正月王仙芝に包囲された荊州では節度使楊知温が醜態をさらしていたが、山東節度使李福の支援により落城を免れた。
招討使曾元裕は急行して申州に大破し、二月仙芝を敗死させた。しかし余党は黄巣に合流していった。
二月沙陀李克用[後唐の祖]が雲州で反乱をおこした。その父振武節度使國昌を移鎭させて抑えようとしたが、國昌もまた叛した。
五月黄巣対策で紛糾していた朝廷で、宰相どうしが帝前で激怒して罵りあう事態が発生し、鄭畋・盧携が貶された。
九月李克用討伐に向かった河東節度使曹翔が没し、征討軍は暴動を起こした。各藩鎭とも士卒は驕兵となりしばしば軍乱を起こすようになり実力のある節度使以外は統制できなくなった。
黄巣は南下して十一月福州を陥しさらに廣州をめざした。
十二月克用討伐軍は洪谷で大敗し、昭義節度使李鈞は敗死した。
招討使曾元裕は急行して申州に大破し、二月仙芝を敗死させた。しかし余党は黄巣に合流していった。
二月沙陀李克用[後唐の祖]が雲州で反乱をおこした。その父振武節度使國昌を移鎭させて抑えようとしたが、國昌もまた叛した。
五月黄巣対策で紛糾していた朝廷で、宰相どうしが帝前で激怒して罵りあう事態が発生し、鄭畋・盧携が貶された。
九月李克用討伐に向かった河東節度使曹翔が没し、征討軍は暴動を起こした。各藩鎭とも士卒は驕兵となりしばしば軍乱を起こすようになり実力のある節度使以外は統制できなくなった。
黄巣は南下して十一月福州を陥しさらに廣州をめざした。
十二月克用討伐軍は洪谷で大敗し、昭義節度使李鈞は敗死した。