気の向くまま足の向くまま

できうるかぎり人のためになることを発信していきたいと思っています。

コロナウイルスについて感じること

2020-03-02 00:36:18 | 日記

 

 

 コロナウイルスに関してマスコミの報道から受ける印象じゃなく、自分が日々の生活から感じる実感的印象から感じることを書いてみたい。端的に言うと、これはやばいな、という印象だ。
 正直、僕の全人生でこれほど目に見える形で体感的にお金の流れ、人の流れが縮小していると感じたことはない。

 経済というのは政府の偉い人や、経済学者、財界の偉い人々や大企業が動かしているわけではない。経済を動かしているのは我々一般人の財布である。
その財布が開かなくなっている、お金の流れが細ってきている、ということを日々感じ始めている。
 財布が開かなくなっているということは、お金が流れなくなっているということだ。お金が流れなくなっているということは、お店や企業の売り上げが落ちているということだ。

 お店や企業の売り上げが落ちているということは、そこで働いている店員や社員の給料が落ちていく、最悪の場合解雇されていくということである。
ということは、僕らは当面必要でないものは買わなくなる。つまり、毎日の衣食住にどうしても必要のないものへの支出は控えるようになっていくということだ。

 そしてそれは結果としてさらにお店や企業の売り上げを落としていく。そしてその結果、お店や企業で働いている店員や社員(つまり我々一般人)の給料を下げ、さらに解雇される人々が増えていくということにつながっていく。そしてそれは……そう、この負の循環がスパイラル的に続いていくということになる。

 もちろんそれは国の税収も下げることになるので、それが何をもたらすかというと、インフラ整備や我々の生活に最も直結している健康保険や年金、生活保護などの社会保障費の掛け金が増額されていく可能性があるということである。
 この病気は当然、ただでさえ悪い健康保険財政を悪化させるので健康保険料の現在一般人の自己負担割合(3割)がさらに引き上げられていくか、掛け金の増額ということもあり得ないわけではないだろう。

 そこまで心配しなければならないほど、体感的なお金の流れが細くなっているということを日々の生活(おもに仕事)の中で感じ始めている。
繰り返すがこんなことは僕の人生の中でも初めての経験である。

 

 そして、もうひとつこの病気から感じることはその感染力の強さとその広がっていくの面積の大きさである。SARSの時もこれほどではなかった。
みんな感染を少しでも予防しようと躍起になってマスクを買おうとしているが、僕が集めた様々な情報では、この病気の予防という点ではマスクはほぼ効果はないという印象だ。ほんとに気休めであろう。電車や混雑している場所で咳をすることによる他者の視線が嫌なのでマスクをしておいたほうがいい、という程度の感覚しかない。 

 この動画(ぬいぐるみなどをかぶっておふざけ調の感じがあるが、言っていることはすべて学術文献や信用できる筋の報道をもとにしていて、かなりの説得力を僕は感じている)の3分45秒あたりからハーバード大学の教授が予測していることとして、来年までに世界人口の70%が感染しているだろうというものは、いまの感染力の強さとその広がりの大きさを思うとまったくもってこの予測は妥当だと感じる。

 僕に関して言えば、「この教授の予測を知る前から」感染をほぼ覚悟しはじめている。
というのも、もうすでに海外渡航歴のない一般人の感染が出ているということは、普通に街中での感染が起こっているということだ。
ということは、マスクも効果がないし、生活のために混雑した電車を使ったり、混雑する雑踏に出ることなどが避けられない以上、ほぼ感染は避けられないと腹をくくっている。

 なので、ここで大事なことはとにかく体の免疫力を高めていくということであろう。
ワクチンが開発されるまではこれしかない。
 このことからおもうのは、やはり、普段から食生活、生活習慣に気を使って生きていくということがどれだけ大切かということだ。 

 なぜなら、癌なども含めてほぼすべての慢性病は普段の食生活、生活習慣の数年、数十年の継続的蓄積から生まれるからだ。否定する人もいるかもしれないが、これが今まで僕が自分で調べてきたことから演繹的に類推できる結論である。
 今回のコロナウイルスだけでなく、これからもこういう現代医学では決定的な対策の打ちようがない病気というのはつぎつぎと生まれてくるだろう。そのときに、普段から健康に気を使いながら生きていくことがどれほど大切かいまほど痛切に思い知らされているときはない。 

 僕が健康に気を使っているということを知った同僚などから、そんなに長生きしたいの?と皮肉を込めて言われる時がある。
僕は長生きをしたいというよりは、病気をしたくない、病苦を味わいたくないんですと答えているが、そういう人が言う共通のことは、そんなにまでして生きたくないということだ。

 もちろんそれはそれでいい、人の生き方考え方はその人の自由だから。ただ、そういう人も自分が本当に慢性的な病苦を味わった時に、同じことを言えるのかということである。ちょっとした自己規律、精神的な自己規律が維持できなかったために、本当に苦しい病苦とその先にある死の不安をずっと抱えたまま生きていきたいと思うのか、ということである。

 ただ、やはりこのような議論をしても仕方がないということもわかっている。
そのような自己規律を維持していくことに対する耐性、食べたいものや継続したい生活習慣がたとえ健康に悪いことがわかっていても、それを継続的に抑制するということに対する耐性や、それ(健康に悪いもの(こと)を食べたり行ったりすること)を継続することから生ずる満足感の大きさ、程度は人それぞれ違うからだ。

 その両者をはかりにかけ、傾いたほうの生き方をそれぞれが続けていくしかないし、その自由は当然ある。

 話を元に戻すと、この病気の影響は結構大きなものになるというのが僕が今体感的実感的に感じていることである。たぶん、後世歴史的にコロナ恐慌などというような命名をされるほどの甚大な経済的ダメージを残すのではないかと心配している。
 この影響から回復するのは、このウイルスに対する有効なワクチンが開発された時か、人々がこのウイルスに『なれはじめた』時だろうと思う。というのは、経済というものをその底辺で動かしているのは人間の心理だからだ。そしてそれはまだ先のことで、たぶん来年以降のことになるだろうと僕は感じる。
 

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