今日も南国は雨模様でした。
今週いっぱいは雨、そして7月の訪れとともに梅雨が明けそうな気配です。
早いもので、あと数日で6月も終わりますね~。
4月の頭に生まれたチワワちびたちももう3か月になろうとしています。

《生まれて一週間くらいの頃のちびさん達》
《普通からしたら2倍だけど(^_^;)それでも小さかったなぁ…》
↑3か月前はこんなだったちびさんたちも、、、
↓
↓3か月たって、こんなに大きくなりました(^-^)

《後列左から「ろま君」「ふう君」手前が「みやちゃん」です》
《顔も体型もデカチーまろとーたんにそっくりのふう君》
《3か月前にして、すでに2キロ近くあるマッチョちびデス(笑)》

《おっとりさんのろま君*ころんころんでとーたんにもかーたんにも似ています》

《ピピかーたんが大好きのみやちゃん。やんちゃな美人さんです。》
《もう大きさもママとあまり変わらなくなりました(笑)》

《寄れば触ればおもちゃの取り合いで大暴れのこどもたち》
《 でも兄弟とっても仲良しです(^^)》

《夜もベッドでみんなで寝ています。大きくても3か月》
《まだまだトイレが危ういのでバスタオルやカバーが必需品(^_^;)》
既に長男ふう君は2キロ弱、他の子も追い付け追い越せの成長ぶりですが(^_^;)
3か月で3キロの強者ベイビーもいるそうなので、善き成長ぐあいという事でね(笑)
なんせ、ここちゃんの分まで育ってるしね(^^)
このまま成長すると成犬時には5,6キロいくのかひらね???(・。・;
チワワで5キロ越え…かなり面白いぞ。一体、何犬に見えんだろ?(笑)
取りあえず、まろとーたんのMax体重3・7キロを超えるのはいつかな?
この分だと来月だったりしてね…(^_^;)わはははは。
(注*まろたんはマッチョでかっこいいカラダしてます。良く褒められます。
ぴーちゃんはお歳ですから、ちょっとぽっちゃりして3キロ。平時は2・8キロ前後。
妹ピピさんは骨格と身体はまろ君と同じくらいだけど、御痩せさんなので2・9キロ)
おちびたちは一体どうなる事やら、楽しみだわーーー。
まとめて持ち上げるのが大変になるけどぉ(・。・
(ちなみにあたくしはアダルティな方たちを3匹まとめて抱きますの。)
今後のメガちび3兄妹たちの成長をお楽しみに(笑)
***********************************

