らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

かぎろい

2024-02-09 | 雑学

「陽炎・火光」、この漢字を何と読みますか?
「陽炎」は「かげろう」と読みますよね。
しかし、「かぎろい」とも読むようです。
広辞苑で「かぎろい」を調べると、「陽炎・火光」と書いていました。
そして、その説明には、①日の出前に東の空にさしそめる光。②かげろう。③ほのお。と書かれていました。

「かぎろい」
「かぎろい」という言葉はあまり聞かないかと思いますが、「かぎろい(陽炎・火光)」とは、冬の寒さの厳しい明け方、日の出前の東の空に見られる、茜色で薄紫色のような彩のある色光のことで、水蒸気に太陽光線が乱反射して起こる珍しい現象です。
私は早朝ウォーキングをしているので日の出前の東の空を注意して見ているのですが、なかなかお目にかかれません。
そこで、十数年前に飛行機から撮影した画像をアップしておきます。
この時はとても綺麗な茜空でした。

・これは十数年前に飛行機から撮影した「かぎろい」です。


「かぎろいを詠んだ万葉集」
「かぎろい(陽炎・火光)」を詠んだ柿本人麻呂の歌がありますのでご紹介します。

      「東の 野に炎の 立つ見えて 顧みすれば 月西渡(つきかたぶ)きぬ」   柿本人麻呂 (万葉集 第一巻48)
  読み:(ひんがしの のにかぎろひの たつみえて かへりみすれば つきかたぶきぬ)
  
この歌は、西暦692年(持統天皇6年)の太陰暦の11月17日午前6時ごろ、阿騎野(あきの)と呼ばれる地(奈良県宇陀市大宇陀区)に、当時9歳の木梨軽皇子(きなしのかるのみこ:後の文武天皇)とともに狩に随行した柿本人麻呂が早朝の東の空の「かぎろい」を見て詠んだものです。

歌は、東の方の山の斜面、そこに日の出の光が差し始めていて、さて、振り返って見ると、月がもう入ろうとして傾いていた、と言う単純な風景を詠んだものですが、実は月が沈むかのように父である草壁皇子はお隠れになったが、そのあとを継ぐ軽皇子が太陽となってこの世を照らそうとしているのである、という意味なのだそうです。

「かぎろい」は冬に見られる、日の出の1時間ほど前に空が赤く染まる自然現象です。
寒い朝に冷え込めば冷え込むほど出現率が高く、快晴であることも条件とされています。
でも、冷え込んでいない時や秋や春でも見られるようです。
日の出前にウォーキングなどされる場合は東の空にご注目ください。


笠岡の方言での新聞投書

2024-02-07 | 地元紹介

故郷(岡山県笠岡市)に在住の高校時代のクラスメートから時々LINEが入ってきます。
そのLINEではふるさとの情報を知らせてくれるのですが、先日、笠岡弁で新聞のコラム欄に投書されていた記事を送ってくれました。
この記事は60歳代後半の男性が投書したもので、全文方言を使用して書かれていました。
クラスメートの彼は多分、私には懐かしいだろうと思って送ってくれたのだと思います。

私は故郷を離れて60年以上経っており、今ではすっかり大阪人になっていることから、笠岡弁や岡山弁を話すことは全くないのですが、記事を読むと矢張り懐かしさは蘇ってきます。
しかし、子供の頃には平気で話していたその言葉も、今では何となく抵抗感があるのも事実です。

そこで今日は私の故郷の言葉で投稿しているその記事をご紹介したいと思います。

「方言での投書記事」
題目「東京のタワマン別世界じゃ」                   
こねえだ、わしの幼なじみに笠岡駅でばったりおうたんじゃ。何十年かぶりの再会じゃ。
会社を二つ持っとって、今ぁ東京に住みょうるんじゃと。
「わしの家に泊まりにけぇ。水着も持ってけえよ。」ゆうてくれたんじゃ。
東京にゃあ、これも何十年も行ってねぇ。1人じゃよういかんけえ、友達を誘って行ったんじゃ。
せえにしても、なんで水着がいるんかと思ぅたけど、水着を抱えて行ったがな。
彼の家にちいたら、わしも友達もびっくりじゃ。
港区の40階の超高級タワマンじゃ。エントランスにゃあ滝が流りょうる。
天井はたけえし、床はこれまた大理石じゃ。
部屋からあ、東京タワーや東京スカイツリー、遠くに富士山も見えるがな。
せえから「水着をもってけえ」ゆうた訳がようよう分かったんじゃ。
マンションのなけぇ温水プールがあるがな。
何か別世界に来たようじゃったがな。2人には感謝じゃ。
へえでも、やっぱりわしにゃ笠岡の我が家が一番ええわあ。

