◎ジェイド・タブレット-04-08
◎思春期の垂直の道-8
古神道の出口王仁三郎は、自分がメンタル体で離脱しニルヴァーナに飛び込んだなどということは、書き残していないが、それを体験した者のみが知っているいくつかの言い回しやエピソードなどで、それを推測できる。
出口王仁三郎の悟境を探っていくと、明治31年の2月の28歳の時に、高熊山に一週間の冥想修行を行った事績に突き当たる。クンダリーニ・ヨーガ的に見れば、究極に至る際は、呼吸停止、心拍停止するのだが、出口王仁三郎は六度死に、その一回目がこれなのだろうと思う。
その際に大神(天御中主神)を目撃したのか、あるいは神人合一の体験をしたかどうかは、霊界物語の本文中には出てこない。感覚の蕩尽、意念の断滅だったとは書いてあるが、松岡など神使に導かれ、多数の高級神霊に出会ったとは書いてあるが、肝心のところは書いておらず、「まことかたればきくひとはなし (宣長)」とはぐらかしている。
高熊山の修行直後の心境としては、
「我は空行く鳥なれや
○○○○○○○○○○
遙かに高き雲に乗り
下界の人が種々の
喜怒哀楽に捕はれて
身振り足振りする様を
我を忘れて眺むなり
実に面白の人の世や
されどもあまり興に乗り
地上に落つる事もかな
み神よ我と倶にあれ」
が残されているが、これだけでは、どういった境地かわからない。
1.メンタル体の離脱
メンタル体で肉体を脱出する際、アートマ光の輪が頭頂にあるようだ。これを想像させる情景が霊界物語にある。
『橄欖山の神殿は鳴動し、三重の金殿は際限もなく中空にむかつて延長し、上端において東西に一直線に延長して丁字形の金橋をなし、黄金橋もまた地底より動揺して虹のごとく上空に昇り、漸次稀薄となり、大空に於て遂にその影を没して了つた。
丁字形の金橋は、東より南、西、北と緩やかに廻転し始めた。さうして金橋の各部よりは、美はしき細き金色の霊線を所々に発生し、地球の上面に垂下すること恰も糸柳の枝のごとくであつた。さうして其の金色の霊線の終点には、金銀銅鉄鉛等の鈎が一々附着されてある。これを『神の御綱』ともいひ、または『救いの鈎』ともいふ。』
(霊界物語 第5巻 第23章 神の御綱から引用)
この回転するT字型の金橋がアートマ光の輪ではないかと思われる。その後に脱身し、霊線に沿って上昇しようとするところである。
2.上昇の過程
ここでは、「神」マークのついた人間が、先に鉤のついた黄金の霊線に沿って引き上げられるとあるが、これは黄金の霊線と見えるクンダリーニのエネルギーコードに沿って、多くの人間が無数の宇宙を上昇していくことを自分も上昇しながら、その霊眼で確認したものと考えられる。
※「神」マーク:(正道に帰順する神人には、おのおのその頭に『神』の字の記号を附けておいた。されど附けられた者も、附けられない反抗者も、これに気付くものは一柱もなかつた。/霊界物語 第5巻 第23章 神の御綱から引用)
3.中心太陽への突入体験
出口王仁三郎は、中心太陽への突入体験を無我の境と表現する。偉大なる神が我であるという状態があることが日常の生活感覚での吾と全く違うことをことさらに主張することは、その体験とはいえない体験がある者だけのモチベーションから来るものだと思う。
『無と云ふ事は言霊学上、天といふ事である。我と云ふ事は霊的に見た自分、宇宙と合致したる自分。自己の肉体をさして吾と云ふ、吾のわれは五つの口と書く。鼻の穴、口の穴、耳の穴、尻の穴、小便の穴、この五つの穴を備へた肉体の自分をさして吾と云ふ。
無我の境と云ふ事は、天地の神と融合したる状態である。慾望もなく、怨恨もなく、好きもなく嫌ひもなく、自分もなく人も無く、神の懐にとけいつて、神は我なり我は神なり、神人一如の境地に立つた場合を無我の境と云ふのである。』
(水鏡/出口王仁三郎/天声社から引用)
さらに歌集「霧の海」には、
霊魂の力一ぱい天地(あめつち)に
いやひろごりてめぐりにめぐる
天にもあらず地(つち)にもあらず現(うつつ)にもあらぬ世界に
われ生く心地す
以上2首は、宇宙全体、世界全体の第六身体の視点。
天(あめ)もなく また地(つち)もなく われもなく
有漏路無漏路(うろぢむろぢ)を超越して居り
この一首では、「われもなく有漏路無漏路(うろぢむろぢ)を超越して居り」ということで、ニルヴァーナに到達したと見ることができる。
以上のように出口王仁三郎は、既に神人合一を実現していたのだが、メンタル体離脱の状況については、直接的な表現はないもののおそらくは、黄金の霊線を確認していることで、メンタル体での脱身があったものと想像される。
また古神道なので、鎮魂法により、神人合一したものと考えられるが、どういうわけか、公開を神の許し給わぬところなのか、鎮魂法によってどのように究極に達したのかは明かされていない。
また古神道では一霊四魂とはいっても、メンタル体に照応する四魂があるわけでもない。ただ黄金の霊線に乗って神に到達するルートを確認したことは間違いない。