10日前ほどに書いたブログ。
なぜかアップしてませんでした(^^;
遅ればせながら~です。
今日は北海道時代の生徒たちが集まってくれました。
15歳から19歳までのとっても素敵な若者たち。
たくさんの元気をもらいました。
なぜか、この記事、今日の話題と共通しております(笑)
ではどうぞ。
最近、「料理ブログになってるね」と言われております、私のブログ(笑)
ハイ、私は以外にもお料理好きなんですわ~。
ってか、今ある時間を大事にしたくてですね~。
お仕事が忙しくなってくるとできませんしね~。
ちなみに昨夜のご飯は特売のうなぎでございました。
これねえ、ゆず胡椒で頂くと美味しいんですよ~。
皆さんも是非お試しください。
まあ、現在の体系からも「お料理好きは何となくわかるわ」ってな反応を受ける私、わ~はっはあ(^^;)
でも俳優仲間は私にはほとんどそういうイメージ無いらしい。
どんだけ裏方的仕事をこなしても~、
「芝居しかしてないじゃん!」みたいなね。
っていうか、昔は生活感が無いのが私だったらしいです(爆)
そんな私の本職は舞台女優。
腐っても女優(笑)
そんな本職を持つ私の過去は意外にも「おしゃれ関係」に満ちていたりする。
わたし、意外にもおしゃれにうるさかったりいたしますのよ、のよ。のよ・笑。
もちろん、他人さまへの意見限定ですが(自分のことはタナ上げっす・爆)
え?今日の私のファッションですか?
「無頓着を絵にかいたような…」
・・・これはまさに私のことかと思われますが、何か?(^^;)
まあとにかく昔からおしゃれは好きでしたね。うん。
(どーゆうまとめ方だよ・^^;)
でもお洋服などお買い物は本当に必要でないとほとんど買わないです。
私はどっちかって言うと既成の服に頼らない派です。
今のころぽちゃの私からはイメージできないかもしれませんが、
若い時は女優業であることもありまして、結構いろいろなスタイルを楽しんでました。
けれど、ずっと小さい頃から流行を追うことはほとんどありません。
「自分が美しいと思い、かつ私を美しく見せるものを身につける」
これが基本ベース。
そして工夫と手作り(ここまでもか?笑)
そして今は無頓着(爆)
今は大きな意味でナチュラリズムを大事にしたいこともあり、
(間違っても美を放棄しているわけではありませんよ)
あれこれと余計なもので自分を飾ることはしません。
ってか、今、ファッション界はナチュラルブームですが、
私の見解は~(あくまでわたしのでっす)
このナチュラル素材、そしてナチュラルスタイルは
これまでの他の物で自分の足りないところを飾るファッションとは違い、
もっともその人の真実の美を引き立てるファッションではないかと。
つまり、着てる人がホントの意味で美しくなければ着こなせないものなので、
着るのに勇気がいるし、とても難しいものだと思いますね。
だって、ナチュラルスタイルって美の女神ヴィーナスがしてた
あの布くるくるファッションがもとですからねえ。
中身で勝負ですよ。
何も考えずにきれば「ぼてー」となるし、
だからと言って過剰に飾ればすぐさま下品になる。
もっとも難しいと思います。
なので、私はその辺の美しさにはチャレンジせず、
あえて素朴感で勝負ってことで!
(だめじゃん・笑)
さてこんなアタクシ、最近はスタッフの花の18歳、
とってもおしゃれ上手なカンナちゃんと
一緒にファッションについてあーだこーだ話すのがとても楽しみです。
(私と彼女のお母さんは私より一個だけ年上って年齢ですけどね。。。^^;)
でも年の差なんて何のその!
