らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

万歩計と1日1万歩の根拠

2021-03-11 | 雑学

健康志向の高まりからご夫婦で散歩する人が増えています。
私の愚妻も万歩計を持って歩くように努めていますが、精精、一日3000~4000歩程度のようです。
体力の衰えが進む年代である為、もう少し歩数を伸ばして、健康を維持してもらいたいと思っているところです。

ところで、ウォーキングではスマホでも歩数がカウントされますが、手軽に利用できるのは矢張り万歩計だと思います。
そこで今日は万歩計と目標「1日1万歩」の根拠について調べました。

「歩数計の発明」
ウォーキングの必需品と言える歩数計ですが、歩数をカウントするというアイデアを考えたのは15世紀に活躍した、天才発明家のレオナルド・ダ・ヴィンチと言われています。

日本では江戸時代中期になって、発明家の平賀源内がヨーロッパの歩数計をアレンジした物を、江戸時代後期には伊能忠敬が日本地図を作る際に歩数計のような物を使っていたようだと言われています。
一般の人が使用する歩数計は、東京の山佐時計計器(株)が昭和40年(1965年)に万歩計1号機となる、「万歩メーター」を発売しました。

「一日の目標歩数」
今では「1日1万歩」という目安は正当性を持った数字として証明されているようですが、開発した当時は「1万歩」という数字にあまり根拠がなく、ひらめきに近いものだったそうです。

「1万歩の根拠」
海外の文献では、週当たり2000kcal(1日当たり約300kcal)以上のエネルギー消費に相当する身体活動が推奨されています。
この身体活動をアメリカスポーツ医学協会が提示する式を用いて歩行時のエネルギー消費量を求めた結果、
・体重60kgの人が、
・時速4㎞(分速70m)、
・歩幅70㎝で10分(700m、1000歩)歩いた場合、消費エネルギーが30Kcalとなります。

ここから1日当たり300kcalのエネルギー消費をするためには1万の歩数が必要と算出されたようです。

「日本では」
一方、日本では、厚生労働省が示している健康の指針の一つ「健康日本21(第二次)」で、成人男性9000歩・女性8500歩以上を一日の目安としていますが、現実には、一日平均、男性6794歩・女性5942歩の歩数となっています。

「歩数と健康の関係」
歩数の中に中強度(少し早く歩いたり、軽く走ったり)の活動時間を取り入れると、更に健康増進に有効だということです。
その活動時間と歩数との関係は下記のように示されています。
この表は群馬県の65歳以上の高齢者5000人をを対象に13年間調査した結果をまとめたものです。

歩数と健康の関係
・1日の歩行数    ・その内中強度の活動時間 ・有効と言われている疾病
 4000歩以上           5分以上        うつ病の予防に有効
 5000歩以上           7.5分以上       認知症、心疾患、脳卒中の予防に有効
 7000歩以上           15分以上       骨粗しょう症の予防に有効
 8000歩以上           20分以上       高血圧症、糖尿病予防に有効



崇徳天皇の歌

2021-03-09 | 趣味

数年前の朝ドラで、崇徳院の和歌が出てくる作品がありました。
その和歌は百人一首、第77番の下記の歌でした。

 「瀬をはやみ 岩にせかるる 瀧川の われても末に 逢わんとぞ思う」 崇徳院(詞花集)
(意訳)
川の瀬は流れが速く、岩にせき止められた急流では2つに分かれ、それが再び1つになるように、愛しいあの人と今は分かれても、いつかはきっと再会しようと思っている。 

「崇徳天皇(すとくいん:1119年~1164年)」
この和歌を詠まれた崇徳院は、第75代崇徳天皇のことです。
鳥羽天皇の第一皇子で、保安4年(1123年)に5歳で即位し、1141年までの18年間、第75代天皇として在位しました。
後に近衛天皇(御年2歳)に譲位した後は、鳥羽上皇の本院に対し、新院と呼ばれた方です。
鳥羽上皇の死後、後白河天皇との間で、後の天皇にどちらの皇子を立てるかで対立して保元の乱が起こり、敗れて讃岐(現在の香川県)に流され、45歳で没しました。

崇徳院は讃岐国松山(現在の香川県坂出市)に流された後、後白河天皇を呪い、ヒゲや爪を伸び放題に伸ばして恐ろしい姿になりました。
調べに訪れた朝廷の使いは「生きながら天狗と化した」と報告し、また今昔物語では西行が讃岐を訪れた際に怨霊となって現れたと記されています。

