■「タ・ムアン・トッチ」から1kmほど進むと道路は終わっています。その先に「タ・ムアン・トム」があります。
11世紀に建立されたヒンドゥー寺院です。
道路の終点です。細い道が林の中へ続いていて、その先に「タ・ムアン・トム」があります。道の両側は緑色の目隠しシートで覆われて、内側は軍の野営基地になっているようで、いたるところに撮影禁止の表示が出ています。
遺跡の入り口では軍が入場者のチェックをしています。身分証明書を預けて遺跡へ向かいます。
目隠しシートの道をしばらく歩くと遺跡が見えてきます。回廊の日陰にはたくさんの兵士が控えています。
この写真は帰りに撮影したものです。
寺院の東門から入ろうとすると、南へまわれと指示されます。
「タ・ムアン・トム」は南向きの寺院です。階段を上ると寺院となっていて、自然の地形を利用した高台に建築されたことが分かります。
階段を上ると日陰に兵士がいます。
写真右の階段下から熱帯林へ延びている道路は10m先でカンボジアの国境だそうです。
たむろしている兵士と記念撮影をしました。
兵士の制服が違いますが、左から二人目がタイの兵士で他はカンボジアの兵士と警察官です。
腰かけているのはカンボジアの兵士です。
こちらの2名もカンボジアの兵士です。腕の紋章がアンコールワットをあしらったカンボジアの国旗の意匠になっています。
彼の帽子には「POLIS」の刺繍があります。
左がカンボジアの警察官、右がタイ軍の兵士です。
ここにもタイとカンボジアの兵士が座っています。
シヴァ神の乗り物、ナンディ(牝牛)が祀られています。
祠堂の北側から写しています。
祠堂の楣石に彫り掛けのカーラがあります。
カーラの拡大です。
この柱にも彫り掛けの花模様があります。
主祠塔でしょうか、外壁にはたくさんの彫像が彫られていますが、全て破壊の跡があります。
略奪者が顔の部分だけ削り取ったようです。
祠堂はカンボジア内戦の1980年代に、この地を占拠したポル・ポト派がダイナマイトで爆破したようです。
写真の兵士は、良く写っていますが、偶然なのか、監視されているのか・・・。
自然石を利用したヨミです。ここにリンガが立っていたようです。
リンガに灌がれた聖水の導水溝です。ずいぶん長い溝になっています。
自然石に彫り込まれた天人像ですが線の白さからすると新しいもののようです。
同じく象の絵柄です。ビニール紐で囲いはしてあるのですが・・・。
祠塔です。上部は破壊されています。
こちらはタイの兵士です。
回廊を供えた立派な遺構です。天井は崩壊しています。
回廊の石組です。かなり複雑に組み合わされています。
遺跡は残された柱の装飾から推測すると、建築時には寺院全体に精緻な彫刻が施されていたようですが、入口の上にあるはずのまぐさ石は彫り掛けのカーラ以外は見当たらず、全て盗難にあっています。壁面の彫像も完全なものはなく略奪のため破壊されています。自然崩壊以上に人為的に破壊されてしまった寺院のようです。
軍幹部の巡回でしょうか、たくさんの軍人と遭遇しました。
■現在はタイ、カンボジアの両兵士が仲良く駐屯しているようですが、2011年2月には、東方へ150km離れたのシーサケットで領土紛争によって両軍が戦闘になり、カンボジア軍6名、タイ軍2名の死者、双方で100名以上の負傷者者を出しています。カンボジアからは数百発のロケット弾がタイ側に打ち込まれて、学校の校舎や寺院、多数の民家に着弾しました。被弾した校舎の生徒はたまたま校舎外に居て犠牲者が出なかったのは幸いでしたが、住民の犠牲者がでています。両軍の戦闘は4日間にわたって行なわれています。
領土問題による両国の衝突は、タイの政権政党との関係が大きく作用しているようで、2008年はら散発的に銃撃戦が起きています。
そのため国境区域には防空壕が学校、民家や道路沿いにたくさん設置されています。
国境を接している「タ・ムアン」にも緊張がはしり、タイの軍隊が大量に投入され防衛にあたっていました。
一触即発の際は臨戦態勢がとれるようになっているのでしょう。目隠しシートの内側には、迫撃砲、戦車等が潜んでいることでしょう。
