何ヶ月ぶりだろう。自宅にこんなに人を呼ぶのは。
山口から引っ越してきて半年を過ぎ、すっかり寒くなった11月。黄色く美しく色づいていた庭のもみじが、いつのまにかすっかり落ちてしまって、ゆっくり秋を感じる余裕がなかった。いや、余裕がなかったのは、私の心、、なのかもしれない。庭を眺める余裕、秋空を仰ぐ余裕、落ちた葉を拾う余裕。もみじの落ちるのをゆっくり眺めることができないほど、忙しい日々ではなかったはずなのに。
今日は長女の通う小学校の学年委員さんを、初めて我が家にお呼びした。2学期すぐに開催されたバザーの後、すっかり暇になって、なかなか会う機会がなくなって、みんなも寂しく感じていたのか、「行く行く!」の返事に、久しぶりに緊張してみたり、念入りに掃除してみたり。
子どもを合わせて11名が集った我が家のリビングは、所狭しという感じではありつつも、あったかくてわいわいがやがや、午前中から昼下がりまで盛り上がった。
バザーの打ち合わせで、学校の集会室だったり、交流を兼ねてレストランへ行ったりもしていたのだが、どことなくよそよそしく、皆が遠慮している感じがして会話も弾まない時が多かった。でも今日は、人が住んでいる「家」の中だからか、みんなで手作りした鍋やら炊き込みご飯やら、漬物やらを囲んだからか、ほかほかあたたかくて、ゆあんゆあんとした雰囲気だった。誰に気兼ねすることもなく、心配していたようなし~んとする瞬間もなく、話も和んで、時間が足りないくらいしゃべって、だべって、食べた。みんなが笑顔で、みんなが発言して、落ち着いた会だった。
長女の2歳の時、訪問販売の下着の仕事をしていた時に教わったことがある。
「人と親しくなる方法。コーヒーなどを飲む<食事をする<一緒に泊まるほどに、関係が深くなり、信用に結びつく。」
仕事の場合、「泊まる」まではなかなか実現できないが、一緒に口を動かす(つまり、食事をする)ことは、その人とより近づくために使える方法なのだと。
これは、人と会う仕事以外に、日常でも使える技だ。そしてこの技は、誰しもが意識せずに使っている、コミュニケーション力の一つであるのだが、なかなか発展しない関係性の場合は、その関係を下手に避けるのではなく、積極的に使うことで効果が上がる。食事という儀式の中で、相手に口の中を見せる、食べる姿を見せるという行為には、相手を受け容れ、また自分をさらけだすという意味合いが込められているらしい。コーヒーでは口の中まではなかなか見えないけれど、ご飯を食べる時は、口をすぼませて食べることができないものね。互いが無防備。だからこそ、親しみが沸くのだろう。
今回の場合、「自宅」という社会からある意味閉鎖されている場所で、誰に気兼ねすることなく、外部の施設や人に気を遣う必要がない場所であることがなおさら、和気藹々とした雰囲気に影響していることは言うまでもない。
人と人との摩擦に怖がる人もいるだろうけれど、「捨てる神あれば拾う神あり」で、そこではないどこかに受け容れてくれるところが一つでもあればいいと思う。そりゃ、その「どこか」が私であれば、とっても嬉しいけど。
今日は、久しぶりに充実した日だった。日々の迷いも、暇だから出てくるんだろうな、と反省した。
あと、酒があればもっといいけど!!??
山口から引っ越してきて半年を過ぎ、すっかり寒くなった11月。黄色く美しく色づいていた庭のもみじが、いつのまにかすっかり落ちてしまって、ゆっくり秋を感じる余裕がなかった。いや、余裕がなかったのは、私の心、、なのかもしれない。庭を眺める余裕、秋空を仰ぐ余裕、落ちた葉を拾う余裕。もみじの落ちるのをゆっくり眺めることができないほど、忙しい日々ではなかったはずなのに。
今日は長女の通う小学校の学年委員さんを、初めて我が家にお呼びした。2学期すぐに開催されたバザーの後、すっかり暇になって、なかなか会う機会がなくなって、みんなも寂しく感じていたのか、「行く行く!」の返事に、久しぶりに緊張してみたり、念入りに掃除してみたり。
子どもを合わせて11名が集った我が家のリビングは、所狭しという感じではありつつも、あったかくてわいわいがやがや、午前中から昼下がりまで盛り上がった。
バザーの打ち合わせで、学校の集会室だったり、交流を兼ねてレストランへ行ったりもしていたのだが、どことなくよそよそしく、皆が遠慮している感じがして会話も弾まない時が多かった。でも今日は、人が住んでいる「家」の中だからか、みんなで手作りした鍋やら炊き込みご飯やら、漬物やらを囲んだからか、ほかほかあたたかくて、ゆあんゆあんとした雰囲気だった。誰に気兼ねすることもなく、心配していたようなし~んとする瞬間もなく、話も和んで、時間が足りないくらいしゃべって、だべって、食べた。みんなが笑顔で、みんなが発言して、落ち着いた会だった。
長女の2歳の時、訪問販売の下着の仕事をしていた時に教わったことがある。
「人と親しくなる方法。コーヒーなどを飲む<食事をする<一緒に泊まるほどに、関係が深くなり、信用に結びつく。」
仕事の場合、「泊まる」まではなかなか実現できないが、一緒に口を動かす(つまり、食事をする)ことは、その人とより近づくために使える方法なのだと。
これは、人と会う仕事以外に、日常でも使える技だ。そしてこの技は、誰しもが意識せずに使っている、コミュニケーション力の一つであるのだが、なかなか発展しない関係性の場合は、その関係を下手に避けるのではなく、積極的に使うことで効果が上がる。食事という儀式の中で、相手に口の中を見せる、食べる姿を見せるという行為には、相手を受け容れ、また自分をさらけだすという意味合いが込められているらしい。コーヒーでは口の中まではなかなか見えないけれど、ご飯を食べる時は、口をすぼませて食べることができないものね。互いが無防備。だからこそ、親しみが沸くのだろう。
今回の場合、「自宅」という社会からある意味閉鎖されている場所で、誰に気兼ねすることなく、外部の施設や人に気を遣う必要がない場所であることがなおさら、和気藹々とした雰囲気に影響していることは言うまでもない。
人と人との摩擦に怖がる人もいるだろうけれど、「捨てる神あれば拾う神あり」で、そこではないどこかに受け容れてくれるところが一つでもあればいいと思う。そりゃ、その「どこか」が私であれば、とっても嬉しいけど。
今日は、久しぶりに充実した日だった。日々の迷いも、暇だから出てくるんだろうな、と反省した。
あと、酒があればもっといいけど!!??
仕事にぶち当たると、「あゆみんだったらどうするかな?」って思うことがあるよ。
ワタシデス・・