KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

月と海と森のなかで。。。

2006-08-28 | 神様、天使、平和の祈り、愛の言葉
あるとき、わたしのこころは壊れて止まってしまった。
この間、原爆で時を止めた古い時計の映像を見ながら、
「ああ、これ、わたし」と思った。
止まったところを何度も振り返るが、そこは音も色も何もない。
ただモノクロで止まった時計があるばかりだ。
私は何年か、そのまま時間を過ごした。
そのまま止まったものを抱えて、うずくまって、目を閉じて…。
時間は流れてゆくけれど、私に触れずに通り過ぎてゆく。
そうして時間を過ごすうちに、止まっている私に気づいた
人が、ものが、自然が、そっと私を揺り起こした。
こころが振られたその瞬間だけ、目が開き、耳が聞こえる。
手や身体の隅々に感触や匂いが戻った。
見えたものは空っぽの心の中の箱の中にしまわれて、
時折、箱の蓋がずれて色を放って輝いてわたしに語りかける。
「きれいでしょう」って。
そのきれいなものを見たくて、私は少しずつ自分から目を開くようになった。

今も目も耳も良く聞こえないし、見えない。
だから、何もない闇の中に帰ってしまうこともよくある。
闇の中で見た光はまぶしくて目は開けていられなかったけど
こころに深く残ってわたしを照らす。
その光に導かれて、その光が照らすものを見つけるようになった。
まず、私の中に入ってきたのは
「月」
青い青い金と銀の粒をちりばめた光の月。
まるく淡い銀色の月と金色のひかり。
光は輝いて、すべての生命をつかさどる。
そのいのちの月はそれから満ち欠けを繰り返してはわたしを照らした。
月はわたしを見つけて、その生命を、光をわけてくれた。

次に見つけたのは「海の波」
月に照らされて白い浜辺がぼんやりと光っていた。
月の光を粉にしたような砂浜を裸足であるいた。
ほんの少し朱をおとした黒の夜空に金と銀の月。
その下に夜と同じ色をした海があった。
海の波は歌っていた、「何度も、なんども、ずうっと」って。
それは「永遠」の唄。
海は多くの消え行くいのちを抱いたまま永遠を歌う。
銀色に砕ける波は寄せては返しながら、
わたしのちいさな裸足の足を何度もあらっては唄を歌ってくれた。

それからわたしのこころが見たのは森。
森の木々は光と風をはらんで生命の歌を唄う。
花はそよいで、声をあわせる。
大地と空が木々を抱きしめて育てる。
森の中で生命は永遠に輪廻を続ける。
森の木々は歌いながら、こころに風を送り、
わたしのたましいを揺すってあやしてくれた。

月も海も森も永遠。
何度も、なんども、いのちの時を永遠に繰りかえす。
何も言わず、語らず、ただ黙々と永遠をひたすらに繰りかえす。
時折、嵐が来て波があれ、雲が姿を隠し、木々は枝葉を落とすけれど、
それは終わることなく「永遠」に続く。
永遠の時はいろんなものを少しずつ変えていく。
波は堅い岩をまるくなめらかにし、月は満ち欠けを繰り返す事で
わたし達に永遠のたましいの秘密を解き明かす。
花や木々は芽吹いては種を落とし、永遠のいのちの営みを教えてくれる。
それは彼らの祈り。永久に続く祈り。
わたしはそれを月と海と森に、自然のいのちから教わった。

だからわたしは時々、海と山に、自然のなかにもどってゆく。
わたしが永遠である事を思いだせるように。
わたしもここに居て、ただ祈り、繰りかえす事が出来るように。

ときおり闇の中に引き戻され、自ら飛び込む事もある。
でもそれはきっとこころの耳を澄ますためなのだ、
と、どこかでわたしは知っています。

いつか、わたしの砂時計は時間を刻む事を思い出すでしょう。
月と海と森の永遠の中で。


太陽の光が
                
空間の広がりを流れる。

鳥の歌が

大気に響き渡る。

草木の恵みが

大地から芽吹く。

そして、人間の魂は

感謝の感情のなかで

世界の霊性へと高まる。

ルドルフ・シュタイナー