五月になりました。
五月は薔薇の月。
カトリックではその薔薇にたとえられる聖母マリアへの祈りの月だそうです。
とうとう「我が家」で暮らせる最後の月になりました。
新しい家探しやいろいろな物たちとのお別れや
この家やいろいろな解約の申し込みも少しずつ進んでいます。
先々週から忙しくて、動かない身体を無理に動かしたので少し疲れました。
昨日、今日は一休みして、ゆっくりしています。
昨日から風がとても強くて、今日は朝から曇時々雨。
私は曇りや雨もとても好きです。
空気がしっとりして、落ちる雨をみるのも雨音を聴くのも好きです。
一番好きな雨の景色は相方さんの運転する車の中から見る雨でしたが。
私は毎日朝になると子どもたちにご飯を準備しながらお湯を沸かし
コーヒーやハーブティーなどの飲み物をポット一杯に用意します。
そして相方さんが作ってくれた窓辺のテーブルにそれを乗せてPCをつけます。
震災以来、電気は真っ暗になるまでつけていません。
窓の灯りとPCの灯りで十分です。
座る椅子は相方さんの宝物の一つ、二人掛けの昔の映画館の椅子。
今日はピーちゃんとピピを交互に膝に乗せて窓辺に座っています。
ボーっとする時間があると考えるのはやっぱり相方さんの事です。
あんなことしたねぇ、こんなこともあったねぇ、って話をします。
どれだけ時間が経っても、やっぱり寂しいですね。
悲しみはなんとか薄れても、寂しさは消えないのだろうなぁって思います。
つくづくラッキーな性格なんだなと思うのですが、
私は全く後悔をしないタイプなんです。
多分、生い立ちや生活環境でそう言う意識が育ったのでしょう。
自分の決めたことは「これでいい」と思えるのです。
と、言うか、そう完全に思えるまで悩み抜いて決めます。
だから簡単に決めないし、決まらないと動かない。
だからこの家を出ることも、いろいろなものを手放すことも
踏ん切りがつくまでは本当に時間がかかりましたが、
決めたことには後悔は一切ありません。
確かになんにしても寂しさはいつもあります。
私は相方さんと同じく、仲のいい家族がいてさえ
不思議と孤独感のとても強い人間ですし。
いろいろな人と出会わせて頂いた今だからこそ
こう感じられるのかもしれませんが、
孤独感は人と人を繋げ、そして心を強く暖かくする為に
愛を深めるためにこそ、人間の感情の中に存在するのではないかと。
私は相方さんとの暮らしの中でそう強く感じました。
ある時、親友がこういいました。
「マイナスとマイナスは合わさればプラスだから」って。
本当にその通りなんだなって思います。
人は多分、誰かとプラスになる為に誰もがどこか寂しく
どこか哀しい、そんなマイナスな部分を持ってくるのでしょう。
そんな風に思えるのも、そういう答えを自分で探し、選び、
「これが私の答え」と受け容れられるからなんだなーって。
こういう性分だからでしょうか。
私は自分の決めたことには哀しさや悔しさみたいなものはないんです。
私はつくづく恵まれてるんだなと思います。
だからこの引っ越しも寂しさはあっても後悔はありません。
だから今は決めていくだけです。
決まったことを穏やかにこなしていくだけ。
相方さんは居なくて、壮絶に寂しいけど、
でもそんな時間がすらが愛おしく感じます。
そんな時間の中のひと休みの時間。
まあ、あたしは若回避に動き過ぎちゃったんで
いまはひと休みばっかりですが(;^ω^)
今日は心で相方さんに話しかけながら、
母の日の贈り物を作ったり手紙を書いたりしています。
いま作っているのはハーダンガー刺繍のドイリーです。
織り布に刺しゅうをして、一本ずつ丁寧に織り糸を切って抜き、
またそれを刺繍でかがってレースのような模様を作ります。
お母さん、喜んでくれるといいなー。
ピーちゃんもピピちゃんも雨の日は寝る時間が長いので
なんだかいつもより時間がゆっくり流れて行きます。
この家で過ごせる残り少ない時間だから
ゆったりと暖かく過ごしたいと思います。