らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

洗車雨と七夕伝説

2022-07-05 | 季節

今年の梅雨は殆どの地方で6月29日までに明けました。
梅雨明け後は猛暑日が続いていましたが、大阪では台風4号の影響で漸く平年並みの30度前後まで気温が下がり、天気予報では雨マークも報じられています。
実際、2日の夕方から雨が降ったり止んだりの天候となり、梅雨に逆戻りしたかのような小雨を伴った曇り空が続いています。
予報では、明日の6日も雨マークがあることから「洗車雨(せんしゃう)」になりそうです。

「洗車雨?」
「小雨が降るような天気なら洗車はしないだろう!」
その通りですが、「洗車雨」はそのような意味ではありません。

今日は洗車雨と七夕伝説について調べました。

「洗車雨」
「洗車雨(せんしゃう)」とは、七夕伝説伝で7月6日に降る雨のことです。
七夕の前日、牽牛(彦星)が年に一度の逢瀬に使う牛車を洗うのですが、その水が雨になって落ちてくると伝えられる雨のことをいいます。

「催涙雨」
七夕伝説では、織り姫(織女)、彦星(牽牛)の夫妻は7月7日に年に1度だけ天帝が会うことを許し、天の川にどこからかやってきたカササギが橋を架けてくれて逢うことができるのです。
しかし、当日雨が降ると天の川の水かさが増し、姫(織姫)は渡ることが出来ず、牽牛も会うことが出来ません。
この日に降る雨は催涙雨といわれ、姫と牽牛が流す涙と言われています。
なお、「催涙雨(さいるいう)」は別表記で「洒涙雨(さいるいう)」とも書かれます。


大阪・交野市は「七夕伝説」発祥の地されており、同市に伝わる「七夕伝説」は次のように伝えられています。

「七夕伝説」
天の川の西岸に年老いた一人の神様が住んでいました。
その神様に「棚機津女命(たなばたつめのみこと)」という一人の美しい姫がいました。
この姫は小さい頃から機(はた)を織ることが上手で、いつも雲や霧や霞みの美しい織物を織っていました。
この姫のお陰で下界にはいつも自然の景色に美しい変化が起こったので、下界に住む人々は大層喜びました。
ところが、父神は、姫が年頃になってきたので、いつまでも独りでおくのも可哀そうに思い、良き婿を選んで姫と結婚させようと考えました。
そして、いろいろと男らしい立派な男を求めた結果、天野川の向こう岸にいる牽牛という若者が一番立派で美しかったので、遂に姫の婿にしました。

美しい姫に立派な若者、それは全くの似合いの夫婦でした。
姫は若者を心から愛し、若者も世にも稀な美しい姫を愛しました。
そして二人はただ夢のように父の事も仕事の事もすっかり忘れ、青春の歓喜に酔って幾日も幾日も過ごすようになりました。
しかし、二人の歓喜も長くは続きませんでした。
それは、姫が牽牛を迎えてからは機など見向きもせず、二人で楽しい語らいばかりするようになったため、雲や霧や霞みが少しも織り出されなくなったからです。

天界で一日でも雲や霧や霞みを織らなかったら、地上ではいろいろな物象の障りが起きるのでした。
父神はそれを心配し、時々、姫に機織りだけは中止せぬよう注意しましたが、若い姫と牽牛には父の注意など耳にも入りませんでした。
父神は姫も婿も可愛かったのですが、それよりも自分の支配している天界や自然界に支障が起きては天神に申し訳がないというので、ある日、残酷であったが、二人の仲を割いて婿を元の天の川の東の岸に帰しました。

姫も若者も相愛の仲を割かれるのを悲しみましたが、父の命令では仕方なく、再び天の川の東と西の岸に分かれて住むようになりました。
別れた二人は、互いに川を挟んで恋い焦がれつつ一年の月日を送っていました。
悲しみに明け暮れる二人を不憫に思った父神は仕事に励むことを条件に、年に一度(7月7日)だけ会うことを許しました。
7月7日(七夕)になると父神の命を受けた鵲(かささぎ)が天の川に橋を架け、これを渡った二人は夏の短い夜を楽しく一緒に過ごしたと言います。 (交野市・伝説の河内より)

天気予報では明日の6日は洗車雨が降りそうです。
きっと、牽牛が牛車をきれいに洗っているのでしょう。
そして明後日の七夕当日は晴れの予報となっています。
年に一度会うことを許された7月7日の七夕当日、夫婦仲の良い織姫と彦星が無事に逢えるといいですね。