唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

光啓二年 西暦886年

2020-08-20 10:00:48 | Weblog
光啓二年 西暦886年
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正月戊子,如興元。
癸巳,邠寧朱玫叛,寇鳳翔。
王重榮や李克用は京師を占領する気はなく軍を戻します。しかし田令孜の罷免を要求してきました。令孜に騙されて負け戦をしてしまった玫や鳳翔節度使李昌符は、令孜を誅そうとしました。令孜は山西興元府を経て兄陳敬瑄のいる成都へ逃げようとします。僖宗は渋りますが拉致されます。宰相達も置き去りです。

三月壬午,山南西道節度使石君涉奔於鳳翔。丙申,次興元。
君涉は僖宗・令孜の逃亡を阻止しようとしますが、玫や昌符軍に背後を追われている令孜は麾下の禁軍を突入させて興元に入ります。

四月乙卯,朱玫以嗣襄王煴入于京師。
玫は自らを兼左右神策十軍使として、残っていた宰相達の承認のもとに、逃げ遅れた皇族の煴を皇帝に擁立し京師に帰還します。諸鎭に遣使して大半の鎭の承認を得ます。
田令孜は形勢不利とみて、樞密使使楊復恭を左神策中尉觀軍容使とし、自分は西川監軍使となって敬瑄の元に亡命していきます。復恭はすぐ令孜派を排除していきました。

五月、朱玫はみずから侍中諸道鹽鐵轉運等使となり独裁を始めます。はずされた鳳翔李昌符は不満で興元の僖宗に通じます。また河東李克用や河中王重榮達も朱玫の跋扈は不愉快であり、令孜の排除には成功したので僖宗麾下にもどりました。

七月,秦宗權陷許州,忠武軍節度使鹿晏弘死之。
十一月庚子,秦宗權鄭州。
河南では宗權の勢力は強くなる一方です。

九月戊寅,靜難軍將王行瑜陷興、鳳二州。神策行營先鋒使滿存克興、鳳二州。
朱玫は行瑜に僖宗派を攻撃させますが、反撃をうけ停滞します。復恭は行瑜に働きかけて裏切らせようとします。

十二月,丙辰,朱玫伏誅。丁巳。帝煴伏誅。
敗戦続きの行瑜は邠寧節度使を与えるという利益を与えられて反し、京師に乱入して玫や煴を殺しました。