安倍仲麿
昨日、競技かるた日本一を決める名人戦とクイーン戦が、百人一首ゆかりの地である大津市の近江神宮で行われました。
試合の結果は、福井県勢同士の戦いとなった男子の名人戦は、川崎文義名人(28)が、三好輝明8段(33)を3対0で下し、2連覇を達成し、女子のクイーン戦は、福岡県の鶴田紗恵6段(22)が2対0で東京都の坪田翼クイーン(34)を下し、3連覇を阻みました。
この大会は、小倉百人一首の1番目の歌を詠んだ天智天皇をまつる、大津市の近江神宮で行われる新春恒例の行事です。
競技は、100枚の札の中から選ばれた50枚の札を前に2人が向き合い、上の句が読み上げられた瞬間に下の句の札を取り合います。
報道では、大会には、競技かるたを題材にした漫画「ちはやふる」が人気を集めていることを背景に大勢が観戦に訪れ、勝負の行方を見守っていたと言うことです。
百人一首と言えば、私が好きな一首に安倍仲麿(あべのなかまろ)の歌があります。
先日、三笠山の記事を目にしたとき、ふと安倍仲麿の一首を思い出したので取り上げることにしました。
「天の原 ふりさけみれば 春日なる みかさの山に 出(い)でし月かも」 (安倍仲麿)
意訳:天を仰いではるか遠くを眺めれば、月が昇っている。
あの月は 奈良の春日にある、三笠山に昇っていたのと同じ月なのだなあ。
この歌は遥か唐の明州から奈良への望郷の想いを込めて詠われたものです。
安倍仲麿(698年~770年)は19歳の頃、遣唐使として中国の唐へ渡った留学生の一人です。
唐の大詩人である李白や王維とも親交があった安倍仲麿は唐で驚くような秀才ぶりを発揮して、玄宗皇帝のお気に入りとして高位の役人になりました。
しかし、あまりに気に入られたため、日本に帰ることを許してもらえませんでした。
唐にいて望郷の思いがつのる仲麿でしたが、30年を経てようやく帰国を許され、明州(現在の寧波(ニンポー)市)で送別の宴が催された時に詠まれたのがこの歌でした。
玄宗皇帝に気に入られ、中国名「朝衡(ちょうこう)」として50年以上仕えた安倍仲麿ですが、一度帰国を許されたことがあります。
しかし、途中で船が難破して引き返し、結局帰れぬまま唐の地で没したのです。
先日のテレビ番組 「世界!ニッポン行きたい人応援団」 では、 フランスの女学生がかるたが好きと、 「競技かるた」に挑戦し
1回戦で負けると本人もまわりも思ったのに、表彰されるほど勝ち進みました。フランスに帰国後、クラブを設立していました。
かなりな「かるたオタク」でしたが、日本人でさえ百人一首の一部しか識らぬのに相当な博識ですね。
http://www.tv-tokyo.co.jp/nipponikitaihito/
iinaは、大阪時代のテレビ番組「歴史街道」で「ちはやふる」をよく耳にしました。いまも続いているのですか。
> 富士は日本一の山、いや世界一の山です。
あたまを雲の上に出し
四方の山を見おろして
かみなりさまを下に聞く
富士は日本一の山
「富士は日本一の山」 は、唱歌「富士の山」の歌詞でしたね。