KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

きれいのちから

2007-06-13 | KOFUKU日記
以前「MUSA」というエンターテイメントミュージカルカフェをやっていました。
たくさんのオリジナルショーをやっていましたがその中でネイティヴアメリカンを題材にした「EARTH BEAT~大地の鼓動」と言うオリジナルショーがありました。
作・演出の自分が言うのもなんですが、ネイティヴの美しい言葉でつづられた詩の数々と音楽とミニミュージカルで構成された華やかではないけれど、心にしみるような善いショーでした。
そこに「ミミズのカーロ」という話が出てきます。
ショーの途中、俳優たちが楽屋のごみをどうしようか?ってトークを始めて、ドイツのゴミ箱が一個しかない小学校とそこで飼われていたミミズのカーロの話になります。
ゴミでいっぱいの学校のゴミ箱、なんど説明しても分別すらできない。
そんな時、先生がゴミのことを教えてくれる先生としてミミズのカーロを連れてくるのです。
カーロの入った水槽にいろんなごみを放り込むと土に戻せるごみはカーロが細かく噛み砕いて、土に混ぜこんで行きます。
けれど土に戻らないガラスや鉄などの「本当のごみ」はそのままどんどんと土の上に積もってゆく。それは今の地球の姿そのものだった、と言うわけです。
子どもたちはそれを見て本当のゴミはどういうものなのかを学びます。そして土の上に積もってゆく本当のゴミを減らそうと努力するのです。
おやつに持っていっていたジュースはガラス瓶や水筒に入れてもって行きます。
紙袋やビニールに入れていたお弁当も自然素材出でできたお弁当箱で。
そしてその学校からはゴミ箱が消えました。
ショーでカーロのくだりの最後、俳優たちは土には戻らないゴミをどうするか話し合います。そして自分たちらしくリサイクルしようと言うことになってゴミをその場で楽器にして即興演奏をします。
そして今あるすべての現代の発明がネイティヴたちの暮らしが文明となって私たちに美しさを教えてくれるのと同じように、私たちの暮らしも次の時代に「文明」として残りますようにと祈りを込めて歌うのです。
ショーの間、詩の朗読でも、歌でも、ミュージカルの中でも、テーマとなったネイティブたちの言葉が何度も繰り返されます。
「自然と私たちは兄弟。命という輪の中で生きている」と。
自然はすべて自分であって、自分もそれを創る一本の織り糸にすぎない、と。
先日使った後の排水が水を綺麗にすると言うエコ洗剤を買ってみました。
廃油や大豆などで作られた物で、使えばその排水が善玉菌を増やし、悪玉菌を退治して川や海の水を綺麗にするお手伝いができると言うものです。
ネイティヴたちは何かを決めるとき、先人の知恵とその霊魂たち、
自然霊たちの大いなる力を借りて、7代先の子孫たちにとって
その決断がすばらしく、善きものであるようにと考えたそうです。
難しいことや無理は何もする必要はないと思うけど、
自分ができることをやっていけばいいンじゃないかなって思います。
私はテレビは殆ど見ませんが、先日こんなCMを見ました。
タバコのCMで、ケータイ灰皿を持ちましょうってやつです。
「携帯と名のつくものを携帯せずにどうする?」
「マナーを携帯する人が増えている」美しいCMだと思いました。
自分の世界のなかから少しずつ「きれい」を見つけてみる。
それってすごいエコかもしれない。

「綺麗」は「力」になる。そう思いました。

今日の写真は夕焼けを一心に見つめるぴーちゃんの後姿です。
自然の美しさは小さな仲間たちの心をもぐっとつかんで離さないのでしょう。
いつまでも美しい夕焼けの見つめられる地球でありますように