先日、大切な友人の一人、Dちゃん(君)が、
相方さんのお墓参りに代行で行ってきてくれました。
とてもありがたいことです。
私は昨年の8月末の移住途中で寄って以来、
相方さんのお墓には行けていません。
お墓は関西にあり、今の私は介助がなかったら
電車にもバスにも飛行機にも乗れないし、
ちびさん達を傍から離すことも出来ません。
(不安から預けたり、置いていけないのです)
だから一周忌も行くことが出来ませんでした。
また心身、経済の面から、行きたくても難しく、
この病を治し、自分の身を自分で立直し、
ある程度の生活が自分できるようにならなければ、
相方さんのお墓参りには行く事が叶いません。
以前は貧しいなりとも、少しは余裕が持てたので
月に一度、お花くらいは届けられましたが
こちらに戻ってきてからは、生活費も余裕がないので、
何かしたいと思っても、それも出来ず…。
そんな時です。関西にいるDちゃんに相談したところ
快くお墓参りを買って出てくれました。
もちろん相方さんの実家のご家族はマメにお参りくださっているのですが、
自分が行けないという事にはとても申し訳なく、さみしく残念な思いをしていたので。
おかげさまで、相方さんにも親しいお友達と会ってもらえて、
お花やお線香をあげることが出来、とてもありがたかったです。
これからも、代わりに行ってくれるそうで、本当にありがたいことと思います。
おかげで、ひとつ不安が消え、安心感がうまれました。
(この場を借りて、Dちゃん、本当にありがとう!)
こんなプライベートなことを他人様であるDちゃんに頼めたのも、
Dちゃんがどんなに善い心の持ち主か知ってるからで、
そして、自分や相方さんに対する、彼の友愛の情を知っているからです。
そこに透明な想いしかないのが、とてもよくわかっているからです。
彼ならば、間違いなく相方さんへ純粋な祈りをささげてくれると
本当の友達である彼ならばお願いできると、私の心がわかっているからなのでした。
皆さんにはそんな「ともだち」はいますか?
ただの友達ではない「本当の友達」という人です。
先日、あるところで「私にともだちはいません」と言うコトバに出会いました。
「ともだちがいない」
目にして、自分の事ではなくても、とてもさみしい気持ちになりました。
それを書いた方はどれだけ寂しいことかな、と思いました。
さみしい、には「淋しい」と「寂しい」という字がありますね。
前者は誰も居ない竹林に蕭々と雨が静かに降り注ぐ様子を表し、
後者は家の中に独り、ぽつりといる様子を表しているそうですが、
この方の寂しさは、後者の本当に孤独な寂しさだなぁと切なく思う事でした。
人との出会いとは不思議なもので、一度の出会いから
一生と言う長い期間深くつながる人もあれば
どんなに仲の良い時期を一緒に過ごしても、
いつしかぷつりと切れてしまうご縁もあります。
また、学校に入ったり、仕事に就いたり、結婚したり、
そんな環境の中で付き合っていく人々も変わっていくものですから、
そういう不思議なご縁の世界で、生きている間、ずっと親しい友達でいることは
本当はとってもとっても難しい事なのかもしれません。
私は自身は、特技とも言っていいほど、知り合いになるのは、
ものすごく得意なのですが、簡単にはお友達にはなれない方です。
心安く話しても、気を許しているわけではないのです。
ただし、一度信用したら、裏切られても許せるほどに相手を信じます。
だから、絶対数は少なくても、本当の友達、と自分が思える人は多いのです。
ともだち、と言うよりは「心友」「魂の家族」と心から呼べる人たちです。
私にとって、それが自分の唯一の宝であり、財産。
そう信じて疑いません。
大概、人はこの話をすると、笑います。
そんな友達なんか、普通できるわけない、夢物語だ、とかって言う感じでね。
そういう人と、しばらく付き合うと、次は必ずこう言われるのです。
「福ちゃんみたいに、本当に信じられる友達がいるのがうらやましい」って。
