パソコンが壊れてばたばたしていたので、しばらくぶりの書き込みです。
リトルマーロゥでの毎日が始まって、はや一か月。
合間をぬっての片付けも荷物運びもずいぶん進みました。
たくさんの方に支えられ念願だった言葉のシェアレッスンも
6月末の土曜から無事に始めることができました。
毎週おいで下さる方々からたくさんの素晴らしいものを頂いています。
私はもともと教える事を得意としません。
なぜなら自分が学ぶことの方が多い人間だから(^^;)
だから「教える」「導く」「育てる」そんな言葉はお恐れ多くて使えないのです。
だからまだまだ教えではなくシェアリング・レッスンです。
そして私のしていることは単純に「お金を得る仕事」する事ではなく
自分にもお人にとっても「善き働き」でありたいと心から願っています。
何かを始めるたびに思うことなのですが、
つくづく何かを伝える(教える)ということは難しいと思います。
そしてそれは自分と向き合うということなんだなって本当に感じてます。
相手に向き合って、その方が求めているものを私という中から引き出し、
相手に染みいっていけるようにアレンジしてお渡ししなくてはならない。
それは自分の深い部分、自分自身を探って、自身が知ることでもある。
それは舞台に立っている時も全く同じです。
てしごとをしている時もおなじです。
家でだれかと暮らしている時も。
その過程には難しさも苦しみもある。
そしてハッとするほどの喜びもある。
だれかと出会ってレッスンするたびに知らない自分と出会います。
誰かとして舞台に立つたびに、そのステージの向こうに
本当の自分を見つけるのです。
誰かを思ってしごとをするたびに、家族を思うたびに
自分の奥深くにいる本当の自分と出会います。
そして私は向かいあうものの中に自分の姿を見つけます。
そして自分の中に向かいあう誰かを見ます。
わたしはあなた。
あなたはわたし。
そして結果、向かい合う人との共通点を見つけて喜ぶことができる。
私という何かが御役に立てる事が出来る。
私ではない誰かの力として。
私のしている仕事はそんな幸せな幸せな働きです。
とてもありがたいことだと思います。
そんな学び舎でもあるリトルマーロゥ。
どんなにバタバタしている時も洗足のこの小さな家は
名前の通り「風の通り道」に風が吹き渡り、
「緑と光」が小さな家いっぱいに降り注ぎます。
お陰で忙しくても、大変でも、いつも心が穏やかで気持ちいいんです。
毎日、おやかんでお湯を沸かし、ポットいっぱいのお茶を作り、手仕事をします。
手仕事の傍ら、たくさんの窓から見えるお花が咲いて行くのを見たり、
かりんの実っていく様子を眺めます。
ぴーちゃんも傍らでゆったり過ごします。(写真の通り・笑)
時にはお庭仕事をしたりもします。
ぴーちゃんは一人で庭をお散歩するのが楽しみな日課になりました。
とてもリラックスした穏やかでまろやかなマーロゥ時間が過ぎていくんです。
もちろんまだまだここでは生活を支えるような事はできてないのですが。
でもね、貧しくても、ささやかでも、こういう穏やかさが何より豊かで素敵だと感じます。
このちいさなお家は長谷川知子先生のご協力とご厚意で、
自己資金のない私たちにとてもとてもお安く、
またこちらに有利な条件の下にお貸し頂いているんです。
先生はじめ皆さんのお力あってのリトルマーロゥです。本当に感謝です。
お陰様でお人のものを大事に使わせて頂くという経験をさせて頂いています。
自分たちの働きの中から、そこを維持するお金を支払っていく、
という素敵なバランスのとれたあり方も経験させてもらってます。
それは本当に美しい行為であると感じます。
自分のものとは違う、という自由とは隔たれたものの中にありながら、
本当の自由を形づくっていくというような素敵な感覚ですね。
それに大家と店子って関係もとても楽しい。
何と言うか、今の世の中に失われつつある
人と人とのコミュニーケーションがここにはあります。
何気ない挨拶とか、心配りとか、大事なものがある。
それはとても美しいなと思います。
町も古いおうちがいっぱいあったりして、とても懐かしい感じですが、
人の心の中にもそんな懐かしい思いやりが生きているところなのかもしれません。
またこの誰かの場所ということがあるせいか、
「自宅」がとても特別な場所になりました。
「帰る場所」というのでしょうか。「HOME」です。
原宿にいる頃は原宿が暮らす場所になっていて、
ここは物置のような感覚だったのです。
でも今はいまだに荷物でいっぱいだけど、「帰る家」
あたたかな明かりがともる「家」になった気がします。
先日、カンナちゃんが手伝ってくれて、大きな荷物の移動をして
自宅に少しだけスペースができました。
小さいけれど私たちが暮らす場所です。
相方さんのつくった古木で作ったテーブルと映画館で使っていた椅子が置いてあります。
最近はすっかり「家メシ」の我が家。
気持ちよく過ごせていると、貧しくとも何とかなるさ!と心も気楽。
ついでに心軽いので、工夫にも熱が入る(単純・笑)
そんなお料理がこのテーブルの上に並ぶ日がやってきました。
ああ、更に幸せ。〈カンナちゃん、ありがとう!)
