二月李克用討伐の前線、河東軍が乱れ節度使崔季康が殺された。
河東軍はこれ以降頻繁に軍乱を起こし動揺を続けた。
四月宰相王鐸は自ら黄巣討伐を志願し、荊南節度使。諸軍都統として赴任した。
黄巣は九月廣州を陥したが、暑熱のため疾病にかかるものが多く、急遽北上を始めた。
十月討伐軍の前衛湖南の潭州を陥し、潰滅させた。
無能な節度使李係[晟の曾孫]は逃げた。
さらに荊南に迫り、王鐸もまた逃げ、巣は荊南を潰滅させた。
十一月黄巣はさらに北上し山東節度使に迫ったが、劉巨容・曹全晸などに迎撃され大敗し江南へ奔った。巨容らは追撃しなかった。
これは賊がいなくなると、將の功績が認められなくなると感じていたためである。
河東軍はこれ以降頻繁に軍乱を起こし動揺を続けた。
四月宰相王鐸は自ら黄巣討伐を志願し、荊南節度使。諸軍都統として赴任した。
黄巣は九月廣州を陥したが、暑熱のため疾病にかかるものが多く、急遽北上を始めた。
十月討伐軍の前衛湖南の潭州を陥し、潰滅させた。
無能な節度使李係[晟の曾孫]は逃げた。
さらに荊南に迫り、王鐸もまた逃げ、巣は荊南を潰滅させた。
十一月黄巣はさらに北上し山東節度使に迫ったが、劉巨容・曹全晸などに迎撃され大敗し江南へ奔った。巨容らは追撃しなかった。
これは賊がいなくなると、將の功績が認められなくなると感じていたためである。