カンナちゃんと私、結構美観が共通点があって話が合うんです。
(だよね?カンナちゃん?^^;)
カンナちゃんが流行に左右されないところも似ているし、
既存のお洒落に揺れないところも昔の私と似ているからかもー。
もちろん、彼女の方が昔の18のあたしより全然かわいらしいですが(^^)
私はカンナちゃんと同じ年の頃はもう東京で働きながら大学行ってました。
実は高校時代は家族にはこっぱずかしいので言いませんでしたが
内緒で昔はファッション誌の中でも有名だった雑誌の読者モデルや
帽子ブティックのポスターモデルなんてのをやっていたりしてね。
学校も校長先生の娘さんが当時いいとも!に出てたくらいだったし、
いろいろ芸能活動なんてやってる人もいて、
田舎の割にはじけた環境で、私のクラスには歌手の女の子がいたり、
当時その有名なおしゃれ雑誌の読者モデルの子がおりました。
ある日、学校での一日を取材にきた雑誌社の方になぜかスカウトされ
雑誌の読者モデル、ちっちゃいさんサイズのモデルに。
(私は151センチです・笑)
それを知った街の帽子屋さん(お友達の親のブティックだった)
からも頼まれて、帽子ポスターモデルもやってました。
大人になってからは美容師さんの大きなコンクールのヘアモデルやら、
ある有名なメイクアーティストのメイクモデルやら、
結構いろいろ頼まれてやりましたね~。
私は身長は151センチしかないんですが、
現役の時は体重も40キロなかったし、
未熟児だったから頭と顔が小さかったんですよ。
(ええ、いまや、ころころころりんです・笑)
ついでに、髪の毛は天然パーマ縦ロール系で、ものすごく少なくて~、
顔も化粧をしたかのように濃いのですよ。
若かったからね、今のようにボケてませんでしたの(笑)
そんな訳であえてたくさんの髪の毛をいじらずとも形になり、
メイクも濃くしなくてもよかったんで超便利だったらしいです。
なんせ天国に帰ったソウルメイトと交わした初めての言葉は
「あんじゅさんはなんで汗だくで稽古しても化粧落ちないんですか?」
だったくらいでして(どんだけ濃いんだよ・笑)
実際、化粧を始めたのはアラフォーになってから。
仕事に必要だったから仕方なく~というね(笑)
いや、普段も必要なんだろーけど、してませんでしたー!(ごめん)
舞台やってる時は板に乗ってない時は完全に落としておく派だったし。
現在も面倒なんで日焼け防止をこめて日焼け止めと下地して基本のみ・笑
でも、20代後半から10年くらいやってたバイトはなんと「BA」
ハイ、ビューティアドバイザー、つまり「美容部員さん」
資生堂とコーセーとカネボウとソフィーナの臨時委託美容部員だったのです。
でも化粧は全くせず(笑)
だって自前持ってないし、舞台メイクしか自分でできなかったんだもん(^^;)
バイトに行くとカウンターに行って、ファンデーションも無しで
お粉だけぱたぱたはたいてー、お姉さんたちに眉書いてもらって、
リップつけたらおしまい(笑)
でも、お客様には
「あら、いいアイシャドウね!新色?何番?」
とかって言われるの(爆)
で、「15番のグレーです」とか言って売る(悪!)
でもねー、若き日からのその経験の中で、確固たる美的感覚を持った
デザイナーさんやカメラマンさん、メイクアップアーチストさんなど、
素晴らしい美観の人たちに出会ったのが大きかったですね。
美しさは必ず自分の中にあるものなのだと教えてもらいました。
そういう方はこぞって、物に頼ることをしない気がします。
自分の欠点は美点と認識できれば、隠すおしゃれではなく
本来必要なおしゃれが見えてくるのだと皆さん行ってた気がします。
中でも資生堂のあるカウンターのリーダーBAさんは
もう50歳くらいの方でしたが、それはそれは美しく、
その方からたくさんのことを教えてもらいました。
「メイクは自分の一番美しい部分を引き立たせるためにするもの。
見た目を変身させる為の道具じゃないのよ。
あくまでも自分のきれいを引き立たせる為のアイテム。
そして美しさはその人がだめだと思う部分に潜んでいる」
彼女はそういっておられました。理解してる部下の方は少なかったけど。
当時、私は臨時バイトだったけど、販売コンクールなどで
営業成績が日本でトップになったことが何回かあります。
それは彼女から学んだ美しさの考え方が大きかったのです。
「その人の美しさを引き立てる」
という魔法をもつ彼女から、その極意を学んだからです。
だから出会ったお客様にはみんな美しくなって頂きました(笑)
実際、ほかのBAさんのように色や線をプラスすることで
お顔を変身させるだけだとお家に帰ってお化粧を落としたら
きれいの魔法はその場でとけてしまいますよね?