最近ご近所にお安いスーパーも発見してさらにお家ごはんに加速が・笑。
いつも一汁三菜を目安に作ります。
最近は暑いので辛め中華多し。
本日は久しぶりにお魚のメニュー。
キュウリのピクルスを入れたソースをかけたサーモンムニエルの予定。
親友リッキーのところから届いたじゃがいもと、
赤と緑のピーマンとマイタケのソテー添え。
小松菜と油揚げのおすまし。かぼちゃのミニフライ。
相方さんにはまぐろのお刺身も少しね。
摘みたての枝豆も茹でました。
(長谷川先生の下さったフランスのお塩使ってみました・豪華)
かぶとマイタケとベーコンも買ったから明日はこれを一緒に煮ましょう。
かぶは葉っぱがわさわさしておいしいそうだったのです。
それで枝豆すこし取っといて枝豆ご飯だな~。
お安いスーパーさんや洗足のお家のシソの葉さんや
お友達の送ってくれるお野菜とかでお金は無くとも今日も豊富(^^)
お陰でたぶん今日のように豪華な日でも一日分に換算したら
300円もかかっていないかも。ありがたや。
おいしいものを食べると本当に幸せになります。
これも生活を助けて下さる皆さんのおかげです。感謝。
さあ、明日からまた新しい一週間が始まります。
皆様も優しく穏やかな毎日でありますように。。。
リトルマーロゥでの毎日が始まって、はや一か月。
合間をぬっての片付けも荷物運びもずいぶん進みました。
たくさんの方に支えられ念願だった言葉のシェアレッスンも
6月末の土曜から無事に始めることができました。
毎週おいで下さる方々からたくさんの素晴らしいものを頂いています。
私はもともと教える事を得意としません。
なぜなら自分が学ぶことの方が多い人間だから(^^;)
だから「教える」「導く」「育てる」そんな言葉はお恐れ多くて使えないのです。
だからまだまだ教えではなくシェアリング・レッスンです。
そして私のしていることは単純に「お金を得る仕事」する事ではなく
自分にもお人にとっても「善き働き」でありたいと心から願っています。
何かを始めるたびに思うことなのですが、
つくづく何かを伝える(教える)ということは難しいと思います。
そしてそれは自分と向き合うということなんだなって本当に感じてます。
相手に向き合って、その方が求めているものを私という中から引き出し、
相手に染みいっていけるようにアレンジしてお渡ししなくてはならない。
それは自分の深い部分、自分自身を探って、自身が知ることでもある。
それは舞台に立っている時も全く同じです。
てしごとをしている時もおなじです。
家でだれかと暮らしている時も。
その過程には難しさも苦しみもある。
そしてハッとするほどの喜びもある。
だれかと出会ってレッスンするたびに知らない自分と出会います。
誰かとして舞台に立つたびに、そのステージの向こうに
本当の自分を見つけるのです。
誰かを思ってしごとをするたびに、家族を思うたびに
自分の奥深くにいる本当の自分と出会います。
そして私は向かいあうものの中に自分の姿を見つけます。
そして自分の中に向かいあう誰かを見ます。
わたしはあなた。
あなたはわたし。
そして結果、向かい合う人との共通点を見つけて喜ぶことができる。
私という何かが御役に立てる事が出来る。
私ではない誰かの力として。
私のしている仕事はそんな幸せな幸せな働きです。
とてもありがたいことだと思います。
そんな学び舎でもあるリトルマーロゥ。
どんなにバタバタしている時も洗足のこの小さな家は
名前の通り「風の通り道」に風が吹き渡り、
「緑と光」が小さな家いっぱいに降り注ぎます。
お陰で忙しくても、大変でも、いつも心が穏やかで気持ちいいんです。
毎日、おやかんでお湯を沸かし、ポットいっぱいのお茶を作り、手仕事をします。
手仕事の傍ら、たくさんの窓から見えるお花が咲いて行くのを見たり、
