◎世界の中心にある山には莫大な宝が隠されている
17世紀に薔薇十字団のトップであったらしいエウゲニス・フィラレテス宛に薔薇十字団から来たらしい宝捜しメモ。
薔薇十字団は、西洋錬金術の奥義を復興したと目されるグループだが、それはクンダリーニ・ヨーガ系であって、垂直の道である。
よって言葉で奥義が明かされることはないが、その真理の属性は遠回しで隔靴掻痒の感のある言い回しに終始する。
薔薇十字団は、キリスト教の影に隠れて延命していくが、その伝統は、アレイスター・クロウリーやブラヴァツキー夫人、現代のフリーメーソンなどに継承されている。
さて薔薇十字団では、霊界の魔法の山には、宝が秘蔵されているという。
『「地球の中央あるいは世界の中心に位置するひとつの山がある。それは小さくて大きい。柔かくて、同時に石のように堅い。遠くにあって身近にあるが、『神』の計らいにより目には見えない。この山には莫大な宝物が秘蔵されており、その価値をこの世の人間が値踏みすることはできない。絶えず神の栄光と人類の幸福を妨げる悪魔の嫉妬から、この山には非常に獰猛な獣や飢えた猛鳥が徘徊しており、このためそこへ至る道はきわめて困難かつ危険である。これまではまだその時期ではなかったので、その道を探求することも発見することも不可能であった。しかし今こそ発見するにふさわしき者はその道を発見しなければならない。だがそれはひとりひとりの労苦と努力によって探求されなければならない。」 』
(象徴哲学大系 4 錬金術 マンリー・P・ホール/著 人文書院p67-68から引用)
ここは宝物の価値はこの世のものでないことをまず示し、二律背反な性質を持つことも示す。すべてのすべてを含み、個人も勿論含まれるので二律背反。霊界と言っているが、天国も地獄も越えるものだからこのような言い回しになる。
困難かつ危険で、ひとりひとりの労苦と努力によって探求するとは、自分自身に出会うことは困難かつ危険であることを言っている。
この文は、冥想とか、神になるという言葉を使えば、たちまち異端として裁かれる時代の文書なのだ。