・百人一首第77番、崇徳院の和歌です。


この歌は、崇徳院が1150年に藤原俊成(しゅんぜい:定家の父)に命じて編纂させた「久安百首」に載せられた一首です。
山の中を激しく流れる川の水が、岩に当たって堰き止められ、岩の両側から2つに分かれて流れ落ち、再びひとつにまとまる、その様子を離ればなれになった恋人への想いに重ねて詠っている激しい恋の歌です。

「障害を乗り越えても必ず逢おう」という気持ちが込められた激しく燃えさかる情熱と、強烈な決意のようなものが感じられると言い、更に、後世には、崇徳院の不遇な生涯とこの歌を結びつけ、強引に譲位させられた無念の想いが込められている、と解釈する研究者もいるということです。

 


流水不争先

2021-03-07 | 雑学

「流水不争先(流水先を争わず)」という格言があります。
この格言は、人は心がはやると、人を掻き分け、人を押し退けて先へ進もうとすることによって無理が生じるが、流れる水というものは、争って先を行こうとはしません。
人の心も水の流れにまかせるようにして、その流れに乗っているようにするのが大切だということです。
要するに、企業経営などでは、人を掻き分け、人より先にでて儲けようとしていくと、破綻が生ずることが多いということです。



もっとも、人間には当然のことながら儲けたいという欲望があります。
経営者であれば、当然、会社を発展させて儲けたいということを考えるのが自然の心です。
しかし、心の焦りが生じると無理が生じます。
だから、水の流れのように、その場、その時の状況に応じて自由自在に変化しながら、自然に任せて流れることが大切だというのが「流水不争先」なのです。

このようなことから、多くの企業の経営者がこの格言を「座右の銘」にしているようです。
今日は、先日、某企業のトップが語っていた格言についてご紹介しました。


三島独活

2021-03-05 | 地元紹介

3月1日から来春卒業予定の学生への会社説明会が解禁されて、大学生の就職活動が本格化しました。
今年は昨年と違って、コロナ対策を施して「対面型」の説明会が復活したことに加え、就職状況がより厳しさを増していることから、東京の合同企業説明会会場には大勢の学生が訪れて熱心に話を聞いていました。
コロナ前は学生に有利な売り手市場だった就職戦線も、昨年からコロナで一変し、学生にとっては厳しい「就活」となっています。
内定は来月以降になりますが、希望する会社からもらえるといいですね。

ところで「就活」とか「終活」という言葉はよく聞きますが、「独活」と言う言葉をお聞きになったことがありますか?
今日は「独活」について調べました。

「独活」
「独活」、あまりお目にかからない漢字だと思いますが、何と読むのかご存じでしょうか?
これは「どくかつ」ではありません。「うど」と読みます。
「うど?」
そうです。植物の「ウド(独活)」です。「ウドの大木」という表現に使われる「ウド(独活)」なのです。
「独活」はウコギ科タラノキ属の多年草で、木ではなく草になります。

「名前の由来」
ウドの草丈は2~3メートルにもなり、とても柔らかくて風がなくても自分から揺れて動いているように見えることから、「うごく」から「うどく」に、そして「うど」と訛って名付けられたそうです。
また漢字の「独活」は、真夏頃になると2m以上の大 木となり、大きな葉を広げて風が吹かなくても動いているように見えることから「独=ひ とりでも、活=動く」という事で「独活」の漢字が当てられたということです。

・三島独活です。(ネットより)


「三島独活(みしまうど)」
大阪府茨木市には「なにわの伝統野菜」に認定されている「三島独活」あります。
三島独活は江戸時代から継承されている伝統農法で栽培されるのが特徴なのだそうです。
その農法とは、独活小屋に並べた独活の株の上に、わらと干し草を重ね、発酵させた熱を利用し、温度を保つことで独活を育てています。
一切外気に触れず、わらと干し草を押し上げて育つため、一般的な軟白ウドと比べて、色が白く、アクも少なく、柔らかくてみずみずしくて甘いと言われています。

ただ、この伝統農法には高い技術が必要であるため伝承が難しく、現在は熟練の三島独活農家から技術を継承した千提寺の中井さん一人が生産・販売しているのだそうです。

「慣用句」
「独活の大木」と言う慣用句があります。
その意味は、ウドは新芽の時には香りも良く食べられますが、成長して3メートルほどになると固くて食べられなくなり、材木としては柔らかすぎて折れやすく何の役にも立ちません。
そこから、大きくて役に立たない人のことを譬えて云うようになったのがこの慣用句です。


