唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

平盧軍系 1.淄青平盧軍節度使の成立

2014-03-15 22:48:39 | Weblog
安禄山は天寶14年11月配下の呂知誨に平盧軍を指揮させた。
天寶15年4月呂知誨は同調しない安東副大都護馬靈察を殺した。
將劉客奴・董秦・王玄志は知誨を殺し、唐朝に帰順した。客奴は節度使
玄志は安東都護となった。
15年6月客奴は幽州を攻撃し、留守將史思明に大敗した。
至徳2年正月玄志は客奴を毒殺し、安禄山將徐歸道を迎えたが、又これを殺した。
そして將董秦・田神功を渡海させ密地方を制圧させた。
乾元1年2月玄志は節度使となったが、12月卒した。
唐朝は牙軍の意向を受けて將侯希逸を節度使とした。
上元2年5月希逸は史朝義の兵を破った。しかし補給が途絶し、蕃族の奚の攻撃
を背後に受けて平盧の維持が困難となった。
元年建丑月希逸は平盧を捨て全軍を挙げて南下し、田神功と州で合した。
唐朝は希逸に淄沂・密の両節度使を与えて淄青平盧軍節度使が成立した。
田神功は兗鄆節度使に移った。
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