◎ダンテス・ダイジ-今でない今、ここでないここで
(2021-11-17)
神人合一した人物がその境地を語ることは、時に沈黙だったり、片言隻句だったり、短歌だったりするのだが、ダンテス・ダイジは、韻文で残してくれている。
『今でない今、ここでないここで
一刹那 の 生 涯 で も よ い
クリシュナと し て 生き
クリシュナ と し て 死に た い
あらゆる演戯を越えた―つの戯れ
根本無明の演戯がなければ
神は神自体を観照することができぬ
根本無明のこの移し世が
神自身の唯一の演戯道場
神は人間の作り出した
どんな思想の中にも
宗教の中にもいない
人間自体の死の虚無性が
人間からすべてを奪い
人間をも奪う』
(絶対無の戯れ/ダンテス・ダイジP115-116から引用)
ダンテス・ダイジの前世の一つはインドの神人クリシュナとして知られるが、戯れる者、マーヤの演技者としてクリシュナを出して来ている。
光明、善、真理などはポジティブであって、人はそのように生きねばならないので、ニルヴァーナに居さえすればよいなどと考えがちなのだが、さに非ず。
根本無明、マーヤ、迷いがなければ、神は神を観照できない。つまり迷いがあって初めて悟りであると、世間の先入観とは逆の真実を表明している。
この世は霊界が時至って現実化する移し世なのだが、あらゆる人間の作り出したものを捜し回ったとて、どこにも永遠不壊なる神は見つかるものでない。人間の作り出した思想にも宗教にも神はない。死がそれをことごとく奪い去るからである。