KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

伝心

2007-06-26 | KOFUKU日記
わたしはよくしゃべる(笑)
とにかくいつも元気に勢いよくしゃべる。
なので周りの人からよくこういう風に言われる。

「よくもそんなに話すことあるね」
「どっからそのパワーは出てくるの」
「悩みなんかひとつもないでしょう」

そんな私は人に上手く自分の話を伝えることが出来ない程
常に恐怖感を持ち続けるというメンタル疾患の持ち主である。
そう、しゃべるけど話すことは得意ではない。
実はものすごく苦手である。
ではなぜ苦手なのか?
多分それは人と話す時に、相手の感情と言うものがあるからだ。

「この人は今どう感じているだろう?」
「もしかして怒ってしまったろうか?」
「嫌な思いはしていないだろうか?」

そういった思いに駆られ、それは恐怖心に変わる。
だから私は相手に返事をされないように、
多分一方的にどんどんしゃべるのだろう。

「以心伝心」という言葉がある。
思っている事が話をせずとも思っているように伝わる。
なんて素晴らしい、素敵なことだろうか、と思う。
私は「話す恐怖感」に囚われて、十分の一も思うことを伝えられない。
そうやって話しあぐねているうちに引き返せないところまで来てしまう。
いつもそのパターンだ。きっと私を知る人は意外だろう(^^;)

昨日もそういう事態に直面した。
言わなくてはいけない事を相手を考え、
自分の立場を考えしているうちに
結局これはやばいでしょうって状況になり、
結局最後に話すこととなり重い話になってしまった。
家に帰ったら緊張のために熱を出すくらいに。

こういうとき、以心伝心できたらなあと思ってしまう。
けれど、昨日はこう思った。結局「信頼」なんだなあ、と。
信頼、それは相手に対して持ちたいものであるが
私の場合、まず自分に対して信頼がなかったのだ。
もし、自分を信頼していたら、きっと最初から相手に話せたことだった。
だって相手には相当の信頼感を持っていたから。
けれど結局、最後のところで恐怖心が勝ったのだ。
自分の言動で相手が変わってしまうことが恐ろしかったのである。
昨日はそれをとても感じた。
本当に以心伝心出来ていなければならなかったのは
私の心と身体だったんだと思う。

恐怖感に打ち勝つ、と言うのは難しい。
けれど、頑張って乗り越えていくときだ、と感じている。

この場を借りて、心弱い私の告白に付き合ってくれ
親身に聞いてくれた友人に深く感謝します。
ありがとう