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言葉

2014-04-06 23:59:58 | 日記
 今日の教会で受けた授業で、教祖の一人が残された言葉が紹介された。
この言葉は今の僕にとって特にほしかった言葉だった。

 『最高の生というものは、生涯の終日に至るまで、心の道を求めて励む誠実な心を持ち続けて生きることに尽きると、神はお言葉を閉じられています。』

 教祖はすでにこの世の人ではないので僕は直接の面識がない。
なので、教祖から直接教えを受けた比較的古い職員の方の授業に優先的に出ているのだが、今日のこの言葉はその中の一人から伺った言葉。
 教祖はこの世にあるとき「誠実さ」ということをとても重視していたという。

 在家にあろうと、出家者であろうと、その人の信仰がなんであろうとも、結局はここに尽きるのだと思う。

 教祖がこの言葉を重視していたということは、実は誠実さというものがこの世では非常に稀有なものであることを示唆しているように思う。
というのもこの世では人が見ていなければ、証拠が残らなければ「人間の目は」ある程度ごまかせる世界であるからでもあろう。
 誰でも楽をしたい、楽をして得を得たい、楽をして高く評価されたい。
だから手を抜いてもそれが表面化しないのであれば、手を抜いてしまいがちだ。

 うそをついて自分の対面が保てるのであれば、そしてそのウソがばれる可能性が低いのであれば、人はやはり負けてしまう。
昨今わだいになっている某音楽家や某研究者、某政治家、某電力会社などはその典型的な例だろう。
 ただ我々は彼らを笑えるだろうか?

 今まで生きてきて一度もうそをついて自分の体面を保ったり、見栄を張ったことのない人はどれだけいるだろうか。
今まで生きてきて一度も仕事で必要以上に手を抜いたことのない人はどれだけいるだろうか。
今まで生きてきて一度も上司や顧客に自分の仕事のミスをうそをついてごまかしたことのない人はどれだけいるだろうか。
今まで生きてきて、一度も約束を破ったことのない人はどれくらいいるだろうか。

 ♪Honesty is such a lonely word everyone is so untrue.♪ 誠実さという言葉はあまりにもまれな言葉、みんなあまりにも不誠実だから。

 とうたったのはビリー・ジョエルだったが、誰にも強制されない環境の中で、永続的な誠実さを保ち続けることは容易なことではない。
しかしこれこそが実はその人の魂の質を決定づける要素ではないか。

 『生涯の終日に至るまで、心の道を求めて励む誠実な心を持ち続けて生きること』

しかもこの言葉は神から降りてきた言葉であるということの重み。
この神の実在は僕自身、ある神秘体験を通じてお示しを受けている。(これは現実に肉眼で見たことであり、夢や幻想、心の中のビジョンなどではないことはここではっきり述べておきます)
つまりこの言葉は実在の神から降りてきた言葉である。

 それゆえに、今日このことを知った時はどれほどうれしかったか、そして、同時に自分がどれほど大きな責任を背負っているかということを知らされた思いがする。
なぜなら、神は『すべてを見ている』からである。
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