そう言わしめる、深い信頼と友情を持てる友が現実にいる事が私の自慢でもあります。
私は
本当の友達って、傍にいなくてもいい。
いつも会っていなくたっていい。
同じ意識を持たなくったって善い。
そう思っています。
それでも、友達だという事が解るのです。
それでも、すごく傍にいることがわかるのです。
どんなに忙しくしていて、今この時に思い出さなくても、
彼らの魂のなかから自分は決して消えない事が解る。
相手が自分の中から消えることがないことがわかる。
どんなに会えなくても、たとえそれが一生でも、
「ああ、あんな人も居たな」って風にはならない。
どんなに時を経ても、一瞬で出会った頃に帰れる。
たとえ、価値観が全く違うものを持っていても、
それを相手の大切なものなのだと認め合える。
それが私の友達、そこまで行けたら本物のともだち。
そんな友達は、何かあれば、必ず私の事を思ってくれるのです。
何が出来なくても、自分のできることで精一杯助けようとしてくれるのです。
しかも、そこに見返りの要求なんかは、全くありません。
してあげるのではなく、そうしたい、と自分が心から願うからです。
お互いに、ただただ透き通った、まっすぐな想いが届くのです。
こんな風に話をすると、一体、どんな能天気な人生を送ってくれば
そんなのんきな夢みたいな事を言える人間になれんの?とよく聞かれます(^_^;)
ま、まあ、ファンタジーの国の住人であることは間違いないけど(笑)
別段、能天気に何も痛みを伴わず、歩いてきたわけでもないのですよ。
どっちかっていうと、痛み伴う現実の方が多かったと思うし…
私の場合、物心ついたら、すでに貧しかったり、あれやこれやとありましたから、
大人子ども関係なく、いじめの対象にされたり、馬鹿にされたりしたものです。
貧しさにしろ、なんにしろ、経験のない人にはわかりませんでしょう。
だって、在って当たり前なわけですから、それがないって言ったら
「それはおかしいでしょう?」となってしまうわけです。
ストンと、「そうか、そうなんだね」と言う人の方はまずいません。
学校の先生ですら、そうでしたからね。
「貧乏が戸口からこっそり家の中へ忍び込んでくると、
偽りの友情はあわてて窓から逃げ出す
ミューラー」
と言うくらいですから、困窮した家庭の子どもである私と
お友達になってくれる人が逆に居ませんでした。
きっと、いろいろ大変な事があるに違いないと思われたのでしょうね。
そんなでしたから、私は友達作りには大変センシティヴでした。
信じるという事が難しい子どもでした。
まあ、そんな紆余曲折を超えて、この年まで来たのですが、
その年月の中で、私は本当にありがたい経験をたくさんさせてもらい、
自分のココロの扉にはドアノブがついていなくて、
中から自分が開けなくては誰も入ってこられない事実や、
無条件に信じる事から始める尊さや、またしっかりと疑う事で
その後を全く疑わずに信じて過ごせるのだという事を学びました。
本当のともだちを作るには、自分が相手の為にすべて捧げても
決して後悔しないような大きな覚悟を持たねば信じてもらうに値しない事や
事実、人の為に生命を投げ出す様な友愛も存在すると知りました。
そして、それは自分にも持てると知りました。
おかげで、私にはかけがえのない、人達が今います。
会えなくても、ずっと心の中にいる人です。
友達はいません
そう思っている人が居たら、これから本当のお友達を作ってほしいなと思います。
お互いが向き合える、お互いを認め合える、本当のお友達を。
時々、自分の意見を受け入れて、相手が変わってくれてこそ友達
と思ってる人がいるけど、そこは間違わない方がいいな、と思います。
孤独を超えて、あの人に友達が出来たらいいな。
そう願っています。
友達作りには秘訣があるんだって。
たけしさんがこういってます。
「ともだち」ビートたけし
困った時、助けてくれたり
自分の事のように心配して
相談に乗ってくれる
そんな友人が欲しい
馬鹿野郎、
友達が欲しかったら
困った時助けてやり
