さて、昨日開幕したあいちトリエンナーレのこけら落とし?
平田オリザさんのロボット演劇を見てきました。
演劇でもダンスでもなんでもいいから、非現実的なものを感じられるような作品に触れたいと、
ただぼんやりと思っていて、ロボットトランペッターのファンでもあることだし、
数あるパフォーマンスの中、ロボットが俳優として出演するこの演目をなんとなく見に行くことにしました。
演出家・平田オリザさんと阪大の石黒浩研究室のCo-Project 「ロボット演劇プロジェクト」
世界初の劇場公開ということで、会場には多くのプレスの方が来てました。
『ロボット版「森の奥」』。
(オリジナルは人間版で、かつてノルウェー国立劇場に依頼され、民族対立という観点で書かれたとのこと)
以下パンフレットより。
「中央アフリカ(CONGO)に生息する類人猿「ボノボ」をロボットと人間がともに飼育する研究室を
舞台に、近未来に訪れるであろうロボットと人間のかかわり合いを表現し、「人間とは」を鋭く問う。
ロボットに「感心」するのではなく「感動する」。先例のない演劇の記念すべき世界初演。」
簡単に言えば、
2030年の在アフリカ類人猿研究施設を舞台に、人間とロボットがサルとヒトの境界をめぐって対話するという設定。
ロボット研究者の阪大の石黒浩教授が協力、出演はロボット2体と俳優6人。ロボットは、
セリフや動きを事前にプログラミングされており、人間の俳優の隙間を自由に動き回り、しゃべる。
万が一トラブルが起きた場合は、無線LANで遠隔操作で対応、
それでもだめならオリザさんが謝る、ということになっていたそうですが。
(今回はカーテンコールで少し立ち往生してしまった以外ノープロブラムでした)
ストーリーは、ロボット中心でもなく(あくまでもロボットは人間の助手的役割)、
チャップリンのモダンタイムズのごとく、ロボットが人間社会にもたらす影響をえぐるようなプロットでもなく、
ただたんたんと、ボノボやロボットの生態をテーマにディスカッションが進行されていきました。
演劇は正味90分。
カーテンコール(カーテンはなかったけど)の後、オリザさんと、私の斜め前で座ってみておられた安住恭子さん
という演劇評論家の方とのトークショー&観客との質疑応答コーナーという企画だったのですが、実際、
そっちの方がおもしろかったりしました。トークショーがまるで前半の劇の謎解きになっているような感じ、、かな。
演出家と演劇評論家とのトークショー。
特に興味深かった点を3つあげろと言われたら・・・
1つ目。
ロボットの意味。
ロボットが1個のキャラとしてあまりに自然に劇中に溶け込み、動き回っているため、見ている間、
ロボットの存在意義、つまり、あえてロボットを登場させた理由について考えていたのですが、
トーククショーの中で、
ロボットを人間と同じ空間で人間と同じように動かし、人間と同じペースで言葉のキャッチボールさせることが、
いかに高度な技術と労力を要する作業であるか、当たり前のことながらも「人」中心の演劇界にロボットを
登場させたことがいかに画期的なことであるかについて、実際に演出された方の生の解説を聞くことで、
この演劇の意味なんかがうっすら理解できたような気がしました。
自分の中で固定されていた演劇の概念が打ち消された!みたいなね。
(あくまでも素人考えですが)。
2つ目。人間の存在意義。
このプロジェクトの協力者、阪大の石黒先生(ロボット研究)、京大の山際先生?(ゴリラ研究)は、それぞれ、人間とロボット、
人間とゴリラの差はあまりない、と考えておられるらしいです。チンパンジーと人間の脳が1%の差しかない中で、
果たしてその差は何なのか、人間の存在意義とは何なのか?なんて考えさせられました。
3つ目。ロボットの弱み。
ロボットにも弱点があって、ロボットは意外にも根気がないらしいです。つまり、彼らの精密な動作には相当量のバッテリーが必要で、
人間と同じようにはつめの稽古についてこれない(笑)とのこと。ただ、すさまじい量を蓄電可能な電池が開発されたとしたら、
ロボットの可能性は無限に広がるかもしれませんよね。
また、オリザさんが、ロボットをありがちな擬人化することもなく、あくまでもクールに扱っていたこと、
演劇の演出手法にもいろいろある(主観的・第1人称で話が進む、または客観的に描かれる)が、オリザさんは
その中間を目指している、というような演劇的視点も、素人の私にとってはとても興味深いことでした。
その後の質問コーナーでは、
人工知能の観点、または、観念的な演劇論の観点で質問される方とかもいらして、その質疑内容もさることながら、
そんな質疑応答が繰り広げられる知的な空間が名古屋で創造されていて、その空間の中に、今、自分もいるんだ
ってことに、ちょっと自己陶酔?したりして!?
劇の合間に後方から、「何時の新幹線で来た」、「昨日から名古屋入りしてる」等とお話されている方もいらっしゃったり、
場内のスクリーンには常時英語訳が提示されていたりして、これがまさにネイションワイドでグローバルなイベントとして企画
されていることを実感しました。
それにしても、
現代アートって、「この瞬間」の次元で自由に実現されている所以の、人の魂を開放させる強いパワーがあるね。
これから3ヶ月の名古屋は刺激的!
さて、次は何見て自分を解放してみようかな。
エレクトロ・ワールド LIVE/Perfume
PS.ちょっと文章が支離滅裂。いろんなニュースを文章化するのは苦手です^^ご勘弁を^^
あいちトリエンナーレ開幕です!
今後は3年ごとに開催が予定されているらしいですよ。
トリエンナーレとは、国際芸術祭という意味だそうで。
記念すべき、第1回目のテーマは、
『都市の祝祭 Arts and Cities』。
世界各国から名古屋に一堂に会する生きた現代芸術に触れて、
常識で固まった脳をフレキシブルにリリースしてみない?
Joan Sutherland - Marilyn Horne - "Barcarole"
オッフェンバック:歌劇《ホフマン物語〉〉