かりんの実っていく様子を眺めます。
ぴーちゃんも傍らでゆったり過ごします。(写真の通り・笑)
時にはお庭仕事をしたりもします。
ぴーちゃんは一人で庭をお散歩するのが楽しみな日課になりました。
とてもリラックスした穏やかでまろやかなマーロゥ時間が過ぎていくんです。
もちろんまだまだここでは生活を支えるような事はできてないのですが。
でもね、貧しくても、ささやかでも、こういう穏やかさが何より豊かで素敵だと感じます。
このちいさなお家は長谷川知子先生のご協力とご厚意で、
自己資金のない私たちにとてもとてもお安く、
またこちらに有利な条件の下にお貸し頂いているんです。
先生はじめ皆さんのお力あってのリトルマーロゥです。本当に感謝です。
お陰様でお人のものを大事に使わせて頂くという経験をさせて頂いています。
自分たちの働きの中から、そこを維持するお金を支払っていく、
という素敵なバランスのとれたあり方も経験させてもらってます。
それは本当に美しい行為であると感じます。
自分のものとは違う、という自由とは隔たれたものの中にありながら、
本当の自由を形づくっていくというような素敵な感覚ですね。
それに大家と店子って関係もとても楽しい。
何と言うか、今の世の中に失われつつある
人と人とのコミュニーケーションがここにはあります。
何気ない挨拶とか、心配りとか、大事なものがある。
それはとても美しいなと思います。
町も古いおうちがいっぱいあったりして、とても懐かしい感じですが、
人の心の中にもそんな懐かしい思いやりが生きているところなのかもしれません。
またこの誰かの場所ということがあるせいか、
「自宅」がとても特別な場所になりました。
「帰る場所」というのでしょうか。「HOME」です。
原宿にいる頃は原宿が暮らす場所になっていて、
ここは物置のような感覚だったのです。
でも今はいまだに荷物でいっぱいだけど、「帰る家」
あたたかな明かりがともる「家」になった気がします。
先日、カンナちゃんが手伝ってくれて、大きな荷物の移動をして
自宅に少しだけスペースができました。
小さいけれど私たちが暮らす場所です。
相方さんのつくった古木で作ったテーブルと映画館で使っていた椅子が置いてあります。
最近はすっかり「家メシ」の我が家。
気持ちよく過ごせていると、貧しくとも何とかなるさ!と心も気楽。
ついでに心軽いので、工夫にも熱が入る(単純・笑)
そんなお料理がこのテーブルの上に並ぶ日がやってきました。
ああ、更に幸せ。〈カンナちゃん、ありがとう!)
最近ご近所にお安いスーパーも発見してさらにお家ごはんに加速が・笑。
いつも一汁三菜を目安に作ります。
最近は暑いので辛め中華多し。
本日は久しぶりにお魚のメニュー。
キュウリのピクルスを入れたソースをかけたサーモンムニエルの予定。
親友リッキーのところから届いたじゃがいもと、
赤と緑のピーマンとマイタケのソテー添え。
小松菜と油揚げのおすまし。かぼちゃのミニフライ。
相方さんにはまぐろのお刺身も少しね。
摘みたての枝豆も茹でました。
(長谷川先生の下さったフランスのお塩使ってみました・豪華)
かぶとマイタケとベーコンも買ったから明日はこれを一緒に煮ましょう。
かぶは葉っぱがわさわさしておいしいそうだったのです。
それで枝豆すこし取っといて枝豆ご飯だな~。
お安いスーパーさんや洗足のお家のシソの葉さんや
お友達の送ってくれるお野菜とかでお金は無くとも今日も豊富(^^)
お陰でたぶん今日のように豪華な日でも一日分に換算したら
300円もかかっていないかも。ありがたや。
おいしいものを食べると本当に幸せになります。
これも生活を助けて下さる皆さんのおかげです。感謝。
さあ、明日からまた新しい一週間が始まります。
皆様も優しく穏やかな毎日でありますように。。。