唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

乾符四年(877年.元慶元年)

2006-12-01 21:52:55 | Weblog
閏月王郢は鎭海節度使裴璩に敗れ、一味の裏切りもあり敗死した。
王仙芝は江南に向かい、二月鄂州を落とした。黄巣はそのあと山東地方を荒らし、鄆・沂州を陥落させ、天平節度使薛崇を敗死させた。
二月には昭義軍・六月忠武軍、九月には鹽州軍、十月には河中軍、十二月には桂管軍で軍乱がおき、多くは節度使等が逐われた。
これは軍の統制が崩壊し、軍人の自立が始まったことを示している。
十一月王仙芝は、招討副使宦官楊復光の説得で帰順を考え、幹部の尚君長を派遣したが、討伐軍の別將宋威は功を焦ってこれを殺し決裂させた。
怒った仙芝は荊南を攻撃し陥落寸前まで追いつめた。
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乾符三年(876年.貞観十八年)

2006-12-01 20:02:56 | Weblog
王仙芝は猛威を振るい、東都に迫り九月汝州を落とし、さらに南下して十一月郢・復二州を、十二月申・光など六州を陥落させていった。
流賊であるため城を落としても掠奪するだけで占拠するわけではなく、討伐軍は棄てられた城に入り勝利を報告した。
十二月さらに崔安潜・李琢・張自勉などが討伐に加わった。
王仙芝は帰順も考えていたが朝廷の対応は悪く、黄巣等への配慮もなかったため決裂することになった。
浙西での王郢の反乱は依然として続き鎮圧できなかった。
正月には天平軍・四月には原州軍、十二月では桂管で軍乱が起こり、兵士達が不満を爆発させるようになってきた。
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