◎死の地帯から走馬灯
(2010-08-08)
ラインホルト・メスナーは、著名な登山家。1986年に人類史上初の8000メートル峰全14座完全登頂(無酸素)を成し遂げた。標高8千メートルでは、酸素は地上の三分の一だそうだから、これらの無酸素登頂は偉業である。
登山家は山を登るものと思い込んでいたら大間違い。プロ登山家は、何度かの転落体験を必ず有しているものである。クンダリーニ上昇体験では、極めて短時間の間に存在の多次元を上昇するが、登山家は転落する極めて短時間の間に他の次元をかいま見る。メスナーは、例外的に転落らしい転落の経験がない。
『私はここに再録する体験談を選ぶにあたって、第三者に関するプライベートな報告や記事類は省き、登攀だけに、しかも信頼できる登山家の経験だけに限った。そのどれも、ひとつとして同じ話はないし、状況も体験者のタイプもぜんぜん違っているのに、それらに共通する一本の線がはっきりと見てとれるのである。
つまり転落して死を意識した瞬間に、不安からの解放、心眼に走馬燈のように浮かぶ過去の人生、時間感覚の喪失、家族や友人への発作的な追憶、自分が自分の肉体の外にあるという感覚があるのである。
自分が自分を観察するものになる、という体験は、非常な高所での極限体験の特徴でもある。さらに死の地帯においては、奇妙な物音、幻覚症状、強烈な万有一体感、口で話す必要もないくらいのコミュニケーション能力がこれに加わる。
しかし、これらの「奇妙な体験」はすべて、転落や死の地帯で起こり得るだけでなく、天候の急変や困難な登攀箇所を乗り越えたあとやビバークの時など、他の極限状況においてもしばしばあり得るのである。』
(死の地帯/ラインホルト・メスナー/山と渓谷社P18から引用)
メスナーが登山仲間の実弟を失ったナンガ・パルバートのルパール側(4800メートルの世界最大の高度差を持つ岩と氷の壁)を登った後、高山病の弟と未知のディアミール側を下降しなければならなかった時、メスナーは、何をしてもどんな努力をしてもこの場所では死しかないと覚悟した。この時5日間何も食べず、最後は裸足になった(凍傷により足指6本切断)。
この環境で5日食わないのは、断食断水7日の十万枚大護摩供並といえる。
メスナーも強調しているが、転落しても、生き残る可能性が残る場合は、走馬灯(人生の一瞬での回顧、パノラマ現象)は起こらない。この場合、極めて短い瞬間に、生き残るための合理的理性的思念が尋常ではない速度で展開して、実際に助かるための行動を起こすだけである。
ところが、これが、全く生き残る見込みがないとわかった瞬間に、走馬灯が起こる。
転落をきっかけに、意識レベルの低下から、肉体生命の危機を全霊で洞察した瞬間に、意識は肉体を離脱しようとし、その時にパノラマ現象が起きるのではないか。
只管打坐でいえば、人間は人間である限りもともと何も救済などないが、「救済などない」と徹見した瞬間に・・・・「救済などない」と徹見した時点で意識レベルは低下しているのだが・・・・・呼吸・心拍など肉体機能の相当な低下が起こり、身心脱落という肉体と自我意識の脱落が起こるのではないか。これは個人が個人のままで落ちるという見方を出ていないので、そのまま正解の説明にはならないとは思うが・・・・。
身心脱落のメカニズムについての推測はともかく、登山での転落体験には臨死体験ばりの体験が相当ある。そして意識レベルの低下から、走馬灯への移行については、冥想体験の進展についても、ある程度の示唆を与えてくれる。