11世紀に建立されたヒンドゥー寺院です。
道路の終点です。細い道が林の中へ続いていて、その先に「タ・ムアン・トム」があります。道の両側は緑色の目隠しシートで覆われて、内側は軍の野営基地になっているようで、いたるところに撮影禁止の表示が出ています。
遺跡の入り口では軍が入場者のチェックをしています。身分証明書を預けて遺跡へ向かいます。
目隠しシートの道をしばらく歩くと遺跡が見えてきます。回廊の日陰にはたくさんの兵士が控えています。
この写真は帰りに撮影したものです。
寺院の東門から入ろうとすると、南へまわれと指示されます。
「タ・ムアン・トム」は南向きの寺院です。階段を上ると寺院となっていて、自然の地形を利用した高台に建築されたことが分かります。
階段を上ると日陰に兵士がいます。
写真右の階段下から熱帯林へ延びている道路は10m先でカンボジアの国境だそうです。
たむろしている兵士と記念撮影をしました。
兵士の制服が違いますが、左から二人目がタイの兵士で他はカンボジアの兵士と警察官です。
腰かけているのはカンボジアの兵士です。
こちらの2名もカンボジアの兵士です。腕の紋章がアンコールワットをあしらったカンボジアの国旗の意匠になっています。
彼の帽子には「POLIS」の刺繍があります。
左がカンボジアの警察官、右がタイ軍の兵士です。
ここにもタイとカンボジアの兵士が座っています。
シヴァ神の乗り物、ナンディ(牝牛)が祀られています。
祠堂の北側から写しています。
祠堂の楣石に彫り掛けのカーラがあります。
カーラの拡大です。
この柱にも彫り掛けの花模様があります。
主祠塔でしょうか、外壁にはたくさんの彫像が彫られていますが、全て破壊の跡があります。
略奪者が顔の部分だけ削り取ったようです。
祠堂はカンボジア内戦の1980年代に、この地を占拠したポル・ポト派がダイナマイトで爆破したようです。
写真の兵士は、良く写っていますが、偶然なのか、監視されているのか・・・。
自然石を利用したヨミです。ここにリンガが立っていたようです。
リンガに灌がれた聖水の導水溝です。ずいぶん長い溝になっています。
自然石に彫り込まれた天人像ですが線の白さからすると新しいもののようです。
同じく象の絵柄です。ビニール紐で囲いはしてあるのですが・・・。
祠塔です。上部は破壊されています。
こちらはタイの兵士です。
回廊を供えた立派な遺構です。天井は崩壊しています。
回廊の石組です。かなり複雑に組み合わされています。
遺跡は残された柱の装飾から推測すると、建築時には寺院全体に精緻な彫刻が施されていたようですが、入口の上にあるはずのまぐさ石は彫り掛けのカーラ以外は見当たらず、全て盗難にあっています。壁面の彫像も完全なものはなく略奪のため破壊されています。自然崩壊以上に人為的に破壊されてしまった寺院のようです。
軍幹部の巡回でしょうか、たくさんの軍人と遭遇しました。
■現在はタイ、カンボジアの両兵士が仲良く駐屯しているようですが、2011年2月には、東方へ150km離れたのシーサケットで領土紛争によって両軍が戦闘になり、カンボジア軍6名、タイ軍2名の死者、双方で100名以上の負傷者者を出しています。カンボジアからは数百発のロケット弾がタイ側に打ち込まれて、学校の校舎や寺院、多数の民家に着弾しました。被弾した校舎の生徒はたまたま校舎外に居て犠牲者が出なかったのは幸いでしたが、住民の犠牲者がでています。両軍の戦闘は4日間にわたって行なわれています。
領土問題による両国の衝突は、タイの政権政党との関係が大きく作用しているようで、2008年はら散発的に銃撃戦が起きています。
そのため国境区域には防空壕が学校、民家や道路沿いにたくさん設置されています。
国境を接している「タ・ムアン」にも緊張がはしり、タイの軍隊が大量に投入され防衛にあたっていました。
一触即発の際は臨戦態勢がとれるようになっているのでしょう。目隠しシートの内側には、迫撃砲、戦車等が潜んでいることでしょう。
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