だから、決して魔法がとけない「その人のきれい」
をプラスする方法を伝えるんです。
そうすれば、いつでも魔法は甦るから。
その魔法を学んできたので、皆様に喜んでもらって、
そしてたくさんのお客様が付いてくれました。
自分に関して彼女から学んだ大きなことは、
私のような顔は色や線を過剰に乗せてはならないということ。
色を変えるのでなく、肌の質感を変えて、素顔を美しくするメイクをする。
そして時代に流されず、常に生まれてくる自分の美しさを知ること。
つまり年齢というものを真摯に向き合うことですね。
それは欠点を知り、納得し、愛してあげることでもありますね。
女にとって「欠点」や「年齢」は見たくない部分ですが~。
でも、それが大事。
だって自分に現われて来る年齢は美の素です。
たとえば30代、40代の女性の「きれいに見せたい」感覚が
20代のそれだったら、絶対に美しくなれない、
そうアタシは思っちゃったりします。
だって世の中に「若く見える人」はいっぱいいますが、実際は若くないでしょ(笑)
若い人と並べば偽物なのはすぐわかるんですよ。
そういう若く見える人には人は「そのお歳には見えませんね」
って言うもんなんですが、それを信じてたらだめです。
人はでも、それなりには歳とってますね、とは言いませんからね。
それなのに若さをつかもうとするのは無謀つーか、なんて言うか~(笑)
なんていいますか、バレエダンサーがいて、
1回しか回れないピルエットを無理して3回回る感じですね。
〈良く分かんないか^^;)
歌手が無理して一オクターブ高いところを歌うぐらい聞き苦しいのとおんなじ感覚です。
あたしはそういう人を見るとむしょうに恥ずかしくなる人なんですよ。
でもね、それなりの年齢のファッションや生活をしておられるのに
かっこ良くって、本当にお若く見える方っていますよね?
私はそういうのが本当の「若さ」の現れだと思っています。
なので、私はそんな大人になりたいですねー。うん。
綺麗になりたい方向をトンチンカンにはしたくないかな。
やっぱり、その年齢だからこそ似合うものってあるんですよね。
たとえばイタリアのニット作品なんかは、
ある程度アダルトなボディーでないと着こなせないと思う。
身体が年を経た独特のゆるいラインにならないと
あのアダルトなアンニュイな影や色気は出てこない。
ということで皆さん「欠点」こそ美点の攻略ポイントですよ。
それを知るだけでお顔や姿の印象は驚くほど変わります。
この美的な考え方は私の母と共通するものです。
つまり「美しくない人なんてどこにもいない」ってことですね。
その人の本当の美しさを見つけることです。
それは自分の中に息づくものを知ることなのかもしれないですね。
このところ自分のルーツなるものを考える機会によく恵まれます。
まあね、このお歳ですからね(笑)
そろそろいろんな事、知ったり考えたりしなきゃいけないんでしょーね。
で、すごい些細なことから、「伝統」というか、
魂や身体を通して継いで行くものって言うのは大きいなあ、と。
特に親からの影響というのは、良いことも悪いことも含めて、
自分が思ってもみなかったほどに大きいですね。
しらない間にわが身にそれは根付いているもんなんですね。
それはもう、まわりの友人やご家族の在り方に触れたり、
年々、自分自身が年月を経ていくごとに感じます。
そして私がそれを特に感じるのはこれまでも書いたように
「美しさの感覚」なんです。
私は私をよく知る人に言わせれば、何万人に一人というくらい
珍しく厳しい環境下に生まれ、育ったらしい(笑)
生い立ちの片鱗を話すと大体100パーセントの確率で
「小説書けばいいのにー」と言われます(絶対書かないけどさ。。。^^;)
けれど、ここまで長きを生きて参りますと、
わが身に過ぎた年月が幸せだったか、不幸だったかは
ある程度判断ができるというものですよ。
確かに生い立ちというものは生き方にも精神にも
いろいろ影響しますし、そこから囚われずに自由になるには
