苦あれば楽あり、解脱への修行も苦あれば楽あり。解脱への修行の結果、すべての現象は夢幻であることを通過し(空)、悪カルマはその後発生しないようになり、中心太陽に突入した結果、限りなき高みを天かける孤独の鳥であるならば、
【ああ、それにしても、
余りの戯れよ!
夢よ!】。