相談に乗り
心配してやることだ
そして相手に何も期待しない事
それが友人を作る秘訣だ
昔、某ミュージカル劇団にいたころ、そこは友達を作ってはいけない世界でした。
周りはみんなライバルで、何をしてでも蹴落としていくのが当たり前だった世界。
そんな中で、ラッキーなことに私には兄弟のような仲間がいて、
劇団を出たところで、良く皆で集まって歌った歌があります。
それがこれ。
そして、今も、その皆とは兄弟の様です(^^)
音楽座ミュージカル
「しゃぼん玉とんだ 宙までとんだ」より
《守ってブレンド(フレンドの意)》
悲しみください
あなたの喜び
見つめたい感じたい いつまでも
守り続けよう 大切ないのち
これからはもっと幸せに
果てしなく広い宇宙の中で
たったひとつだけ 小さないのち
だから守る
いつだってブレンド
きみの味方
こころのブレンド
あなたの笑顔が僕たちの夢
くじけずに負けないで いつまでも
どんな時にでも 助けてあげよう
いつだって友達だから
美しい地球に咲いた花のように
咲いているだけで心安らぐ
だから守る
いつだってブレンド
君の味方
心のブレンド
ミュージカルや歌は、私にとって、人生や言葉と変わらないものです。
人生、いろんな事があるけれど、そんな時に心に歌が聞こえて支えてくれます。
そんな歌の中から。
劇団四季ミュージカル「ユタと不思議な仲間たち」より
「ともだちはいいもんだ」
作詞 岩谷 時子
作曲 三木たかし
友だちはいいもんだ 目と目でものが言えるんだ
困った時は力をかそう 遠慮はいらない
いつでもどこでも君を見てるよ 愛を心に君と歩こう
みんなは一人のために 一人はみんなのために
みんなは一人のために ひとりのために
友だちはいいもんだ 言いたいことが言えるんだ
悲しいときは励ましあおう 心はひとつさ
大人になっても忘れはしない 夢を大事に君と進もう
みんなは一人のために 一人はみんなのために
みんなは一人のために ひとりのために
劇団四季ミュージカル「うかれバイオリン」より
そんなにしょげることはない
道が呼んでいる
広い世の中を 観に行く いいチャンスじゃないか!
へこたれはしない どんなときでも
笑顔わすれない つらいときこそ
見上げる空に 太陽が照る限り
新しい道が 続いている限り
明日と言う日がなくならない限り
なんとかなるさ この世の事は
いつでも いつでも
おおきな おおきな
夢を持とうよ
胸をはって
へこたれはしない どんなときでも
笑顔わすれない つらいときこそ
孤独はくるしいもの
でも、孤独をかんじるってことは
本当の愛を知っているからなんだと、私は思う。
音楽座ミュージカル「マドモアゼル・モーツァルト」より
《旅》
曲がりくねった道を
馬車に揺られて行けば
広がる麦畑 崩れた城壁
強い雨に心までも たたきつけられ
辛くても 疲れても 前に進めば
ふっと雲が割れ 青い空のぞかせ
光に包まれる
愛に抱かれて
すべてが輝いて
生まれ変わる
僕たちの旅は今 曲がりくねって
寂しさや ためらいに 疲れ果てても
本当の孤独なんて ないから
きっと辿り着ける
愛に…
あなたのこころが
たくさんの愛に出会えますように
マドモアゼル・モーツァルト「朝焼け」
《朝焼け》
あの空の遥か向こう
新しい世界 待っているから
まだ見ぬ夢を求め
音に乗り 風を受け 飛んでいこう
のびやかに翼ひろげ 旅がはじまる
赤く染まる空よどうか
昨日までの悲しみ溶かして
まだ見ぬ自分に会うため
どこまでも追いかけて
音に乗り 風を受け 飛んでいこう
のびやかに翼ひろげ 旅がはじまる
辛くても 勇気だして はばたいていけば
きっと会える さわやかな 優しい笑顔
さあ旅立とう 悲しい歌はいらない
夢を求め 生きる喜びあふれた 旅がはじまる
今週いっぱいは雨、そして7月の訪れとともに梅雨が明けそうな気配です。
早いもので、あと数日で6月も終わりますね~。
4月の頭に生まれたチワワちびたちももう3か月になろうとしています。