物理的にも難しい問題だったりもします。
人生を一言で言えば嫌なこともあったし、辛いこともあったし、
難しいこともいっぱいありました。
けれど、ここで再検証してみますと、私は間違いなく
「幸せな人生」を送っているなーと思います。
「こんな風に幸せになりたい、だからこういう風にしなくっちゃ」
といろんな幸せ攻略法や理想図が書いてあるご本やメディアや占いや
スピリチュアルリサーチを必要とする人が多いと思うけど、
私には基本的にそういうのを必要としません。
もちろん、祖母も叔父さんも善なる魂を持つ強い霊能力を持つ人で、
お付き合いしてこさせて頂いたこれまで人生のパートナーと言える方も
類にもれずそういう力を持ち、それをお仕事の一つとしている人もありました。
私自身もなにやらそのような片鱗を持ち、基本スピリチュアラー感覚ですし、
そういうのは全然嫌いじゃないし、自分の中に事実としてありますから
否定なんてしないし、興味がないわけでもないけど、
なぜかそういう「人生や生き方のお手本」みたいなものには
ほとんど頼らずすんでおります。
そういうのを見なくても、お手本にしなくても、
「ああ、こういうのってしゃーわせー」と感じる私がいるんですね(^^)
そして、自分自身の中に答えを見つける事が好きです。
あたしの魂はたぶん、根っこが自由で気楽にできてるのではないかと思います(笑)
でもそれが何より幸せじゃないか、と思う。
カンナちゃんがいってくれたんですが、
「いっちゃんって、何でも楽しめて喜べていいなあと思う。」って。
そーなのですよ、アタクシ何でもやってることが楽しいのです。
ってか、楽しくないとやんないし。やれないし?(笑)
でも、だからって自分の喜びだけに没頭して
周りの人を無視することは決してしないですね。
だって一人で喜ぶのは楽しくないですもんね。
私の喜びは自分の喜びで周りの喜びでもなくては。
私はそう思ってます。
それは学びでも、遊びでも、趣味でも、仕事でも何でもです。
よく自己啓発本とかって、「自分がまず喜ぶ」「自分がきらきらする」
とあるけれど、自分だけを中心に喜んでいるだけなら、
周りの人にとってはどうかはわからないが、
わたしにとっては全然、そういう人は美しく見えない。
これはたくさんのお母さんとそれに翻弄される子どもや
お父さんをたくさん見てきたトラウマもあるかなー。
やっぱり、お母さんがどれだけ楽しそうにしてても、
それが本人のためだけだと、子どもや周りにいる人が
それは不幸な人が多かった気がしました。
そして、そういう人はその周りの不幸に気がつかない人が多いし。
友達はそういう親御さんがいる家庭の人が多かったので、
いつも「お母さんは自分勝手」と言う、悲しそうな友人に囲まれて、
私はそういうお母さんに当たらなかったって幸せなことなんだなー
っていつも思っていました。
「誰かを思い、優しく楽しくていねいに生き、
そこにうまれる喜びをともに味わい、
時には誰かと共にいることで生まれる苦しみや痛みも
深い愛をもって自分の中で喜びに変えること」
私はそういうあり方を母や周りの美しい人から見て教わりました。
そしてそれをとても美しい生き方だと思ってます。
私の美のお手本は目の前にいつもいたし、
それを導く「美観」がたましいや身体の中に生きています。
生きてきた上で関わった人はすべてにおいて、
みな私の先生だったと思うし、今もそう。
特に両親の持つ「美的感覚」は私の感覚の一番奥底に
「尊敬するべき美」として存在していると思う。
先に書いたように、私は確かに一般の人よりはずっと苦労したと思うが、
周りの話を聞いていると、どうやら周りよりずっと
美しい楽しい毎日を送っていたように思えるのです。
特に私は実家がとても裕福であった時代を十分に知っている。
その時に本当に世間の人ができないような贅沢をさせてもらったと思う。
けれども、それ以上に贅沢であったのは、
父や母の「心ある暮らし方」だったのではないかな。
