ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

八戸三社大祭

2007年07月09日 | 子ども
サーヤが、太鼓の練習に行っている。つい先週から。
太鼓?腹太鼓?
いえいえ、確かに、腹はいい腹してますが、腹太鼓ではありません。
お祭りにたたく、太鼓のことです。
お祭り?ねぶた祭り?
いえいえ八戸のお祭りはねぶたではなく、「八戸三社大祭」と申しまして、高さおよそ数メートル(ビルの3階くらいまでに達するものもあるとか)の山車で、神社から出発し、神社へ還るというお祭りです。

この「八戸三社大祭」は・・・・
以下、八戸市HPより抜粋

~~~およそ280年の歴史と伝統を誇る八戸地方最大のお祭りで、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
 毎年7月31日から8月4日までの5日間の華やかな山車絵巻が繰り広げられます。 この祭の見どころは、8月1日と3日の両日、おがみ神社・新羅神社・神明宮の三神社の神輿行列と、神話・伝説・歌舞伎等を題材に、各山車組が制作した27台もの山車の合同運行です。豪華絢爛で、大きな山車が沿道を通る度に、沿道は見物客の歓声に包まれます。 また、7月31日の前夜祭、8月2日の夜の山車合同運行、8月4日の後夜祭は、夜に山車の展示や運行が楽しめ、北国の夜空を焦がす熱気を堪能することができます。 太鼓の連打と絶え間ない笛の音色、更には、子供たちの元気いっぱいのかけ声が独自の情緒を醸しだすこの豪華絢爛な山車まつりを、是非一度ご覧ください。~~~

サーヤは、この山車の上に乗り、太鼓とお囃子をするというわけなのです。
しかし、小学低学年で出演できるのかは、まだ定かではないのですが、サーヤの入っている組は人数が少ないため、出演する可能性があります。観に来てぇ。

この太鼓に参加することになったのには、偶然の出会いからでした。
その日、サーヤはなんだか元気がありません。学校から帰ってきて、宿題をして、それが終わる頃、ポツポツと話し始めた内容は、負けず嫌いのサーヤにはさぞかし悔しかっただろう内容でした。毎日頑張っていた音読。大好きな国語の授業中、全校朝会の音読発表に出る人を決める審査の時のこと。クラスの中の音読発表希望者が、音読をします。サーヤの番になりました。その時、声がかすれてしまったというのです。そして結果は、選出されなかったというもの。そのことに、とても悔しかったと泣きながら話してくれました。
人生、いつでも順風満帆ではありません。いえ、自分の思うとおりに行かないことの方が多いのが人生です。そのことを、サーヤは一生懸命に生きている今、学んでいる所なのです。だから、サーヤの悔しい思いも、どうしようもならない無念も、人生の先輩として冷静な気持ちで見つめつつ、彼女のその思いを受け止めてあげようと、冷たい言動をしそうになる気持ちを抑えつつ、ゆっくりゆっくり話を聞いてあげました。でも、彼女の涙は止まりそうにありません。そこで、提案しました。今この状態から脱出する方法を。これ以上、この子の気持ちに応えていられない!と思ったし、これ以上聞いていたら、きっと余計な言葉を発してしまいそうだったからです。サーヤのためというよりは、親である私の切り替えのための提案でした。
提案した対策は、以下の6項目。
①牛乳を飲む 
②ママがサーヤにちゅーする
③ママがサーヤを舐める
④ぎゅっと抱きしめる
⑤おっぱいを飲む、ふりをする
⑥二人で散歩する

サーヤは、涙のたまった目で、上から4つは嫌だといい、⑤か⑥と言いました。
すると私は、⑤はどうかなぁぁぁ???変じゃない???とアドバイス。6時を過ぎた薄暗い中を、散歩することになりました。ちょうどエリーが眠っていたからです。

その散歩の中、ドンドン・ドンドンと太鼓の音が聞こえてきます。その音に誘われて、サーヤも足早になって「太鼓、観にいきたい!」と言い出したかと思ったら、もう小走りになっていたのです。太鼓の練習場所では、学校の知人がおり、その人からサーヤは太鼓をたたいてみないかを誘われた、というわけです。
なんとも、素敵な出会いでしょう!!
