長安寺(箱根)
いよいよ年末ですねぇ、ついこの間紅葉の記事を書いたような気がしますが、あれからもう1年がたっている……
ことしも不精してというより、多忙すぎて休みの日はほぼ疲労の回復に費やすという始末が続き、なかなか紅葉を見に行けず最後の最後になって鎌倉と箱根に行ってきた。
今年は去年よりもさらに遅かったので、もうほんとに紅葉もわずかしか残っていなかった。
それでも残っていただけまだよかったと思い、何枚かの写真を撮ってきた。
三連休の真ん中に行ったので、人がすごくて……バスの移動時間とケーブルカーの待ち時間でほぼ滞在時間の三分の二ぐらいを費やした。写真を撮りに行ったのか、列に並び、バスの中で立ち続けるために行ったのかわからない。(笑)
まぁ、でもまだ残っていただけよかったですね、という友の前向きな言葉に励まされ、撮影を楽しんできた。
円覚寺
友達は海賊船に乗りたかったみたいだが、僕が長安寺へ行きたがっているのを察してそれをあきらめてくれたみたいで、それがうれしかった。本当にやさしい友である。
移動時間にあれほどの時間をとられなかったら、もう少しいろんなところを回れたのだが、まぁ、この時期の連休なので仕方がないだろう。
とある美術館(箱根)
こうして写真を見ていて思うのだが、やはりニコンの色づくりはすばらしいと思う。キャノンさんには申し訳ないのだが、キャノンを買って撮り比べてわかったことである。
やはりニコンは優秀である。それとニコンの操作性の優秀さにも気づかされた。フォーカスポイントを自分があわせたいところに動かすのに、キャノンのEos Kissだと一度別のボタンを押してからジョイスティックのようなボタンを押して動かさなければならないのだが、ニコンの場合ジョイスティックのようなボタンを押せばいいだけなので、親指一本でそれができる。これは非常に使いやすい。
ただ、スマホでかなり高解像度の写真や動画がとれるようになっている今、そして人口が減少している今、エントリー機のみならず中級機以上のカメラの市場も熾烈な椅子取り合戦となり、これからも徐々に縮小していくのは間違いない。その分野にのみフォーカスしているニコンは自然会社の規模が縮小していくだろう。そうならざるを得ない。
これからの映像文化は動画が主流になっていくのはほぼ間違いないので、もしニコンが今の規模のまま生き残りたければ、その方面のカメラで優秀なものを開発していくほかはないと思う。
長安寺
ところが、僕の見るところ彼らには全くその気がないようだ。もし僕の見込みが当たっていれば、将来のニコンは一部の写真マニア、ハイエンドユーザーのためだけの特殊なメーカーになっていくのではないか。
おそらく今までの動きを見るに、ソニーやパナソニックはやはりそういう時代の動きに応じて自在に変化するだろうから、今の勢いを維持したまま生き残れると思う。キャノンは……これも僕からすると変化が遅い。このままではニコンと同じ命運をたどっていくような気がする。
ちょうど、音楽がレコードからCDになり、さらにそれがこれがまたしてもスマホなのだが、スマホやPCにダウンロードして聞くようになって、かつては世界を席巻した日本のオーディオメーカーが凋落していったように、このカメラ市場を長年支配してきた二大メーカーも同じ道をたどっていくのではないかと心配である。
長安寺の五百羅漢 僕のお気に入りの羅漢様
今はやはり産業革命期以来の技術的な大変革期なのだろうと思う。
老荘思想の中に、水のようにその入れ物の形に合わせて自在に変化していかなければならない、というような言葉があったが、まさにそのようなことが最も必要な時代なのだろうと思う。
それにしても思うのは、新しい時代に直面して四苦八苦している日本のカメラメーカーとは裏腹に、躍進している中国や台湾の精密機器メーカーの活躍ぶりには本当に目を見張る。僕のように中国製というと粗悪品というイメージしかなかった人間にとって、これは本当に驚きの時代が到来している。
考えてみれば中国は今、宇宙にロケットを飛ばし、太陽系のどこだか忘れたが探査機まで打ち上げられるほどの技術力を持っている。なので、当たり前といえば当たり前なのだが、今も言ったように中国製イコール粗悪品という長年あったイメージがあるため、今目の前で起こっている変化がなかなか信じにくい。
横浜
だが、信じようが信じまいがそれがいま僕らの目の前で起こっていることなのだ。事実として受け入れ、彼らに負けないように頑張るしかないだろう。
アメリカの大統領選で日本のいわゆる中国や韓国をけぎらっている保守派の人々はほぼ口をそろえてトランプを支持していた。台頭著しい中国を抑え、日本を守ってくれるのはアメリカしかいないと思っているからだろう。中国に対して強い態度を貫くトランプの当選を願っていたわけである。
つまりそれだけ彼らも中国の力というものを認めているわけだ。
中国は太古以来、アジアでもっとも進んでいた国だった、技術、思想、学問、軍事のすべてにおいて。日本からもそれを学ぶために多くの優秀な留学生が中国にわたってきた。たまたま近世になって近代化に後れを取ったため、日本や欧米諸国に侵略されてしまったが、それは数千年にわたる長い歴史の中でもほんの数十年だけの話である。
中華街
今僕らの目の前で起こっている中国の技術力、経済力、軍事力など驚異的な躍進は、躍進ではなく中国本来の元の姿に戻ってきているその過程を見ているに過ぎないというべきだろう。
日本もその変化に「対応」していかなければならない。できなければ…かつてのオーディオメーカーやニコン(まだそうなっているわけではないが)のような運命をたどっていくしかなくなるだろうから。
とはいっても、日本は心理的にも実質的にもアメリカの傘下に入っている同盟国というよりも庇護国なので、独自外交はできないだろう。なので、対応といっても日本が自分で何かできることは極めて限られている。ただ、独自外交ができないということは、「正しい」ことができないのと同じように「間違った」こともできないので、それほど不安がることもないだろうと思っている。アメリカが間違ったことをしない限り、日本も間違ったことはできないからだ。
横浜の路上で
カメラの話から政治の話にまで飛んでしまったが、ようは今は技術上の大変革期だということと、それにどう「対応」するかということが、早ければ数年後会社が生き残っていけるかどうか、そしてそれがひいては国の経済力も左右するので、アジアのいや世界の政治情勢も大きく変わってしまうだろうということが言いたかった。
老荘の言うように「水のように」変化できるか、国家レベルではおそらく無理だろうが、会社レベルでは気持ち次第でできる。できればそれこそ本当に大躍進するだろうし、できなければ…衰退凋落の道をたどっていくだけであろう。
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