季節を大事にし、日々にお起こる自然の出来事を楽しみ、
動物を慈しみ、植物を愛し、、、。
道を歩けば食べられる野草を感謝して摘み、美味しいものに変える。
一つ一つの出来事を子どもと一緒に楽しんで過ごす。
そんな日々を送ってきたことが幸せだと思える今日この頃です。
明日からもまた美しいものに囲まれて生きられる幸せに感謝、感謝です。
明日もいいお天気だといいなあ~。
なぜかアップしてませんでした(^^;
遅ればせながら~です。
今日は北海道時代の生徒たちが集まってくれました。
15歳から19歳までのとっても素敵な若者たち。
たくさんの元気をもらいました。
なぜか、この記事、今日の話題と共通しております(笑)
ではどうぞ。
最近、「料理ブログになってるね」と言われております、私のブログ(笑)
ハイ、私は以外にもお料理好きなんですわ~。
ってか、今ある時間を大事にしたくてですね~。
お仕事が忙しくなってくるとできませんしね~。
ちなみに昨夜のご飯は特売のうなぎでございました。
これねえ、ゆず胡椒で頂くと美味しいんですよ~。
皆さんも是非お試しください。
まあ、現在の体系からも「お料理好きは何となくわかるわ」ってな反応を受ける私、わ~はっはあ(^^;)
でも俳優仲間は私にはほとんどそういうイメージ無いらしい。
どんだけ裏方的仕事をこなしても~、
「芝居しかしてないじゃん!」みたいなね。
っていうか、昔は生活感が無いのが私だったらしいです(爆)
そんな私の本職は舞台女優。
腐っても女優(笑)
そんな本職を持つ私の過去は意外にも「おしゃれ関係」に満ちていたりする。
わたし、意外にもおしゃれにうるさかったりいたしますのよ、のよ。のよ・笑。
もちろん、他人さまへの意見限定ですが(自分のことはタナ上げっす・爆)
え?今日の私のファッションですか?
「無頓着を絵にかいたような…」
・・・これはまさに私のことかと思われますが、何か?(^^;)
まあとにかく昔からおしゃれは好きでしたね。うん。
(どーゆうまとめ方だよ・^^;)
でもお洋服などお買い物は本当に必要でないとほとんど買わないです。
私はどっちかって言うと既成の服に頼らない派です。
今のころぽちゃの私からはイメージできないかもしれませんが、
若い時は女優業であることもありまして、結構いろいろなスタイルを楽しんでました。
けれど、ずっと小さい頃から流行を追うことはほとんどありません。
「自分が美しいと思い、かつ私を美しく見せるものを身につける」
これが基本ベース。
そして工夫と手作り(ここまでもか?笑)
そして今は無頓着(爆)
今は大きな意味でナチュラリズムを大事にしたいこともあり、
(間違っても美を放棄しているわけではありませんよ)
あれこれと余計なもので自分を飾ることはしません。
ってか、今、ファッション界はナチュラルブームですが、
私の見解は~(あくまでわたしのでっす)
このナチュラル素材、そしてナチュラルスタイルは
これまでの他の物で自分の足りないところを飾るファッションとは違い、
もっともその人の真実の美を引き立てるファッションではないかと。
つまり、着てる人がホントの意味で美しくなければ着こなせないものなので、
着るのに勇気がいるし、とても難しいものだと思いますね。
だって、ナチュラルスタイルって美の女神ヴィーナスがしてた
あの布くるくるファッションがもとですからねえ。
中身で勝負ですよ。
何も考えずにきれば「ぼてー」となるし、
だからと言って過剰に飾ればすぐさま下品になる。
もっとも難しいと思います。
なので、私はその辺の美しさにはチャレンジせず、
あえて素朴感で勝負ってことで!
(だめじゃん・笑)
さてこんなアタクシ、最近はスタッフの花の18歳、
とってもおしゃれ上手なカンナちゃんと
一緒にファッションについてあーだこーだ話すのがとても楽しみです。
(私と彼女のお母さんは私より一個だけ年上って年齢ですけどね。。。^^;)
でも年の差なんて何のその!
