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久しぶりに箱根を歩いてみた。
東京がそれほど寒くなかったのでシャツにジャケットという軽装でいったのだが、箱根についてみるとやはり標高が高いだけあって肌寒かった。
ただ、寒いことは比較的平気なのでそれほど苦にはならなかったが。
ある程度の長さを生きた人にしかわからないと思うが、どこに出かけるにしても何らかの思い出がある場所に行くとその思い出が生き生きとよみがえってくる。今回もそういうことが何度かあり…それがよくもあり悪くもあるのだが、しかし、もうこれだけの時間が過ぎてみると悲哀よりも懐かしさのほうが勝って感じられてくる。
今回は現地に着くまで細かい予定は考えてなかった。
僕はこういうことをあらかじめこまごまと決めて旅行しないタイプである。そのほうが意外感があり楽しいからだ。
なので、今回はいくつかあったオプションのうち可能性が比較的少ない方法をあえて選んでみた。
電車で元箱根に行き、そこから登山鉄道で早雲山にのぼった。
箱根の山は新緑真っ盛りで、曇りの日独特の幻想的な光線も手伝って、あふれんばかりの濃い新緑の緑が空気の中に薄く溶け込んでいるかのようにさえ見えた。
電車は観光客で満員で、しかもそれがほとんど(多分80~90%)外人の観光客ばかりだった。
なので社内で聞こえてくるのは英語はもとより、中国語、スペイン語、イタリア語、ベトナム語…見えてくる顔もいろんな顔…ここはいったいどこの国なのかと思うほどだった。
はっきりとは覚えていないが、僕が子供のころ箱根に来たときは周りはほとんど日本人の観光客ばかりだったように記憶している。
今昔物語ではないが、ほんとうに変わってしまったものである。
それと元箱根の駅に着いたときに一番目についたのが、様々な案内板、電光掲示板がすべて多言語(英語、中国語、韓国語)になっていること。
そればかりでなく、駅には英語の堪能な職員が流ちょうな英語で外人観光客を案内し、なかには外国人の鉄道会社職員までいたことには驚いた。
いうまでもなく、こんなことは十四、五年前でさえなかったと思う。
ぼくはそれをみて、これが多分この国の来るべき未来図ではないかと思った。
少子高齢化で日本人自身が少なくなり、また、日本人自身も高度成長期の時のような豊かさを失い平均所得もかなり落ちていると報道されている。
一泊3~5万円もする日本の旅館などに、かつては多くの日本人が泊まりに来ていたのかもしれないが、いまではそんな出費のできる日本人はかなり少なくなっているのではないか。
今回もう一つ気づいたのが、あれほどべらぼうに高かった箱根登山鉄道や、ロープウェイの料金が下がっていたことだ。
いまから15年ぐらい前は、わずか40分ぐらいの距離を往復するのに4000円弱もとっていたと記憶している(僕の記憶が正しければだが)。海外の観光客がその料金表を見て渋い顔をして引き返していたのを覚えている。
そんな料金でも日本人は当たり前のように支払って当時はのっていた。
それが昨日行った時には、あの時の値段のたぶん7~8割ぐらいに下がっていたようにおもう。(ただ、もしかすると区間を短く区切って下がったように見せていたのかもしれない)
つまり、もうそんな高い料金設定をしても当たり前のように乗ってくれた日本人観光客が少なくなった、ということではないだろうか。それでやむを得ず値下げをしたのではないかと想像した。
これは数年前から気付いていたのだが、今、箱根の芦ノ湖湖畔の風景は閑散としている。
まだ夕方の6時ぐらいであるにもかかわらず、すでに喫茶店やレストランは閉店しているのだ。僕はそれを見て寒々とした思いがしたものだ。
もう日本の観光地は外国人、とくに中国人をはじめとする東南アジア系の観光客なしには成り立たないのではないか。
そしてこれはひとり観光地だけでなく、都心でも外国人相手の免税店がその辺でよく見かける小さなお店にまで広がっているところを見ると、もう小売り産業も外国人なしではやっていけなくなっているのではないだろうか。
客ばかりではない、ここ10年くらい、コンビニや外食産業では外国人の店員を目にすることも全然当たり前のようになっている。
日本人を募集しても人口が減ってきているために、なかなか若い人が応募してこないのだろうと想像する。
僕が25,6年前、ヨーロッパの大都市を旅した時に見た白人だけでなく、様々な顔立ちや肌の色の人々が溶け込んで暮らしていたあの風景が、いま日本で現出し始めている。
ただ違うのは、ヨーロッパでは彼らを移民として受け入れてきたのに対して、この国ではいまだにそれには踏み切っていないことだ。
国民気質が保守的で、同質なもの同士で集まり、異質な存在を自分たちの内部に入れることに強い抵抗感を持つ日本人であれば、それも自然なことだ。
しかし、いつまでもそれでいいのかと思う。
彼らヨーロッパの政治家、識者、官僚たちは洞察したに違いない。先進国共通の問題である少子化の抜本的な解決策はそれしかないと。
特にドイツは今や先進国唯一といってもいい黒字財政国であり、ヨーロッパのみならず世界の最優等生である。その背景の一つには、移民を受け入れた彼らの先達たちの英断があった。たとえ国民に不人気の政策であっても、その国に真に必要なことはやる、すぐれた政治家に共通するこの資質と行動力、彼らにはそれらがあった。
第二次大戦中の借金まみれだった戦争中の日本を上回る割合の借金、世界最大級の借金を持ち、毎年国家予算の2倍以上の国費を消費し、医療費だけでも国家予算に匹敵する額を使っているこの信じられない財政状態のこの国でである。
しかも、世界の人類史上いまだ経験したことがないスピードで進むこの国の少子化。
まじめに働き、まじめに税金を納めている良質な外国人を移民として受け入れていき、彼らにどんどん税金を納めてもらうようにしていかなきゃならない。
もちろん様々な摩擦も起きてくるだろう、ただもうそんなことを言っている場合ではない状況になっている。
昔動物番組で、ある島にいるネズミに似た動物を特集していて、その動物はある時狂ったように集団で暴走を始め、そのまま走れば海岸のがけ下に転落するとわかっていても走り続け、最後は集団で転落死してしまうというものがあり、不思議だなぁと思ってみていたのを覚えている。
僕はそれと同じ感覚をいまの日本人、日本の政治家、官僚たちを見て抱く。
不思議だなぁ、と。
とまぁ、暗いことばかり書いてきたが、闇あるところに光あり、光あるところに闇もある、この二つはお互いの存在なしには存在しえない…とバシャールも言っているように、この箱根を見て当然明るい未来も垣間見える。
それは、これからの時代は語学の得意なものにとってはいい時代になるのではないかということ。
英語は当たり前として、それ以外に中国語や他のアジア言語(僕の感覚ではベトナム語あたり)が喋れる人にとってはとてもいい時代になると思う。
これらの言語が話せると、たぶん、一生食べることに困らない時代になるだろう。サービス業界や商社では特に中国語は必須言語になる。
21世紀のキーワードは『中国語』である。
これをマスターすることは、すなわち、一生お金を生み出してくれる打ち出の小槌を手に入れたのと同じ事であろう。
ここから当然、様々なビジネスチャンスもうまれてくる。
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