金鶏伝説

2021-03-03 | 趣味

日本各地にはいろいろな伝説があります。
島根県雲南市にも「金鶏伝説」があるようです。
この伝説を知ったのは、先日の民放の番組の中で紹介されていたことからです。
伝説好きの小生のこと、すぐにこの伝説を調べることにしました。

「金鶏伝説」
金鶏伝説とは、その昔、八重山の岩窟に住んでいた鷲尾猛(わしおのたける)という邪神が金の鶏を使って住民を苦しめていたのをスサノオ(素戔嗚)が退治したというものです。

島根県雲南市の八重山に、イザナミとアマテラスをお祀りした「八重山神社」があります。
神社の背後は大きな崖の壁となっており、崖を仰いで見ていると、宮の左上の方に「金鶏の岩屋」という額が掛かっています。
邪神の鷲尾猛と金鶏はこの岩屋に住んでいたということです。

伝説では、その岩屋は八重山を貫いて、山の反対側にある竹之尾地区に口を開けており、その口から鷲尾猛の尾が見えていたのだそうです。
この鷲尾猛が金鶏を使って悪さをしていることが、ヤマタノオロチを退治して救い出した稲田姫と、出雲に向かう途中のスサノオの耳に入りました。
スサノオはヤマタノオロチに続いて鷲尾猛をも退治してイザナミとアマテラスを奉ったところ、以来、金鶏は村人に幸いをもたらした。
という伝説です。

・金鶏の岩屋です。画像中央下部に「金鶏の岩屋」の額が掲げられています。(ネットより)


「八重山神社」
八重山神社には山陰地方で最古の狛犬と言われる「異形狛犬」があります。
その狛犬は、「人間の身体に獣の手足を持ち、顔は龍のような、物の怪のような姿」をしていると言われています。
この像は1713年(正徳3年)に、石見銀山の五百羅漢を彫った作家の坪内平七郎利忠が17歳の時の作で、材は石見銀山近くの福光石を使用しています。

・八重山神社の「異形狛犬」です。(ネットより)


・阿形・吽形の異形狛犬です。(ネットより)


更にこの神社は牛馬の健康祈願で栄えた神社だそうで、今でもペットの健康を祈ったり家内安全を祈願する神社として知られています。
牛馬の神様とされる由来は、この辺りは古くから「たたら製鉄」が盛んな地域で、たたら製鉄の原料となる砂鉄や炭を運ぶのに、牛馬は欠かせなかったことからと言われています。
本殿の横に昭和28年に寄贈された牛のブロンズ像が奉納されているそうです。


愚痴の語源

2021-03-01 | 雑学

歳をとると愚痴を言ったり、聞いたりすることが増えませんか?
愚痴は、物忘れ、短気と並ぶ年寄りの特徴の一つだそうです。
そういえば年寄りの人が、言っても仕方ないことをぶつぶつ言っているのをよく耳にすることがありました。
この愚痴ですが、語源は仏教用語からだということなので調べてみることにしました。

「語源」
「愚痴」の語源は、サンスクリット語のmoha(モーハ)で、意味は、真実に暗い、つまり無知、バカということです。
このモーハという語が中国で「愚痴」と意訳されて日本に伝わり、言ってもしかたないことを言う、つまりバカみたいな発言を意味するようになったようです。

「愚痴」
仏教でいう「愚痴」は、愚癡(ぐち)とも表記し、仏の智恵に暗いことや衆生の根本的無知をさし、私たちが考えるバカ、即ち、物覚えが悪いとか、空気が読めない、などのことではありません。
因果律(いんがりつ:原因がなくては何ものも生じないという法則。)が解っているかどうかということです。
つまり、自業自得が本当の意味で分かってない心を愚痴といい、具体的には「うらみ」「ねたみ」「そねみ」の心をいいます。

「愚痴」は仏教では、数ある煩悩の中でも「貪欲(とんよく)」「瞋恚(しんに)」と並んで三毒と名付けられる最も根強い煩悩であり、仏道を歩む者にとって克服しなければならないものだそうです。

愚痴をこぼす人は、こぼしても状況が好転する見込みもないのに、くどくどと嘆き話します。
話す本人はいいですが、聞かされる相手は堪ったものではありません。
愚痴をこぼすのは、物事の道理を知らず、自身の無知や迷っている状態を自ら表明していることになるので、十分気を付けたいものです。