さっきまで暗く、悲しい顔をしていたサーヤの顔が、ぱーっと明るくなりました。そして、少し上のお姉さんたちに教えてもらいながら、バチで太鼓をたたき始めます。

夜の8時、迎えに行った私は、数時間前のサーヤとは別人みたいになったサーヤを見ました。なんとも清清しい、なんとも爽やかな、初夏の空気を体いっぱいに溜め込んだ妖精のように見えました。羽、生えてたよ。ほんとに。心の羽が。
その妖精は、帰り道こう言いました。
「ママー、お腹すいたーーー!!!」
今のお腹すいたの言葉は、嬉しい言葉だったよ。いい機会をいただけた偶然に、感謝だね。

そして、この日以来、毎日夜の6時から8時まで、太鼓の練習に行っています。座布団やら太鼓やらの準備から片づけまで、すべて子どもたちでします。練習場のすぐ隣では、山車小屋があって、そこでは山車の作成が夜遅くまで毎日続けられています。
笛を吹く人や大太鼓の人は、皆中高生のお兄ちゃんお姉ちゃんたちです。そんな多世代のかかわりも自然と溶け込むこの土地が、とても素敵に思えます。そして毎日、帰ってくるサーヤの顔は清清しい限りです。こんな伝統的なお祭りに参加できるとは思っていなかったけれど、一つのことに一生懸命になれるって、素敵なことだね。
こんな達成感と、成功例をたくさん積み重ねて、自信が持てる大人になってほしいと願う母でありました。
・・・というわけで、お友だちにもすぐにお誘いをかけてしまう。自分に自信をつけるには、自分の力で何かを達成させてあげることの積み重ね、だと思うものですから、ついよその子まで巻き込んで・・・。うふ

種差海岸

2007年07月08日 | 子ども
よく晴れた日曜日。
今日は、八戸市内から10キロほど離れたところにある、美しい海岸へ足を運びました。

「たねさしかいがん」種差海岸という名のその海岸は、ごつごつとした岩場のある海岸で、海辺にまるで大入道の出てきそうな感じのする黒い大きな岩が迎えてくれました。

道路から岩場に降りるまでの間の数100メートルには、松がそびえ、芝生が一面を覆っています。芝生の緑の向こうに水平に、真っ青な海と水色の空が見え、それは絶景です。
海岸に植林された松は、昔、日本中の海岸線に暴風林として植えられた時のものだそうです。現在の日本では、埋め立てなどで現存する松林の海岸は少なくなってきているとか。貴重な、昔の風景を思わせる海岸なのです。

ごつごつとした岩場に降りた私たちは、時間を忘れて海の生き物たちの散策をしました。カニ、子ガニ、タニシ、ヤドカリ、魚、ちっちゃいウニ!、そしてこれまたちっちゃいイソギンチャクの仲間。
小さなピンクのバケツに入れられた生き物たちは、狭い海に少々戸惑い気味でした。
持ってかえっていいのかどうか分からなかったので、とりあえず取ったものから選抜された一同が、我が家へ・・・。
ちっちゃいウニは、また今度。そうだね、3年後には食べられるかも?とか言いながら帰りました。しかし、ほんとに3年後に採ったら、密漁ですから・・・。

記念の生き物たちは、いったい何を食べるんだろう?
くたくたになったサーヤとエリーは、いったいいつそれを調べるんだろう?
ま、お任せしときましょう。
どうするかは、自分で考えてくれーーー。
親の責任は、許すことのみ!かな。




子育て広場 となりんち

2007年07月06日 | 子育て広場「となりんち」
★夏休みのおしらせ★
 8月10日(金)と8月17日(金)の両日は、お盆前後のため、お休みします。お間違いのないように、よろしくお願いします。


★7月6日のとなりんち★

今日もたくさんのご参加です。
たたみ20畳以上もあるこのスペースも、なんだか狭く感じてきました。

いろんな世代の子ども、いろんな世代の親、そしてすぐに仲良しになれる子どもたち、なかなか気の合わない子どもたちが、時間とともにずいぶんと上手に遊べるようになってくる姿に、安心します。
いろんなトラブルは、これから生きていくための訓練。
好きな子も、苦手な子も、自分で選べないこんな場所があることが、この子たちのためになりますように。
私たち親にとっても、鍛えられる場でありますように。

「育児」は「育自」と言われています。
親をやっていると、今まで生きてきた自分の姿を試されているような過酷な場面にさらされる時が多々あります。今まで自分ひとりで生きてきたように見せている自分が、わが子によっていとも簡単に否定されている気がする時もよく遭遇します。
今までの自分は、大人になるまでの自分。
これからの自分は、大人として成長する自分。
本物の自分は、子育てから始まる気がしてなりません。

