KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

日常という名の幸せ

2011-05-07 | KOFUKU日記
ひまわりの家の輪舞曲(ロンド)



今やアイドルの為の楽曲を書き、有名になったお友達や
一番下の妹の様に絶対音感なんて私にはありません。
天使になった相方さんや姪っ子みたいに素敵なピアノも弾けません。

だけど、わたしは生まれてこの方、
音から相手の感情を受け止めることが多いのです。
芝居も眼よりも耳から学ぶ方です。

いろんな面でトロいので、何かを行うという事においては
どこも突出した部分はこれと言ってないけれど
「感じる」部分は敏感かもしれません。
眼を通した色や形や光の存在、指先からの感触、匂い。
特に感触は文字を読めたり色を見分けられるんじゃないか?
と思えるほどに昔から敏感です(笑)

そういうタイプだからミュージカル俳優になったんだと思いますけどね。
そのメロディを聴くだけで生きていることに感謝出来たり、
涙があふれ止まらないという曲が私にはこの世の中に存在するのです。


思い返せば、年齢ひとケタ台の幼き日の頃、
ニーノ・ロータと言うおじちゃんが作曲した
「太陽がいっぱい」と言う曲を聴いて号泣(;^ω^)
わけわかんないげど驚くほど泣けたのです。

そして映画を観て、さらに主人公のココロの流れや人生のせつなさに号泣。
3歳くらいで中学生くらいの知能がある、ちょっと変わった子だったので
内容はもちろん理解してました。今思えば末恐ろしい幼児でした。

大人になってからはゼッフェレリ監督のアッシジのフランチェスコを描いた
「ブラザーサン・シスタームーン」の中の「平和の祈りの歌」を聴いて号泣
今もパブロフの犬の様にこれらの曲を聴くと泣けてきます。

美女と野獣の中で「ヒューマン・アゲイン」と言う曲がありますが
この曲をダイレクトに歌った時ももうダメでした。

まだいくつかあるんですが、最近これを聴くと
「ああ、もうダメー」と涙があふれてくるのがこれ。

ジブリのポニョのイメージソング
「ひまわりの家の輪舞曲」

ポニョのなかでケアハウスが出てきて、そこのご老人達の心を描いた曲です。
久石譲さんがお作りになり、娘さんの麻衣さんが歌ってます。
こんな歌詞です。

******************************

もういちど自由に歩けたら 
思い切りおそうじをして 
お洗濯をして 
お料理を作って
お散歩に出かけよう

晴れたらなんて明るいんだろう 
お日さまも笑っている
雨の日も好き おしゃれな雨傘 
レインコ-トも着て歩こう

お迎えはまだ来ないから その間にちょっとだけ歩かせて
もう一度だけ踊りたい  そよ風になって


くるくる回る 手をつないで
背筋をのばして ひざものばして
足を跳ね上げて スカ-トが膨らんで
みんなニコニコ笑ってる

お迎えはまだ来ないから  窓のガラスを拭くだけでいいの
もう一度だけ踊りたい そよ風になって

******************************


今日もCDかけながら手仕事してて、ちょっとうとうと…
そしたら、この曲がかかったらしく、気がつけば寝てんのに号泣!
びっくりします(;^ω^)
何でしょうね。

話はいきなり代わるんですが、今まで、ご縁あって
結構お力ありきと思えるスピリチュアリストの方に
何度か親しくお会いしたことがありますが
必ず言われることがあります。

「あなたは生まれ変わりません」

………(´-∀-`;)

うん、あたし、この世はもう今世で終了らしいです(笑)
だって、皆さん揃って、そう言うんだもん。そうなんでしょう。

まあ、信じるも信じないも、って感じなんですが(;´・ω・)
実は自分自身でも小さい頃からその感覚がありました。
だから、生まれおちた時から死に敏感です。
(私は生まれる瞬間からの記憶があります)

そのせいでしょうか~
いわゆる大きな冒険にまったく魅力を感じないんですよ。
(人は十分私を大胆な人間だといいますけれども)
良く「平凡な人生は嫌だ」って言う人がいますよね?
「何で?」って思っちゃうんです。
つか、この世に小さい大きいとかあるんかい?と思ってしまう。
それは小さい時からの感覚です。

小さい、何でもないことが、すごく大事なんです。
それがすっごく大きいんです。
いわゆる環境的に苦労して育ったせいなんでしょうか?

だからお金とかあんまり関係ない。生きていけるだけで善い。
それよりも大事なのは、心が愛で満たされることだと思う。
でも、それは大きなことでなくていい。
雨にぬれるとか、花を観るとか、家族を愛するとか。
小さいことの幸せが何よりも大きく感じる。
それが私には十分、冒険で幸せに感じるのです。

年をとれば取るほど、そういう傾向が強くなりました。
大事な人を見送れば見送るほど、と言ってもいいのかもしれません。
しかも、生まれ変わらないって言われますとね(笑)
あなた、そうなれば雨に濡れるのも、この世で最後の経験ですよ。
しかも、最後の日はいつ来るか分かんないから。
だから、そんなことすらが嬉しかったりするんですよ。

そう言う風な感覚が強いからなんでしょうか?
人を失ったせいなんでしょうか?
このひまわりの家のロンドはリアルにココロにしみます。

特に今は震災などがあって、そんな気持ちの人が多いと思う。
もう一度、あの日が来るなら、こうしたい、って。
だからかなぁ。

訳もなく涙しながら、静かに、ただ感じます。
日常の幸せの大きさを。