カンナちゃんと私、結構美観が共通点があって話が合うんです。
(だよね?カンナちゃん?^^;)
カンナちゃんが流行に左右されないところも似ているし、
既存のお洒落に揺れないところも昔の私と似ているからかもー。
もちろん、彼女の方が昔の18のあたしより全然かわいらしいですが(^^)
私はカンナちゃんと同じ年の頃はもう東京で働きながら大学行ってました。
実は高校時代は家族にはこっぱずかしいので言いませんでしたが
内緒で昔はファッション誌の中でも有名だった雑誌の読者モデルや
帽子ブティックのポスターモデルなんてのをやっていたりしてね。
学校も校長先生の娘さんが当時いいとも!に出てたくらいだったし、
いろいろ芸能活動なんてやってる人もいて、
田舎の割にはじけた環境で、私のクラスには歌手の女の子がいたり、
当時その有名なおしゃれ雑誌の読者モデルの子がおりました。
ある日、学校での一日を取材にきた雑誌社の方になぜかスカウトされ
雑誌の読者モデル、ちっちゃいさんサイズのモデルに。
(私は151センチです・笑)
それを知った街の帽子屋さん(お友達の親のブティックだった)
からも頼まれて、帽子ポスターモデルもやってました。
大人になってからは美容師さんの大きなコンクールのヘアモデルやら、
ある有名なメイクアーティストのメイクモデルやら、
結構いろいろ頼まれてやりましたね~。
私は身長は151センチしかないんですが、
現役の時は体重も40キロなかったし、
未熟児だったから頭と顔が小さかったんですよ。
(ええ、いまや、ころころころりんです・笑)
ついでに、髪の毛は天然パーマ縦ロール系で、ものすごく少なくて~、
顔も化粧をしたかのように濃いのですよ。
若かったからね、今のようにボケてませんでしたの(笑)
そんな訳であえてたくさんの髪の毛をいじらずとも形になり、
メイクも濃くしなくてもよかったんで超便利だったらしいです。
なんせ天国に帰ったソウルメイトと交わした初めての言葉は
「あんじゅさんはなんで汗だくで稽古しても化粧落ちないんですか?」
だったくらいでして(どんだけ濃いんだよ・笑)
実際、化粧を始めたのはアラフォーになってから。
仕事に必要だったから仕方なく~というね(笑)
いや、普段も必要なんだろーけど、してませんでしたー!(ごめん)
舞台やってる時は板に乗ってない時は完全に落としておく派だったし。
現在も面倒なんで日焼け防止をこめて日焼け止めと下地して基本のみ・笑
でも、20代後半から10年くらいやってたバイトはなんと「BA」
ハイ、ビューティアドバイザー、つまり「美容部員さん」
資生堂とコーセーとカネボウとソフィーナの臨時委託美容部員だったのです。
でも化粧は全くせず(笑)
だって自前持ってないし、舞台メイクしか自分でできなかったんだもん(^^;)
バイトに行くとカウンターに行って、ファンデーションも無しで
お粉だけぱたぱたはたいてー、お姉さんたちに眉書いてもらって、
リップつけたらおしまい(笑)
でも、お客様には
「あら、いいアイシャドウね!新色?何番?」
とかって言われるの(爆)
で、「15番のグレーです」とか言って売る(悪!)
でもねー、若き日からのその経験の中で、確固たる美的感覚を持った
デザイナーさんやカメラマンさん、メイクアップアーチストさんなど、
素晴らしい美観の人たちに出会ったのが大きかったですね。
美しさは必ず自分の中にあるものなのだと教えてもらいました。
そういう方はこぞって、物に頼ることをしない気がします。
自分の欠点は美点と認識できれば、隠すおしゃれではなく
本来必要なおしゃれが見えてくるのだと皆さん行ってた気がします。
中でも資生堂のあるカウンターのリーダーBAさんは
もう50歳くらいの方でしたが、それはそれは美しく、
その方からたくさんのことを教えてもらいました。
「メイクは自分の一番美しい部分を引き立たせるためにするもの。
見た目を変身させる為の道具じゃないのよ。
あくまでも自分のきれいを引き立たせる為のアイテム。
そして美しさはその人がだめだと思う部分に潜んでいる」
彼女はそういっておられました。理解してる部下の方は少なかったけど。
当時、私は臨時バイトだったけど、販売コンクールなどで
営業成績が日本でトップになったことが何回かあります。
それは彼女から学んだ美しさの考え方が大きかったのです。
「その人の美しさを引き立てる」
という魔法をもつ彼女から、その極意を学んだからです。
だから出会ったお客様にはみんな美しくなって頂きました(笑)
実際、ほかのBAさんのように色や線をプラスすることで
お顔を変身させるだけだとお家に帰ってお化粧を落としたら
きれいの魔法はその場でとけてしまいますよね?
