◎ジェイド・タブレット-06-32
◎青春期の垂直の道-32
◎荘子-3
7.荘子の7つのチャクラ
儵(しゅく)という名の南海の帝王と、忽という名の北海の帝王とが、ある時、世界の真中の『渾沌』の支配する国で、一緒に出会った。渾沌に歓待されたお礼として、儵と忽は、穴のなかった渾沌に毎日一個づつ穴を開けていったら、一週間目に混沌は死んでしまった。
七つの穴とは、目2、耳2、鼻2、口1の合計七つの穴だという解説もあるが、実は7チャクラのこと。7チャクラを窮めれば、死の世界に入らざるを得ない。
8.荘子の覚醒までのステップ
まず女偊(じょく(亻禹))の覚醒までのステップ。
『わたしは修行三日目にこの世(天下)を超越することができるようになった。
更にその修行を続けること七日目に物質を超越することができるようになった。
更にその修行を続けること九日目に生を超越することができるようになった。既に生を超越したので、光明を得た(朝徹:朝日がぱっと照るように大悟する。中心太陽を見たか。)。
光明を得て後に独存となった。
独存となれば、古今はなくなり(時間のない世界で、過去現在未来が一体になった今ここだけとなる)、古今がなくなってその次に不死不生という死も生も区別がない世界に入る。』
(荘子 大宗師篇)
独存は、クンダリーニ・ヨーガのテクニカル・ターム。宇宙には自分以外に何物も存在しないことを悟る状態があるが、この一体化の状態をカイヴァリヤ (唯我独存)という。
次に攖寧(えいねい)の説明が続く。
『生きている者を殺す者に死はないし、生き物を生む者に生はない。
道というものは、送らないものはなく、迎えないものはなく、破壊しないものはなく、作り上げないものもない。
その名を攖寧(えいねい)という。攖寧とは、攖(みだ)れて後に成るものである。』
(荘子 大宗師篇)
ここは、道(タオ)と自分が合一した立場であって、道は生きる者を殺すが死はなく、道は生きる者を生むが生はない。(生は死の一部であって、その意味で生は死と同じという、垂直の道の立場。)
これは、死の中に生が包含されるがゆえに、死と生を区別しない立場。
9.我は死に憩う
『大自然は、
我を大地に載せるために身体を与え、
我を労するために生を与え、
我を安んずるために老いを与え、
我を憩わせるために死を与える。』
(荘子 大宗師篇)
だから、こんなことも言う。
『古の真人は、生を喜ばないし、死をいやがらない。生から死に出ても喜ばないし、死から生に入っても拒まない。』
(荘子 大宗師篇)
詮ずるところ、荘子にとっては、生と死を比べると死の方が憩いを与えてくれるものであり、生より好もしい。そして何より生から死に入ったり、死から生に出たりするのも自由であるということ。
生より死の方がメインであって、道を中心に据えているのは、垂直の道の立場である。