岡山県笠岡市の方言での投書ですが、意味が分かりましたでしょうか?
解らなかった方は下記をご参照ください。
標準語訳を記しています。

「標準語訳」
題目「東京のタワマンは別世界」
この間、私の幼なじみに笠岡駅でばったり会ったんだ。何十年かぶりの再会だった。
彼は会社を二つ持っていて、今は東京に住んでいるそうだよ。
「私の家に泊まりに来てくれ。水着も持って来いよ。」と言ってくれたんだ。
東京には、何十年も行っていないのです。1人では行けないので友達を誘って行ったのです。
それにしても、なんで水着が要るのかと思ったけど、水着を持って行きました。
彼の家に着いたら、私も友達もびっくりしました。
港区の40階の超高級タワマンでした。エントランスには滝が流れていたのです。
天井は高いし、床はこれまた大理石でした。
部屋からは、東京タワーや東京スカイツリー、遠くに富士山も見えていたのです。
それから「水着を持って来い」と言った訳が漸く解ったのです。
マンションの中には温水プールがあるではないですか。
何か別世界に来たようでした。2人には感謝です。
それでも、やっぱり私には笠岡の我が家が一番いいです。

このような意味の投書でした。

子供の頃に使用していた笠岡弁の言葉です。
懐かしい反面、大阪人となって久しい私には、今聞くと少し違和感を覚えます。
でも、「言葉の訛りはお国の手形」と言いますから、故郷の人にとっては大事にしたい方言でもあります。


立春大吉

2024-02-05 | 季節

昨日は立春でした。
立春の日に『立春大吉』と書いた紙を玄関に貼ると厄除けのおまじないになるとの風習があります。
この風習は、元々は禅寺で新しい年の始まりの日に、1年の厄除けの願いを込めて、「立春大吉」の御札を貼ったことから、おまじないとして広まったといわれています。

「立春大吉の由来」
立春大吉という文字を縦に書いて中央に線を引くと左右対称の文字であることに気づくと思います。
この「立春大吉」という四字を和紙に墨で書き、玄関などに貼っておくと、万が一、悪い鬼が家に入ってきても、外から見えていた「立春大吉」と同じ文字が読めて、「まだ家の外だったのか」と勘違いして、外に出て行ってしまうという言い伝えから、「立春大吉」の文字が厄除けとして使われるようになったと言われています。
鬼を退治するのではなく、勘違いさせて出て行ってもらうという面白い風習です。

               

立春大吉のお札は禅寺から入手できますが、自分で用意することも可能です。
半紙や和紙に、墨で「立春大吉」と書き、立春の2月4日から2月19日までに玄関や子どもの勉強部屋、大切な部屋の入り口などへ、のりや両面テープを使って貼りつけます。
外へ向けて、目より高い位置に貼るとよいようです。

「玄関に貼る場合」
立春大吉のお札は外から見たときに玄関に向かって右側もしくは玄関の真ん中に、目線から上の位置に貼るのがよいとされています。
玄関の内側に貼る時は、内側から玄関を見た場合は左側に貼ります。
真ん中に貼れる場合は真ん中でもOKです。

「貼る期間」
毎年立春の日から雨水までに貼ります。
今年は2月4日から2月19日の雨水の日までに貼るとよいとされています。
貼る期間は次の年の立春にその年のお札に貼り替えるまでずっと貼っておきます。

なお、立春以外に貼ってもよいのだそうです。
例えば新しい家に引っ越す場合や、新しいビジネスを開始する場合には立春の時期以外でも貼って良いとされています。


雪中四友

2024-02-03 | 

今日は節分です。
節分に恵方を向いて恵方巻を食べるという風習は大阪から始まったものですが、今や全国に広がっているようです。
恵方とは、その年の福徳を司る歳徳神(年神様の別称)のいる方角で、その方角に向かって事を行えば何事も吉とされており、今年の恵方は東北東になります。
そして、節分の翌日の明日は立春で、暦の上では春になります。
しかし、例年、春とは名ばかりで、立春を過ぎても寒い日が続き、まだまだ氷点下まで冷え込む日が多く、春を感じられるのはもう少し先になります。
そんな厳しい寒さに耐えながら花を咲かせる、「雪中四友(せっちゅうのしゆう)」という4種の花があります。

雪中四友」
「雪中四友」とは、中国で古来より文人画に好んで描かれた早春に咲く、梅、蝋梅、水仙、山茶花を指す言葉です。
中国には職業画家の描いた絵を技法に走ったものとして批判し、文人(学問を修め文章をよくする人)が描いた絵を精神性が表出したものと高く評価する考えがあります。
雪中四友と言われている玉梅、臘梅、水仙、山茶の何れの花も、雪中や厳寒であってもよい香りをいっぱいに漂わせて咲く美しい花として評価されているものです。

