「きれいなお姉さんは好きですか?」と言うCMがある。
こう聞かれて「ハイ」と返事をしてしまうのは私だけではあるまい。
わたしはちなみにきれいなおばさんも、おじさんも、おにいさんも、
さらには美々しいお子様たちも愛している(笑)
わたしは何が好きかって、その性特有の「らしさ」が好きなんである。
(こう書くとなんかやらしいけど。^^;)
たとえば赤ちゃんとか見ると、あのでかい頭とかぷくぷくの指とか
ひざの上の脂肪がたまってるところとか、あごのしわしわなんかにくらくらする(危ない)
同じように「女の人」って感じのラインがもうたまりません(さらに危なくなってきた)
国内、国外の昔の女優さんのポートレートやアンティークの写真などを見るたび、
ああああ、なんてきれいなのおおお!!!と絶叫しそうになるほどです。(もう壊れてます)
って、なんでこんなこと書いてるのか?っていいますと、
今、家から徒歩2分のデパートで夏のバーゲンやってまして。。。
やっぱり女ですから、買わずとも覗いちゃうんですね、お店を。
バーゲンのときはわーっと人が居るんで逆に声もかけられずゆっくり見られるのです。
で、いつも見たかったあの服をじっくりと見るわけですね。
ちなみに私にとっての服は衣料品であると同時に「芸術品」という感覚であります。
このデパートにあるブランドが入ってて、私はそこのブランドが気に入ってます。
とってもシンプルなんだけど、服のカットと仕上がりのラインが私的にものすごくいいのです。
そう、女性の「らしさ」を追求したと言うか、なんと言うか。
たとえばストンとしたIラインのワンピースがあります。
けれどただの一直線じゃない。前身ごろのすそが短く、後ろが長いデザインです。
けれどそこにも一工夫がある。すそが少し絞り気味になっていて、
そして腰からお尻にかけてがぷっくりと丸みを帯びるようになっているのです。
ノースリーブの肩はそでぐりのラインが腕がすっきり見える長め、
襟ぐりは鎖骨が見え、胸の白さが強調されるように深め、
そしてわずかなギャザーが胸をふっくらと見せる。
う~ん、これできれいなお姉ちゃんが着てくれれば完璧(笑)
けど、悲しいかな既製品。世の中はS、M、Lで分けられる時代です。
ちびの私が着ると長い。。。。(--;)残念っ!
それを短くして着ると本来のシルエットが崩れてしまいます。
デザインがデザインでなくなってしまうのは本当に惜しい。
それを思うと「オーダー」ってのは素敵だと思う。
どんなデザインも自分の身体にぴったりに作るのだから。
考えてみれば、昔はみーんなオーダーメイドでハンドメイドだったはず。
なんて素敵なことが失われてしまったんだろう。
既製品が増えて時間は出来たけど、本当のおしゃれ精神と芸術(技術とも言う)が失われてしまったのかも知れない、って思う。
私の大好きな作家にアメリカの開拓時代を描いたローラ・インガルス・ワイルダーがいる。
彼女の教えてくれる小さな家のシリーズには素敵なことがいっぱいだ。
今日の写真はその本の中から、おしゃれ途中の女性たちを載せて見た。
ホームパーティのダンスの仕度をする様子が描かれている。
抜粋してみましょう。
「ドーシアおばさんの服は、小枝もようで、紺地に赤い花と緑の葉のついた小枝が一面についています。
短い上着の前にはずらっと黒いボタンがついていて、それがまるでみずみずしい大きなクロイチゴのように見え、ローラはちょっと食べてみたいほどでした。
ドーシアおばさんは白い美しいえりを、おおきな丸いカメオのブローチでとめました。
けれどルビーおばさんが、えりをとめたのは、封ろうで作った赤いバラでした。
おばさんはつくろい物用の針のめどが壊れて使い物にならなくなったのを利用して、そのブローチを自分で作ったのです。」
身体にぴったり合ったドレスも下着も、アクセサリーもみんなハンドメイドだったのだ。きれいでないはずが無い。
こういう文章を読むとき、本当に服って芸術品だよ~と思う。
そしてそれを着る人間の身体の美しいこと。
それは毛皮や羽をまとう動物や虫たちも同じ。
たまには自分に似合うものを自分の為に自分で作る。
