◎ジェイド・タブレット-05-36
◎青春期の水平の道-35
一休は、少年時から男色になじみ、尼さんとの情交も厭わず、晩年には盲目のうら若き30台女性との同棲までこなした。こうした男性なので、さぞやイケメンだったと思いきや、むさくるしい中年男の肖像が残されているのは、死後においても一休のしつらえた公案のような気がする。
大徳寺の幹部でありながら、重要な法要の時はさぼって別室で女性と同衾しているが、その最中に読経の声が聞こえるなどという、授業をさぼった不良高校生みたいな詩も狂雲集にはある。
それもこれも、大死一番、すべての宇宙が死に自分が死ぬという、体験とはいえない体験を経て、自分が宇宙意識(ニルヴァーナ)の展開であることを自得しているからできること。未悟の者が、同じ真似をしても世界の混乱をさらに深めるだけ。
大破壊の時期は近いが、覚者たちは、敢えてその後の復興のことを重視する。
普化は臨済を上回る自由自在の禅僧。悟りは、一見人間の生業のことなど全く気にしていないのだが、それを生きた普化和尚は、禅の正統の伝統を生きる臨済和尚をもどやしつけるシーンがある。
『普化和尚
朝な夕なに、町中わかせ、
人を泣かせた、おやじの手ぐち。
古今きっての気ちがいぶりが、
禅門くるわす、色おとこ。
議論明頭又暗頭
老禅作略使人愁
古往今来風顛漢
宗門年代一風流』
(日本の禅語録 一休/柳田聖山/講談社 P191から引用)