正月朱全忠は秦宗權追討に向かった。
このころより浙江地方では呉越の祖である錢鏐が力を増していった。
三月無能で無気力な傀儡皇帝僖宗が亡くなり、弟壽王が昭宗として即位した。
昭宗は唐の復権を志したが、混乱が続いた。
四月孫儒が淮南に入り、楊行密と争うことになった。
六月より西川で王建[前蜀の祖]が田令孜党の陳敬?を攻撃し動乱が生じた。
十一月形勢不利となった秦宗權陣営で反乱がおき、宗權は捕らえられた。
このころより浙江地方では呉越の祖である錢鏐が力を増していった。
三月無能で無気力な傀儡皇帝僖宗が亡くなり、弟壽王が昭宗として即位した。
昭宗は唐の復権を志したが、混乱が続いた。
四月孫儒が淮南に入り、楊行密と争うことになった。
六月より西川で王建[前蜀の祖]が田令孜党の陳敬?を攻撃し動乱が生じた。
十一月形勢不利となった秦宗權陣営で反乱がおき、宗權は捕らえられた。