らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

ご存知ですか?「エルトゥールル号遭難事件」

2023-09-19 | 雑学

先日、9月16日はトルコ(当時はオスマン帝国)のフリゲート艦「エルトゥールル号遭難事件」から133年でした。
「エルトゥールル号の遭難事件」と言ってもご存じない方が多いかも知れません。
この事件は1890年(明治23年)9月16日夜半に、親善訪日を終えて帰路に着いたエルトゥールル号が折からの台風による強風にあおられて、和歌山県串本沖の樫野崎に連なる岩礁に激突し、水蒸気爆発を起こして沈没した事件です。

私は全く知らなかったのですが、10数年前にトルコ旅行に行った時、現地ガイドさんから詳しく聞いて初めて知ったものです。
トルコと言えば親日国家としてよく知られているところですが、実はトルコが親日国になったきっかけがこの遭難事件なのです。
トルコではこの事件のことを学校で教えていることから、子供から大人に至るまでよく知っており、国民の皆さんは至って親日的です。

関西では毎年9月16日の地方ニュースで、追悼式典の模様が報じられるので大阪や和歌山の人はある程度知っていると思いますが、全国ニュースでは報じていないと思うので、多くの国民の方はご存じないと思います。
そこで今日は「エルトゥールル号遭難事件」とはどのような事件だったのかご紹介したいと思います。

 ・和歌山県串本町にあるトルコ軍艦遭難慰霊碑です。 (2015年10月撮影)


エルトゥールル号遭難事件とは、1890年(明治23年)9月16日夜半、オスマン帝国(現在のトルコ)のフリゲート艦エルトゥールル号が和歌山県串本町大島の樫野崎灯台沖で遭難した事件です。

「エルトゥールル号遭難事件の概略」
オスマン帝国(現在トルコ)の木造フリゲート艦エルトゥールル号は日本の皇族、小松宮夫妻のイスタンブール訪問に応えるためと、両国の友好関係の発展と相互理解を期待して派遣された艦船で、1889年(明治22年)7月、イスタンブールから11ケ月をかけ、1890年(明治23年)6月に日本に到着しました。
一行は皇帝親書を明治天皇に奉呈し、オスマン帝国最初の親善訪日使節団として歓迎を受けました。

そして3ヶ月余後の1890年(明治23年)9月16日夜半、帰路に着いたエルトゥールル号は折からの台風による強風にあおられ、和歌山県串本沖、大島の樫野崎に連なる岩礁に激突しました。
座礁したエルトゥールル号は機関部に浸水して水蒸気爆発を起こして沈没、司令官オスマン・パシャを始めとする乗組員587名が死亡または行方不明となる大惨事となりました。

このとき、樫野崎灯台下に流れ着いた生存者は、十数メートルの断崖を這い登って灯台守に遭難を知らせました。
灯台守から通報を受けた大島村(現串本町)樫野の住民たちは総出で救助と生存者の介抱にあたりました。

漁業で生計をたてている村人たちは貧しい生活をしており、台風で出漁できず、食料の蓄えも僅かでしたが、それにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリにいたるまで供給するなどして、献身的に生存者たちの回復に努めました。
この結果、収容された69名が救出され生還することが出来ました。

遭難の翌朝、事件は樫野の区長から大島町長に伝えられ、町長は神戸港の外国領事館に救助を求めて、生存者を神戸の病院に搬送させるよう手配すると共に、県を通じて日本政府に通報しました。
知らせを聞いた明治天皇はこの遭難に大いに心を痛め、政府として可能な限りの援助を行うよう指示したと伝えられています。

こうして遭難者に対する支援が政府をあげて行われ、10月5日に品川港から出航した日本海軍の「比叡」「金剛」の2隻により、生存者たちは翌1891年(明治24年)1月2日にオスマン帝国の首都イスタンブールに送り届けられました。

エルトゥールル号遭難事故はオスマン帝国に大きな衝撃を呼びましたが、新聞を通じて大島島民による救助活動や日本政府の尽力が伝えられ、当時のトルコの人々は、遠い異国の日本と日本人に対して好印象を抱いたといわれています。

以上がフリゲート艦「エルトゥールル号の遭難事件」の概要です。
トルコではこの事件のことを学校で教えていることから、国民の皆さんが親日的であり、日本人旅行者に対しても非常に好意的でした。


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1 コメント

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和歌山沖  (もののはじめのiina)
2023-09-19 09:58:37
> 明治22年7月、イスタンブールから11ケ月をかけ、1890年(明治23年)6月に日本に到着しました。
3ヶ月余後に和歌山沖で台風に遭い、沈没して地元民に69名が救助したことで、いまもトルコと友好関係が良好なのはクイズ等でも出題されたので知ってました。

幕末に伊豆の戸田でロシア軍艦で沈没して助けたことが友好関係に役立つと好いのですが( ^ω^)・・・❔
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/4b52c6a48e67376b21d36b2a9c735105


> 横浜ベイスターズのリリーフカーは日産が提供していたのですね。
日産本社は横浜です。ゴーン氏が逃亡先のレバノンで10億ドルの損害賠償を求める裁判がはじまりました。
救ったハズの日産に多大な報酬を裏操作で搾取して、お互いが遣り合っています。

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