だから、決して魔法がとけない「その人のきれい」
をプラスする方法を伝えるんです。
そうすれば、いつでも魔法は甦るから。
その魔法を学んできたので、皆様に喜んでもらって、
そしてたくさんのお客様が付いてくれました。
自分に関して彼女から学んだ大きなことは、
私のような顔は色や線を過剰に乗せてはならないということ。
色を変えるのでなく、肌の質感を変えて、素顔を美しくするメイクをする。
そして時代に流されず、常に生まれてくる自分の美しさを知ること。
つまり年齢というものを真摯に向き合うことですね。
それは欠点を知り、納得し、愛してあげることでもありますね。
女にとって「欠点」や「年齢」は見たくない部分ですが~。
でも、それが大事。
だって自分に現われて来る年齢は美の素です。
たとえば30代、40代の女性の「きれいに見せたい」感覚が
20代のそれだったら、絶対に美しくなれない、
そうアタシは思っちゃったりします。
だって世の中に「若く見える人」はいっぱいいますが、実際は若くないでしょ(笑)
若い人と並べば偽物なのはすぐわかるんですよ。
そういう若く見える人には人は「そのお歳には見えませんね」
って言うもんなんですが、それを信じてたらだめです。
人はでも、それなりには歳とってますね、とは言いませんからね。
それなのに若さをつかもうとするのは無謀つーか、なんて言うか~(笑)
なんていいますか、バレエダンサーがいて、
1回しか回れないピルエットを無理して3回回る感じですね。
〈良く分かんないか^^;)
歌手が無理して一オクターブ高いところを歌うぐらい聞き苦しいのとおんなじ感覚です。
あたしはそういう人を見るとむしょうに恥ずかしくなる人なんですよ。
でもね、それなりの年齢のファッションや生活をしておられるのに
かっこ良くって、本当にお若く見える方っていますよね?
私はそういうのが本当の「若さ」の現れだと思っています。
なので、私はそんな大人になりたいですねー。うん。
綺麗になりたい方向をトンチンカンにはしたくないかな。
やっぱり、その年齢だからこそ似合うものってあるんですよね。
たとえばイタリアのニット作品なんかは、
ある程度アダルトなボディーでないと着こなせないと思う。
身体が年を経た独特のゆるいラインにならないと
あのアダルトなアンニュイな影や色気は出てこない。
ということで皆さん「欠点」こそ美点の攻略ポイントですよ。
それを知るだけでお顔や姿の印象は驚くほど変わります。
この美的な考え方は私の母と共通するものです。
つまり「美しくない人なんてどこにもいない」ってことですね。
その人の本当の美しさを見つけることです。
それは自分の中に息づくものを知ることなのかもしれないですね。
このところ自分のルーツなるものを考える機会によく恵まれます。
まあね、このお歳ですからね(笑)
そろそろいろんな事、知ったり考えたりしなきゃいけないんでしょーね。
で、すごい些細なことから、「伝統」というか、
魂や身体を通して継いで行くものって言うのは大きいなあ、と。
特に親からの影響というのは、良いことも悪いことも含めて、
自分が思ってもみなかったほどに大きいですね。
しらない間にわが身にそれは根付いているもんなんですね。
それはもう、まわりの友人やご家族の在り方に触れたり、
年々、自分自身が年月を経ていくごとに感じます。
そして私がそれを特に感じるのはこれまでも書いたように
「美しさの感覚」なんです。
私は私をよく知る人に言わせれば、何万人に一人というくらい
珍しく厳しい環境下に生まれ、育ったらしい(笑)
生い立ちの片鱗を話すと大体100パーセントの確率で
「小説書けばいいのにー」と言われます(絶対書かないけどさ。。。^^;)
けれど、ここまで長きを生きて参りますと、
わが身に過ぎた年月が幸せだったか、不幸だったかは
ある程度判断ができるというものですよ。
確かに生い立ちというものは生き方にも精神にも
いろいろ影響しますし、そこから囚われずに自由になるには
物理的にも難しい問題だったりもします。
人生を一言で言えば嫌なこともあったし、辛いこともあったし、
難しいこともいっぱいありました。
けれど、ここで再検証してみますと、私は間違いなく
