大阪・熊取地方は、一昨日の降雨と強風によって春霞が一掃され、昨日は遠くまでスッキリ見える清々しい一日でした。
春には霞が度々かかりますが、その発生メカニズムは次のように言われています。
春になって昼と夜の変わり目などの気温差が大きくなると、植物からの水蒸気の放出が活性化します。
それによって、大気中の水蒸気の量が増え、微細な水滴が空気中に漂い、風の弱い日に遠くの景色が霞んで見えるのですが、これが霞や霧の発生原因です。
「大友家持の歌」
霞は文学上によく登場します。
「春の野に 霞たなびき うら悲し この夕かげに 鶯鳴くも」(万葉集 19巻 4290)
【意訳】
「春の野原に霞がでてきて、悲しく感じる。夕暮れの光の中で鶯が鳴いているよ。」
解説では、この歌は、奈良時代の歌人大伴家持が天平勝宝5年(753年)旧暦2月23日(新暦4月半ば頃)に詠んだ言とわれています。
この歌の、「うら」は心のことで、ここでは「うら悲し」をなんとなく悲しいと訳し、更に、夕方の淡い光を「夕かげ」と表現しています。
”春の光景を目の前にすると、ふつうは「春だなぁ」と前向きになるところを、大伴家持は「なんとなく悲しくなった」と表現しているのです。
この時の家持の心のうちに何か悲しい出来事でもあったのでしょうか?
「霞、霧、靄(もや)の違い」
ところで、冒頭にも書いたように、春は遠くの景色がまるで薄雲がかかったようにぼんやりと見える状態、所謂、春霞になることがしばしばあります。
ぼんやり見えるのは、霞以外にも靄、霧などがありますが、その違いについてご存じでしょうか?
そこで調べてみました。
・霞(かすみ)
霞は周囲の景色がぼやけた状態を指す言葉で、その原因は、空気中の水滴やその他の粒子によって視界が悪くなった状態です。
天気予報では霞という表現は使用されませんが、文学上ではよく使われます。
また、霞は昼間の呼び名で、夜は朧(おぼろ)と呼び名が変わります。
・霧(きり)
大気中の水蒸気が微小な水滴となって浮遊し、視界が悪くなる現象をいいます。
湿度が100%近くなると水蒸気は細かい水滴の状態になります。これが霧です。
気象上の定義では、微小な浮遊水滴により視程(水平方向に見通せる距離)が1㎞未満の状態を指します。
なお、地上での視界が100m以下、海上では500m以下になる濃い霧は「濃霧」と呼ばれます。
・靄(もや)
霧と同じもので、空気中の水蒸気が微小な水滴となって浮遊し、視界が悪くなる現象をいいます。
霧との違いは視界が比較的良いかどうかです。 靄は霧よりも視界がよく、濃度が薄い状態のことを指します。
気象上の定義は、微量な水滴が発生しているときに視程が1㎞以上10㎞未満の状態をいいます。
以上を簡単にまとめると、
・視野がきかないときは「霧」
・ある程度見えるときは「靄」
・気象用語ではないが、状態を伝えるための表現は「霞」となります。