らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

世知辛い

2021-02-23 | 雑学

最近、ふと昔のことを思い出すことがあります。
先日、現役の頃、得意先との会話の中で、たまに使用していた「世知辛い世の中でんなあ!」と言う表現が突然、記憶の中から蘇ったのです。
どのようなきっかけだったのかは覚えていません。不思議ですね。

この「世知辛い」という言葉は、普段はあまり聞くことがない言葉かと思います。
読み方は「せちがらい」です。「せちづらい」ではありません。
今日はこの言葉の語源について調べました。

「世知辛いの意味」
世知辛いという言葉は「世渡りがしにくい」という意味として使われる表現ですが、他にも、「勘定高い」「ケチ」「せこい」「抜け目がない」などという意味としても使われます。

世知とは「世俗の知恵」を意味しており、世俗の知恵とは処世術、即ち「世渡りの方法」のことで、どうやったら巧く生きていくことができるか、そのような世渡りの知恵を世知といいます。
一方の「辛い」は唐辛子のような辛さを意味するのではなく、また「つらい」という感情を指すのでもなく、「割合が多い」「傾向が強まる」というような、前の言葉を強める言葉なのです。

この2語から生まれた「世知辛い」は、元々「処世術に長けた人」という意味せすが、次第に「勘定高い人」をも意味するようになりました。
更に、そこから派生して「勘定高い世の中」という意味になり、現在のように使用されているのだそうです。

「語源」
「世知辛い」の「世知」は、もともと「世智」と書く仏教用語で、「世俗の智慧(知恵)」という意味です。
世俗の智慧とは、俗世間を生き抜くための世渡りの知恵という意味です。
「世渡りの知恵」がその後、「抜け目のないこと」「打算的なこと」「勘定高いこと」という意味に転じて使われるようになりました。
そして「辛い」は「世知」の意味を強める言葉として添えられているのです。

「三方よし」
世の中を生き抜いてゆくには多少の打算や勘定高さも必要ですが、本当の意味での処世の知恵は常に忘れないようにしたいものです。
処世の知恵は近江商人の「三方よし」の考え方が参考になるかと思います。
「三方よし」とは「商売において売り手と買い手が満足するのは当然のこと、社会に貢献できてこそよい商売といえる」という考え方です。