唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

乾寧三~四年 西暦896~97年

2020-08-28 10:00:20 | Weblog
乾寧三年 西暦896年
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六月庚戌,李茂貞犯京師,嗣延王戒丕御之。丙寅,及茂貞戰于婁館,敗績。七月癸巳,行在渭北。
甲午,韓建來朝,次華州。
克用の来襲には畏縮していた茂貞は、克用が去るとさっそく来襲します。禁軍はまた潰滅し、昭宗は河東克用のもとに逃れようとします。ところが途中で華州韓建が忠臣を装って現れて拉致します。

十月,李克用及羅弘信戰于白龍潭,敗之。
克用は河北で勢力下に入らない魏博弘信を攻撃しています。

十月壬子,孫偓持節鳳翔四面行營節度諸軍都統招討處置使。
懲りない昭宗は茂貞を討つつもりです。茂貞は表面上謝罪し、韓建は意味のない討伐を阻止します。

乾寧四年 西暦897年
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正月乙酉,韓建以兵圍行宮,殺扈蹕都將李筠。
韓建は禁軍を解散させます。華州に自軍と禁軍が混在した鳳翔李昌符の失敗を懼れたのでしょう。

丙申,朱全忠陷鄆州,天平軍節度使朱宣死之。
二月,朱全忠寇兗州,泰寧軍節度使朱瑾奔於淮南,其子用貞以兗州叛附于全忠。
全忠が天平・泰寧を滅ぼし勢力わ大きく拡大します。宣武・義成・忠武・河陽・東都・武寧・天平・泰寧・淮西が勢力下です。

保義軍節度使王珙寇河中。
珙は全忠と結び河中継承の要求を諦めてはいません。結局これが王氏を滅ぼすのです。

二月己未,立德王裕為皇太子,太赦,饗於行廟。
韓建は、文宗以来立てられていなかった皇太子を立てることを求めます。宦官勢力への牽制といえます。

六月,貶王建為南州刺史。以李茂貞為劍南西川節度使,嗣覃王嗣周為鳳翔隴右節度使,茂貞不受命,嗣周及茂貞戰於奉天,敗績。
時代錯誤な唐朝の足掻きです。できるはずもないことを指示して、失敗します。

八月,韓建殺嗣通王滋、沂王禋、韶王、彭王、嗣韓王、嗣陳王、嗣覃王嗣周、嗣延王戒丕、嗣丹王允。
韓建は目障りな皇族勢力を除きます。皇族達は克用との連携を模索していました。建は茂貞と連携し昭宗を操作しようとしていたのです。

八月、幽州節度劉仁恭反附朱全忠
克用に任命された仁恭[旧李匡威將]は自立を計ります。克用はこれを討ちますが大敗します。

十一月癸酉,楊行密及朱全忠戰於清口,敗之。
勢力拡張した全忠は淮南を併合しようとして楊行密軍に大敗します。