そんな古の週間がよみがえってもいいきがしてならない。
こう聞かれて「ハイ」と返事をしてしまうのは私だけではあるまい。
わたしはちなみにきれいなおばさんも、おじさんも、おにいさんも、
さらには美々しいお子様たちも愛している(笑)
わたしは何が好きかって、その性特有の「らしさ」が好きなんである。
(こう書くとなんかやらしいけど。^^;)
たとえば赤ちゃんとか見ると、あのでかい頭とかぷくぷくの指とか
ひざの上の脂肪がたまってるところとか、あごのしわしわなんかにくらくらする(危ない)
同じように「女の人」って感じのラインがもうたまりません(さらに危なくなってきた)
国内、国外の昔の女優さんのポートレートやアンティークの写真などを見るたび、
ああああ、なんてきれいなのおおお!!!と絶叫しそうになるほどです。(もう壊れてます)
って、なんでこんなこと書いてるのか?っていいますと、
今、家から徒歩2分のデパートで夏のバーゲンやってまして。。。
やっぱり女ですから、買わずとも覗いちゃうんですね、お店を。
バーゲンのときはわーっと人が居るんで逆に声もかけられずゆっくり見られるのです。
で、いつも見たかったあの服をじっくりと見るわけですね。
ちなみに私にとっての服は衣料品であると同時に「芸術品」という感覚であります。
このデパートにあるブランドが入ってて、私はそこのブランドが気に入ってます。
とってもシンプルなんだけど、服のカットと仕上がりのラインが私的にものすごくいいのです。
そう、女性の「らしさ」を追求したと言うか、なんと言うか。
たとえばストンとしたIラインのワンピースがあります。
けれどただの一直線じゃない。前身ごろのすそが短く、後ろが長いデザインです。
けれどそこにも一工夫がある。すそが少し絞り気味になっていて、
そして腰からお尻にかけてがぷっくりと丸みを帯びるようになっているのです。
ノースリーブの肩はそでぐりのラインが腕がすっきり見える長め、
襟ぐりは鎖骨が見え、胸の白さが強調されるように深め、
そしてわずかなギャザーが胸をふっくらと見せる。
う~ん、これできれいなお姉ちゃんが着てくれれば完璧(笑)
けど、悲しいかな既製品。世の中はS、M、Lで分けられる時代です。
ちびの私が着ると長い。。。。(--;)残念っ!
それを短くして着ると本来のシルエットが崩れてしまいます。
デザインがデザインでなくなってしまうのは本当に惜しい。
それを思うと「オーダー」ってのは素敵だと思う。
どんなデザインも自分の身体にぴったりに作るのだから。
考えてみれば、昔はみーんなオーダーメイドでハンドメイドだったはず。
なんて素敵なことが失われてしまったんだろう。
既製品が増えて時間は出来たけど、本当のおしゃれ精神と芸術(技術とも言う)が失われてしまったのかも知れない、って思う。
私の大好きな作家にアメリカの開拓時代を描いたローラ・インガルス・ワイルダーがいる。
彼女の教えてくれる小さな家のシリーズには素敵なことがいっぱいだ。
今日の写真はその本の中から、おしゃれ途中の女性たちを載せて見た。
ホームパーティのダンスの仕度をする様子が描かれている。
抜粋してみましょう。
「ドーシアおばさんの服は、小枝もようで、紺地に赤い花と緑の葉のついた小枝が一面についています。
短い上着の前にはずらっと黒いボタンがついていて、それがまるでみずみずしい大きなクロイチゴのように見え、ローラはちょっと食べてみたいほどでした。
ドーシアおばさんは白い美しいえりを、おおきな丸いカメオのブローチでとめました。
けれどルビーおばさんが、えりをとめたのは、封ろうで作った赤いバラでした。
おばさんはつくろい物用の針のめどが壊れて使い物にならなくなったのを利用して、そのブローチを自分で作ったのです。」
身体にぴったり合ったドレスも下着も、アクセサリーもみんなハンドメイドだったのだ。きれいでないはずが無い。
こういう文章を読むとき、本当に服って芸術品だよ~と思う。
そしてそれを着る人間の身体の美しいこと。
それは毛皮や羽をまとう動物や虫たちも同じ。
たまには自分に似合うものを自分の為に自分で作る。
そんな古の週間がよみがえってもいいきがしてならない。