唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

河北の軍閥 その3 田承嗣の乱2

2018-07-10 09:53:46 | Weblog
大暦9年11月入朝していた汴宋節度使田神功が卒し、弟神玉が暫定的に継承しました。ところが11年5月その神玉が卒し、武将の李靈曜が田承嗣の支援を受けて自立したのです。唐朝は狼狽し、一旦はこれを認めようとしますが、増長した靈曜の要求に応じきれず討伐することになります。そのため魏博征討の包囲網は破綻しました。

李靈曜征討軍
◎淄青節度使李正己
◎淮西節度使李忠臣
△永平節度使李勉
△河陽三城使馬燧
△淮南節度使陳少游
◎は汴宋と同じ平盧系統、△は唐朝麾下
淄青李正己は簡単に鄆、濮二州を制圧しますが、永平李勉は承嗣甥悅の率いる魏博軍の強襲を受けて敗北します。
靈曜は宋州包囲に手間取り、仲間割れもあり、淮西・河陽軍に敗北を重ね、汴州に籠城します。
悦は勢いに乗って、永平・淄青軍を大破しますが。淮西李忠臣に大敗して敗走し、孤立した霊耀は捕らえられ、汴宋の乱は終結しました。
汴宋の大部分は淄青李正己と、淮西李忠臣に分割され唐朝は得るものがありませんでした。
再び田承嗣は落胆して和を求め、軍費の負担に苦しむ唐朝はこれを12年3月に赦します。
承嗣は相衛洺貝の四州を得ますが、德瀛二州と多数の将兵を失い、これ以降は消極的になり、大暦14年に卒します。