◎ジェイド・タブレット-外典-11-16
◎世界樹-14
◎地球の中心火球の黄金柱
さし絵は、キリスト教のヨアンネス・クリマコス(579年-649年)の最後の審判の梯子。いまや天上に昇らんとする多くの篤信者をこれでもかこれでもかといわんばかりに引きずり下ろす一群の黒い者がいる。
これと似た雰囲気の天の梯子、いや天の柱が出口王仁三郎の霊界物語にある。
これは、地球の中心火球(中心太陽、宇宙意識、ニルヴァーナ、神、仏、道のこと)の吹き上がる金気の威徳をパワーとして国の御柱がある。その天辺が二つに分かれて、左が男神の渡る橋、右が女神の渡る橋となっている。
この橋は黄金の丸木橋であるとされるが、そのものずばりで、葦の茎の如き黄金のクンダリーニの表象である。日本では古来、人のことを神柱と美称するが、この黄金柱こそ国の柱であり、神柱であった。
よって、霊界物語のこの段は、出口王仁三郎版の「クンダリーニ上昇の秘儀」たるパートであるが、やはり世界樹の全体像がクンダリーニの世界展開であるという基本イメージに沿っている。
さて霊界物語第五巻の24章天の浮橋の段から引用。
『眼を開けば今度は最高点の黄金橋の上に引き揚げられてゐたのである。まづ安心とあたりを見れば、国姫神は莞爾として四五の従神とともに吾前に現れ、
『この橋は黄金の大橋といひ、また天の浮橋ともいひ、地球の中心火球より金気昇騰して顕国の玉となり、この玉の威徳によりて国の御柱は中空に高く延長し、その頂上は左右に分れ、左は男神の渡るべき橋にして、右は女神の渡る橋なり、この黄金橋は滑にして、少しの油断あらば滑りて再び地に顛落し、滅亡を招くの危険あり。
汝は抜身の中に立つごとく心を戒め、一足たりとも油断なく、眼を配り、耳を澄ませ、息を詰め、あらゆる心を配りてこの橋を東方に向つて渡れ。また此橋は東南西北に空中を旋回す、その旋回の度ごとに橋体震動し、橋上の神人は動もすれば跳飛ばさるる恐れあり、また時には暴風吹ききたつて橋上の神人を吹き落すことあり。
欄干もなく、足溜りもなく、橋とはいへど黄金の丸木橋、渡るに難し、渡らねば神の柱となることを得ず、実に難きは神柱たるものの勤めなり』
と言葉嚴かに云ひ渡された。
王仁は唯々諾々として其教訓を拝し、東方に向つて覚束なき足下にて、一歩々々跣足のまま歩を進めた。』
いつの間にかこの橋を渡りきった出口王仁三郎の身は、天教山(富士山)の山頂に、神々とともに停立していたのだが、天教山は頭頂(泥丸)サハスラーラ・チャクラのシンボルである。
男女に分かれた橋が統合されるのは、エドワード・メートランドの見たキリストの二重性、男女の統合と同義である。
ヨアンネス・クリマコス(579年-649年)の最後の審判の梯子と、この古神道の黄金橋では、バックグラウンドの描写こそ違うものの、シチュエイションは似たようなものである。アセンションの梯子または黄金橋にとりついたものの、不心得のある者は次々に滑落していく。
さて我々はふつつかなれど、神の柱となれるのだろうか。