今までの自分は、苦手な人とは付き合わなくても、それで自分の世界は守れたけれど、子どもを通しての世界では、そうもいかなくなっていく。子どもおかげで出会えた、今までの自分の周りには置かなかったような人たちとの出会いは、私にとってかけがえのない出会いです。そして、そんな出会いが、新しい自分とも出会わせてくれているこの場に感謝です。

また来週、会いましょう。
そして、まだ会ってない方々も、お待ちしています。

あなたは 充分よくやっているよ

2007年07月04日 | これも自分あれも自分
みんなみんな、いつでもどんな時でも、その時の最善の方法で、賢く生きている思う。

それは、そうしなければ自分を守れないから。

私たちは苦しい時に苦しい選択をし、本当は言いたくもない嫌な言葉を吐き、自分の本心とは裏腹なことをしながら、自分の命を守るために生きている。

どこかおかしいなと、心の奥で感じながら。
どこか絡まってるな、と思いながら。
どこか気持ちがすっきりしないな、と思いながら・・・。

そういう、自分にとって嫌であろう態度で生きなければならなくなったのは、きっと今までの自分や周りの人間の「育ちの歴史」が微妙に関係し、互いに反応し、時にはそれがマイナスの化学反応と変化しながら、何年も何十年も積み重なることでできた複雑怪奇な性(サガ)なのかもしれない。

そういう自分の反応の癖は、自分の髪の毛を触るとか、爪を噛むとか、貧乏ゆすりをするみたいに、ごく自然な姿でやってくるものだ。


・・・私もそうなんだよ。
日ごろ外で見せるきちんと子育てしているように見せている自分と、苛々して、すんごく苛々して、怒鳴り声を上げて小さな二人の子どもに、赤く高揚した鬼の顔を見せている自分がいるんだよ。
人のことはよく見える。みんな上手にやっているように見える。
そして、あなただって、よくやっているように見えている。

みんな同じだよ。なんて、軽々しいことは言えない。
あなたのどうしようもないつらさが分かるから。
痛いほどに分かるのに、私、あなたになんて言ってた?
「母親が変わると、家族が変わる、って聞いた。」
「肯定的に受け容れるようにするといい、って聞いた。」
全部、講座やなにかで聞いた受け売りで、私、あなたの気持ちを受け容れてなかったかもしれない。

私が今のあなたを受け容れてあげないで、誰があなたを受け容れられるんだろう。
反省しきりです。

安息の日

2007年07月03日 | これも自分あれも自分
今日は午後からサーヤの参観日&学級懇談の日。
だから午前中はゆっくりと、今日は久しぶりにエリーととことん遊ぼうと決めたの。
昨日エリーが
「ママ、ねんどどこにある?」
と聞いてきたのに、あれ~?ない~?とすっとぼけて、出してあげてそこらへんに散らかされるのが億劫で、探してあげなかったことを思い出した。
そう。今日はなんだか気持ち的に余裕があるぞ。ならば、家事はそっちのけでエリーと遊ぶ日にするのもいい。

私は、がさごそと紙袋を取り出し、その中の粘土を広げて一緒に遊び始めた。
はじめは自由に。そして、つま楊枝を持ってきてくし団子やさんをすることになった。
どう見ても、まずそうなお団子がならび、エリーの作る妙に大きなくし団子が一番美味しそうに見えたのが不思議だったな。

気がつくともうお昼に近い!
エリーに聞く。
「エリー、お昼ご飯なに食べたい?」
即答するエリー。「ラーメン」
家にラーメンの買い置きがないので、小雨降る中をカッパと雨傘さして、二人でとことこ近くの小さな商店までお買い物に行った。
道路脇を流れる雨の川。ちょろちょろした細い川なのに、
「はじっこが川だから、はなれる。」
と言い、少し道路寄りに、ぶかぶかのお姉ちゃんのおさがり長靴を上手に運ぶエリー。この子は不思議と用心深い。

水溜りを見つけると、すぐさまバチャンバチャンバチャン!と威勢よく歩く。
思いっきり裾にかかる私ではあるが、笑って済ます余裕の私。んん、いい感じ。

自宅に帰ると、すぐにラーメン作りを始めた。
「もう少しでできるよー!」の声に、おもむろに粘土たちを片付けるエリーのがさごそという音が聞こえてくる。
意外にキレイ好き。
どんぶりを持っていく頃には、きちんと紙袋に収まっていた。
「すごいねぇ!エリー!全部片付けたのぉ!?」
得意げで、嬉しそうにはにかむ次女は、元祖はにかみ王子?

今日のラーメンは、初めて食べる「下北ラーメン」なるもの。
それから、竹の子の土佐煮と買ってきた花豆煮。
こんなお豆の煮物を、始めから作れるおばあちゃんになっていたいな、とふとよぎる私。
「いただきまーす!」のごあいさつと一緒に写真をパチリ!
いい笑顔は、ママの気持ちの余裕の表れですね。
今月は少し暇になるから、ゆっくりじっくりエリーともサーヤとも向かい合えるかな。

疲れた心と体の、安息日でした。

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