「幸せな人生」を送っているなーと思います。
「こんな風に幸せになりたい、だからこういう風にしなくっちゃ」
といろんな幸せ攻略法や理想図が書いてあるご本やメディアや占いや
スピリチュアルリサーチを必要とする人が多いと思うけど、
私には基本的にそういうのを必要としません。
もちろん、祖母も叔父さんも善なる魂を持つ強い霊能力を持つ人で、
お付き合いしてこさせて頂いたこれまで人生のパートナーと言える方も
類にもれずそういう力を持ち、それをお仕事の一つとしている人もありました。
私自身もなにやらそのような片鱗を持ち、基本スピリチュアラー感覚ですし、
そういうのは全然嫌いじゃないし、自分の中に事実としてありますから
否定なんてしないし、興味がないわけでもないけど、
なぜかそういう「人生や生き方のお手本」みたいなものには
ほとんど頼らずすんでおります。
そういうのを見なくても、お手本にしなくても、
「ああ、こういうのってしゃーわせー」と感じる私がいるんですね(^^)
そして、自分自身の中に答えを見つける事が好きです。
あたしの魂はたぶん、根っこが自由で気楽にできてるのではないかと思います(笑)
でもそれが何より幸せじゃないか、と思う。
カンナちゃんがいってくれたんですが、
「いっちゃんって、何でも楽しめて喜べていいなあと思う。」って。
そーなのですよ、アタクシ何でもやってることが楽しいのです。
ってか、楽しくないとやんないし。やれないし?(笑)
でも、だからって自分の喜びだけに没頭して
周りの人を無視することは決してしないですね。
だって一人で喜ぶのは楽しくないですもんね。
私の喜びは自分の喜びで周りの喜びでもなくては。
私はそう思ってます。
それは学びでも、遊びでも、趣味でも、仕事でも何でもです。
よく自己啓発本とかって、「自分がまず喜ぶ」「自分がきらきらする」
とあるけれど、自分だけを中心に喜んでいるだけなら、
周りの人にとってはどうかはわからないが、
わたしにとっては全然、そういう人は美しく見えない。
これはたくさんのお母さんとそれに翻弄される子どもや
お父さんをたくさん見てきたトラウマもあるかなー。
やっぱり、お母さんがどれだけ楽しそうにしてても、
それが本人のためだけだと、子どもや周りにいる人が
それは不幸な人が多かった気がしました。
そして、そういう人はその周りの不幸に気がつかない人が多いし。
友達はそういう親御さんがいる家庭の人が多かったので、
いつも「お母さんは自分勝手」と言う、悲しそうな友人に囲まれて、
私はそういうお母さんに当たらなかったって幸せなことなんだなー
っていつも思っていました。
「誰かを思い、優しく楽しくていねいに生き、
そこにうまれる喜びをともに味わい、
時には誰かと共にいることで生まれる苦しみや痛みも
深い愛をもって自分の中で喜びに変えること」
私はそういうあり方を母や周りの美しい人から見て教わりました。
そしてそれをとても美しい生き方だと思ってます。
私の美のお手本は目の前にいつもいたし、
それを導く「美観」がたましいや身体の中に生きています。
生きてきた上で関わった人はすべてにおいて、
みな私の先生だったと思うし、今もそう。
特に両親の持つ「美的感覚」は私の感覚の一番奥底に
「尊敬するべき美」として存在していると思う。
先に書いたように、私は確かに一般の人よりはずっと苦労したと思うが、
周りの話を聞いていると、どうやら周りよりずっと
美しい楽しい毎日を送っていたように思えるのです。
特に私は実家がとても裕福であった時代を十分に知っている。
その時に本当に世間の人ができないような贅沢をさせてもらったと思う。
けれども、それ以上に贅沢であったのは、
父や母の「心ある暮らし方」だったのではないかな。
季節を大事にし、日々にお起こる自然の出来事を楽しみ、
動物を慈しみ、植物を愛し、、、。
道を歩けば食べられる野草を感謝して摘み、美味しいものに変える。
一つ一つの出来事を子どもと一緒に楽しんで過ごす。
そんな日々を送ってきたことが幸せだと思える今日この頃です。
明日からもまた美しいものに囲まれて生きられる幸せに感謝、感謝です。
明日もいいお天気だといいなあ~。