北回帰線を見学の後は、今日の宿泊地である花蓮市に行きました。
ホテルは「花蓮煙波大飯店」で、この日のホテルも「大飯店」でした。
今回の台湾旅行において、出発前日の4月18日午後2時ごろに、台湾の花蓮県でM6.4の大地震が発生し、その震源地が花蓮市のタラコ渓谷付近でした。
この地震では17人が負傷しており、更に、4月19日にはタロコで韓国の観光客が乗った観光バスに落石があり、バスの屋根に大きな穴が開いて乗客が負傷すると言う事故があったことなどから、タロコ観光を実施するかどうかツアーを主催した日本と台湾の旅行会社が真剣に検討したようです。
結局、安全を最優先して渓谷の観光は中止となり、渓谷の入り口で引き返すことになりました。
そこで、「太魯閣(タロコ)渓谷」内容についてはネットから画像を拝借してご紹介します。
・韓国の観光バスに落石があった記事を載せている現地の新聞です。
「太魯閣(タロコ)」
太魯閣(タロコ)と呼んでいますが正式には太魯閣国立公園のことです。
太魯閣国立公園は台湾中部、花蓮県の山部にあり、南北に約38Km、東西に約41Km、総面積は9万2000ヘクタールに及びます。
そして、一番の見どころは、太魯閣渓谷です。
花蓮県を流れる立霧渓が太魯閣の大理石を侵食して形成された渓谷には高山、断崖、滝など豊かな自然美を見ることができます。
「名前の由来」
その昔、德魯古族人「Taruku」が中央山脈を東に向かって移動している際、高く険しい渓谷の姿が気に入ったため、そこに残り、泰雅族(タイヤル族)の人々と一緒に暮らしていました。
時が過ぎ日本統治の際、日本人は「Taruku」という音を発音出来なかったため「Taroko」という音に修正し、「大魯閣」という漢字を当てたようです。この漢字には勇者の開拓精神という意味があるそうです。
その後、国民党が台湾に来た後「太魯閣」と漢字を変更し現在に至ります。(名前の由来には諸説あります)
「タロコ渓谷入口」
太魯閣観光の出発地には中華風の赤い門が立っています。
この門には「東西横貫公路」と書かれています。この路は花蓮と台中結び、標高3000mを越える中央山脈を通る壮大な路となっています。
この路を右に折れればビジターセンターが、そのまままっすぐ行くと太魯閣渓谷に続きます。
・この入口までは行きましたが、これから先は危険と言うことで、私たちはここから引き返しました。
・ガイドさんの説明によれば、原住民の酋長の石像だそうです。
「タロコ渓谷」
タロコ渓谷は約4~5百万年前、フィリピン海プレートに属するルソン弧とユーラシアプレートの衝突によりユーラシアプレート上の堆積物が圧縮、隆起して山脈が形成され、台湾が序々に姿を現しました。
タロコ峡谷を通る中部横貫公路は手作業で岩を削って開いた道路だそうです。
1956年7月7日着工、連日5~6千人を動員し、台風や地震、豪雨の危険に曝されながら、死傷者の続出、機材の破損を乗り越えて、建設工費4億3千万元、3年9ヶ月と18日の歳月を費やして、ようやく1960年5月9日全線開通しました。
「燕子口(えんしこう)」
峡谷が最も狭まったところがこの燕子口です。
対岸の岩肌には水の浸食による無数の穴が開いていて、イワツバメが毎年この峡谷に飛来するため、この穴で巣作りをすると言い伝えがあります。
・これ以降の画像はネットより借用したものです。
・画像はネットより借用したものです
「大断崖」
大断崖は峡谷の両側にそびえ立つ高さ200mもの一枚岩です。
この岩は、横幅はなんと1.2kmにも及び、ここは道路建設で最大の難所でもありました。
太魯閣国立公園の大理石峡谷は、もっとも美しいと言われている場所で峡谷最大の見どころだそうです。
湾曲した峡谷は幅が更に狭くなり、岩壁の大理石の美しい褶曲模様、断層、節理などじっくり鑑賞する事ができ、そして断崖絶壁の大理石狭谷の間を縫う様に美しい川が流れ、かつて人を寄せ付けなかった大自然の驚異が実感できるようです。
・画像はネットより借用したものです
「長春祠(ちょうしゅんし)」
断崖に沿って通る東西横貫道路建設は難航を極め、212名の関係者が殉職しました。
その霊を祀っているのが太魯閣国立公園入り口の近く、絶壁を背に建てられた中国風の建物、長春祠です。
この辺りは崩落しやすい地層のため、落石によってこれまでにも二度も全壊しており、現在のものは1997年に再建されたものです。
・画像はネットより借用したものです