1.「梅」
梅はバラ科サクラ属の落葉高木で、早春を代表する花として古くから日本人に愛されています。
今ではお花見と言えば「サクラ」の花ですが、奈良時代には中国から梅が輸入され平安貴族に好まれたことから「花」といえば「梅」をさしていました。
梅は爽やかな花の香りがあり、好文木(こうぶんぼく)、春告草(はるつげぐさ)、木の花(このはな)、初名草(はつなぐさ)、香散見草(かざみぐさ)、風待草(かぜまちぐさ)、匂草(においぐさ)などと、さまざまな別名で呼ばれることがあります。

2.「蝋梅」
蝋梅はロウバイ科、ロウバイ属の落葉低木で、「唐梅」(からうめ)、「南京梅」(なんきんうめ)の別名があります。
花径2cmほどの小さな花をうつむき加減に咲かせるので、華やかさはありませんが、よく見ると蝋細工のような花がとても愛らしく、その香りは素晴らしいものです。
花に気がつかなくても香りで近くに蝋梅が咲いていることに気づくほどです。

・学名・英名の通り、冬に咲き、甘い香りが漂う蝋梅の花です。

3.「スイセン」
スイセンは、ヒガンバナ科スイセン属の多年草で、冬になると甘く芳しい香りを漂わせます。
 雪の中で春の訪れを告げるので、別名「雪中花」とも呼ばれています。



4.「サザンカ」
山茶花はツバキ科、ツバキ属の常緑広葉樹で、秋の終わりから冬にかけて開花します。
山茶花は中国語で椿類一般をさし、サザンカという名称は、「山茶花」の漢字表記をそのまま読んだ「さんさか」がなまって「さざんか」となり、定着したと言われています。



「雪中四友」のどの花も、寒い季節に咲く貴重な花です。
これらの花は、寒さに縮こまった人の気持ちを和ませてくれるような優しさや清々しさをもった美しい花です。
散歩の途中で見つけられたら、歩を留めて愛でてみられてはいかがでしょうか?


夫婦善哉

2024-02-01 | 雑学

関西では、肌寒い時期になると粒あんで作った「ぜんざい」がよく食べられます。
大阪で「ぜんざい」といえば、道頓堀にある有名な「夫婦善哉(めおとぜんざい)」の名前のお店がすぐに思い浮かびます。
このお店は、大阪ミナミの法善寺の「水かけ不動」さんの隣りにあります。

・夫婦善哉のお店です。


「夫婦善哉」
大阪・道頓堀のぜんざい店・「夫婦善哉」の始まりは、明治16年(1883年)に法善寺境内の藤の棚の下で、浄瑠璃語りの竹本琴太夫が副業としてはじめた「めおうとぜんざい」からと伝えられています。
そして、夫婦善哉が世間に広く知られるようになったのは織田作之助の小説「夫婦善哉」と同名の映画に登場してからということです。

このお店で「ぜんざい」を注文すると2杯出されます。
その謂れは小説の中で、
柳吉が蝶子に「ここのぜんざいはなんで、二杯ずつ持って来よるか知ってるか、知らんやろ。こら昔何とか太夫ちゅう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、一杯山盛にするより、ちょっとずつ二杯にする方がぎょうさんはいってるように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや」と語ったことからで、創業以来それを守ってきているのだそうです。

また、一人前を2つに分けた方がたくさん入っているように見えるという目の錯覚もあって、これが大ヒットとなったそうです。
正に、お得感を売りにした、商人の町・大阪らしい発想だったようですね。

・これがその夫婦善哉です。


「ぜんざいの由来」
ところで「ぜんざい」の由来には2説あるようです。
一つには、出雲地方の神事「神在祭(かみありさい)」で振る舞われた「神在餅(じんざいもち)」を由来とする説で、「神在餅」の「じんざい」が訛り、「ぜんざい」へと変化したと言う説です。
島根県松江市の佐太神社のホームページには、
11月25日の神々をお送りする「神等去出(からさで)神事」では、神前に供えていた餅と小豆を一緒に煮て小豆雑煮を作り再び供えていました。
これを「神在餅(じんざいもち)」と呼び、この「神在餅」が転化して「ぜんざい」になったといわれているもので、佐太神社がぜんざい発祥の地とされています。

そしてもう一つは
仏教用語である「善哉(仏典では実に良いといった意味)」にちなんだ説で、一休宗純が最初に食べたとされ、あまりの美味しさに「善哉(よきかな)」と叫んだとする説です。
出雲から京都にもたらされたぜんざいを、大徳寺の住職が一休さんにふるまったところ、そのうまさに感激した一休さんが、「善哉此汁(よきかなこのしる)」と言ったそうです。
その仏教用語の使い方のうまさに感心した大徳寺の住職が、この話を広めたと伝えられているものです。

どちらの説かは兎も角、甘党の方にとってはおいしい善哉をお腹いっぱい食べたいですよね。
私も甘党なので家内に時々作ってもらっています。
でも、私は糖分も体重も気にしなくてもよい体質なのでいいのですが、糖分を抑制している方やダイエット中の方は甘い誘惑に負けないでくださいね。