12月下旬だったと思うが鎌倉は妙法寺へ行ってきた。
このお寺は名前からもわかる通り日蓮宗系のお寺で、日蓮が草庵を結んだと伝わる場所であり、また、護良親王の墓もある。それとやはり妙法寺といえば石段を一面に覆った苔の美しさで有名で、別名苔寺ともいわれる。
受付を入ったところには庭内でとれた果物などが置かれていて、参拝者たちに無料で提供されている。受付の女性も感じがよく、僕の知る限り、鎌倉では最も”優しい”お寺である。
その受付にここの住職が撮った苔の階段の写真が置いてあって、それが実にいい写真なのだ。
僕も同じような写真を撮ってみたいと挑戦したのだが…何枚とってもその写真をしのぐものが取れなかった。悔しいが完敗だった。
あの苔の階段、結構難しい。
ただしこのお寺、いい撮影スポットが小さなお寺であるにもかかわらず多い。
お堂をよく見るといたみが結構進んでいて、何とかならないものかなぁ、と感じた。円覚寺や建長寺のような大きなお寺ならすぐにでも修復できるのだろうけど、やはりこのような小さなお寺だと修復費用もなかなか簡単には捻出できないのだろう。文化遺産があのように放置されていることに残念でならなかった。
そして先週訪れたのが箱根神社。
箱根神社は日曜日ということもあって大勢の参拝者でにぎわっていた。
なぜか本殿で拝んだだけで奥にある社にはいかなかった。次回訪れた時はぜひ行ってみたい。とにかく寒くて、かじかむ手を息で温めながらの参拝だった。
この箱根神社というと僕の中で一番真っ先に思い浮かぶのは、やはり大石内蔵助が江戸入りの前に立ち寄ったところだということだ。
どんな心境で参拝したのか、何を祈ったのか…彼もあの赤い鳥居をくぐったのだろうか、すくなくともそのまえにあるあの巨木なご神木は内蔵助も見たに違いない、まだ若干10代でしかなかった息子の力を連れていたのだろうか……などと考えると感無量になる。
その後、芦ノ湖湖畔の店で甘いものと甘酒をごちそうになり、それが死ぬほどありがたかった。
僕がこの芦ノ湖に来るといつも閑散としていて、大丈夫かと心配になったものだが、この日は本当にこの神社だけでなくどこも人がたくさんいて、僕が昔から知っているあのにぎやかな箱根に戻っていた。それがうれしかった。
この写真は正直いい写真ではない。ただ、富士山の美しさを見てもらいたくて載せました。もっといい撮影場所があったのだが、少し歩かなければならないので不精をして上の場所で撮った。こういうときつくずくぼくはハングリーじゃないと思う。僕は小さい時からこうで、少し自己嫌悪に陥る。仕事ではまわりから煙たがられるぐらいの完璧主義なところもあるのだが。
とにかくこの時期の富士山は美しい。霊峰という名にふさわしい山だとおもった。
さて、少し遅いのだが今年はVlog(ビデオブログ)の作成を始めることを企画している。そう、ユーチューバーである(笑)このことを友人に話すと、頑張ってお金儲けをしてくださいというのだが、ユーチューブでお金儲けなんて興味はない。全くないわけではないが(笑)僕の性格を考えると、そういう方面の才能がないのはわかっているからだ。あくまで、記録用の動画として始めてみたいと思っている。
そこで動画撮影用の機材としてGoProのような専用機材を買うのか、別に動画用の一眼レフを買おうかいま考え中だ。
専用機材のほうが軽くて疲れないとは思うが、もし動画作りに飽きてしまった場合に他に使い道がないので投資がまったく無駄になってしまう。なので、いまは動画撮影用にもう一つカメラを買うことを考えている。そして同時にジンバル(テレビや映画のように画像がぶれずにスムーズに流れるように写せる機材)の購入も考えている。
カメラはCanon のEOS kiss x10かPanasonicのカメラを考えている。前者はデザインとカラー(白かシルバー)が気に入ったからで、後者はモノクロ写真の絵作りが洗練されているからだ。昔のモノクロ写真のように粒粒の粒状感がうまい具合に出せるようにこだわって作られているらしい。
話は変わって、新型コロナウィルスの広がりが心配だ。
ワクチンがない以上、手洗いを徹底し、免疫力を上げることに注力するしかない。
免疫力を上げるには、人間の免疫システムの7割を担っている腸内の環境をよくしなければならない。発酵食品をとることが大切だろう。
感染源は野生動物が疑われているという。
中国では昔から生きている動物はほぼ何でも食べるといわれている。中東で流行しているMersなども感染源はこうもりだという。
もうだいぶ前に問題になった狂牛病も牛だった。
このことをおもうに、自分たちの食慾をみたすために、システマティックに生きている動物たち(高等動物も含めて)を殺し、余ったものは大量に捨てている人間に対する自然のあるいは神の罰ではないか、という考えが頭をよぎる。
考えてみてほしい、我々は普段食べている動物たちがどんな状況で殺されているのかほぼ全く知らない。おそらくそれを知らせると食肉産業界がダメージを受けるから、そういう業界からの圧力があるからだろうと想像している。
話を元に戻すとその殺し方である。薬物による薬殺はまずないだろう、何故ならその肉が人間の体内に入ればどんな悪影響を及ぼすかわからないからだ。
では銃殺か?これもコストを考えるとないのではないかともう。
では、あり得る殺し方というと、刺殺か、撲殺か、大きな部屋に入れての窒息死させるかであろうと想像できる。これならそれを食べる人体に対する影響がないからだ。
……ちょっと想像力のある人ならわかると思うが、その状況は阿鼻叫喚の地獄絵図であろう。
僕はもともと健康のために肉(特に赤身の肉が人間の健康にとってリスクがあることは、現代医学界の実験結果からも、精神世界における数十年前からの知見からもわかっている)を少量の鶏肉を除いて、ほとんど食べなくなった。それに加えて、ここ数年はこういう動物たちの状況を想像して倫理的にも食べたいという気持ちにならなくなったからでもある。
その残酷さもさることながら、このように殺されていく動物たちの「想念」がもたらす影響も考えれば、ますます食べる気になれなくなる。
その時の恐怖感、怒り、激痛の大きさがのこす想念がどれほどのものか、そして、それを食べて体内に入れる影響がどういうものか……ちょっと精神世界的な知識がある人であれば容易に想像がつく。
というのも、人間のストレスや怒り、恨みなどのネガティブな想いがその人本人のがん細胞発生の原因になる場合があることがわかっている今、動物が殺される時に生まれる怒りや恐怖感が、その肉を食べる人間に対してどれほどのネガティブな影響を与えるか、これもちょっと想像力を働かせればわかる話であろう。
欧米では健康上の理由に加えて、こういう倫理的な理由でも肉食をやめる人々が増えているということを聞く。
だが、まだまだ肉を好んで食べる人々が圧倒的大多数であろう。かわいらしい女性が、「お肉大好き、特に牛の舌が!!」なんてこともよく聞く話である。
このウィルスの流行は、己のやっていることをよくよく考えてみよ、という自然の、あるいは、見えない世界からの警告である、という説も僕は決して荒唐無稽な話ではないと思っている。とくに、現代物理学では説明できない事象を何度も何度も体験しているのでなおのことそう思うのだ。
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