《生まれて一週間くらいの頃のちびさん達》
《普通からしたら2倍だけど(^_^;)それでも小さかったなぁ…》
↑3か月前はこんなだったちびさんたちも、、、
↓
↓3か月たって、こんなに大きくなりました(^-^)

《後列左から「ろま君」「ふう君」手前が「みやちゃん」です》

《顔も体型もデカチーまろとーたんにそっくりのふう君》
《3か月前にして、すでに2キロ近くあるマッチョちびデス(笑)》

《おっとりさんのろま君*ころんころんでとーたんにもかーたんにも似ています》

《ピピかーたんが大好きのみやちゃん。やんちゃな美人さんです。》
《もう大きさもママとあまり変わらなくなりました(笑)》

《寄れば触ればおもちゃの取り合いで大暴れのこどもたち》
《 でも兄弟とっても仲良しです(^^)》

《夜もベッドでみんなで寝ています。大きくても3か月》
《まだまだトイレが危ういのでバスタオルやカバーが必需品(^_^;)》
既に長男ふう君は2キロ弱、他の子も追い付け追い越せの成長ぶりですが(^_^;)
3か月で3キロの強者ベイビーもいるそうなので、善き成長ぐあいという事でね(笑)
なんせ、ここちゃんの分まで育ってるしね(^^)
このまま成長すると成犬時には5,6キロいくのかひらね???(・。・;
チワワで5キロ越え…かなり面白いぞ。一体、何犬に見えんだろ?(笑)
取りあえず、まろとーたんのMax体重3・7キロを超えるのはいつかな?
この分だと来月だったりしてね…(^_^;)わはははは。
(注*まろたんはマッチョでかっこいいカラダしてます。良く褒められます。
ぴーちゃんはお歳ですから、ちょっとぽっちゃりして3キロ。平時は2・8キロ前後。
妹ピピさんは骨格と身体はまろ君と同じくらいだけど、御痩せさんなので2・9キロ)
おちびたちは一体どうなる事やら、楽しみだわーーー。
まとめて持ち上げるのが大変になるけどぉ(・。・
(ちなみにあたくしはアダルティな方たちを3匹まとめて抱きますの。)
今後のメガちび3兄妹たちの成長をお楽しみに(笑)
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先日、大切な友人の一人、Dちゃん(君)が、
相方さんのお墓参りに代行で行ってきてくれました。
とてもありがたいことです。
私は昨年の8月末の移住途中で寄って以来、
相方さんのお墓には行けていません。
お墓は関西にあり、今の私は介助がなかったら
電車にもバスにも飛行機にも乗れないし、
ちびさん達を傍から離すことも出来ません。
(不安から預けたり、置いていけないのです)
だから一周忌も行くことが出来ませんでした。
また心身、経済の面から、行きたくても難しく、
この病を治し、自分の身を自分で立直し、
ある程度の生活が自分できるようにならなければ、
相方さんのお墓参りには行く事が叶いません。
以前は貧しいなりとも、少しは余裕が持てたので
月に一度、お花くらいは届けられましたが
こちらに戻ってきてからは、生活費も余裕がないので、
何かしたいと思っても、それも出来ず…。
そんな時です。関西にいるDちゃんに相談したところ
快くお墓参りを買って出てくれました。
もちろん相方さんの実家のご家族はマメにお参りくださっているのですが、
自分が行けないという事にはとても申し訳なく、さみしく残念な思いをしていたので。
おかげさまで、相方さんにも親しいお友達と会ってもらえて、
お花やお線香をあげることが出来、とてもありがたかったです。
これからも、代わりに行ってくれるそうで、本当にありがたいことと思います。
おかげで、ひとつ不安が消え、安心感がうまれました。
(この場を借りて、Dちゃん、本当にありがとう!)
こんなプライベートなことを他人様であるDちゃんに頼めたのも、
Dちゃんがどんなに善い心の持ち主か知ってるからで、
そして、自分や相方さんに対する、彼の友愛の情を知っているからです。
そこに透明な想いしかないのが、とてもよくわかっているからです。
彼ならば、間違いなく相方さんへ純粋な祈りをささげてくれると
本当の友達である彼ならばお願いできると、私の心がわかっているからなのでした。
皆さんにはそんな「ともだち」はいますか?
ただの友達ではない「本当の友達」という人です。
先日、あるところで「私にともだちはいません」と言うコトバに出会いました。
「ともだちがいない」
目にして、自分の事ではなくても、とてもさみしい気持ちになりました。
それを書いた方はどれだけ寂しいことかな、と思いました。
さみしい、には「淋しい」と「寂しい」という字がありますね。
前者は誰も居ない竹林に蕭々と雨が静かに降り注ぐ様子を表し、
後者は家の中に独り、ぽつりといる様子を表しているそうですが、
この方の寂しさは、後者の本当に孤独な寂しさだなぁと切なく思う事でした。
人との出会いとは不思議なもので、一度の出会いから
一生と言う長い期間深くつながる人もあれば
どんなに仲の良い時期を一緒に過ごしても、
いつしかぷつりと切れてしまうご縁もあります。
また、学校に入ったり、仕事に就いたり、結婚したり、
そんな環境の中で付き合っていく人々も変わっていくものですから、
そういう不思議なご縁の世界で、生きている間、ずっと親しい友達でいることは
本当はとってもとっても難しい事なのかもしれません。
私は自身は、特技とも言っていいほど、知り合いになるのは、
ものすごく得意なのですが、簡単にはお友達にはなれない方です。
心安く話しても、気を許しているわけではないのです。
ただし、一度信用したら、裏切られても許せるほどに相手を信じます。
だから、絶対数は少なくても、本当の友達、と自分が思える人は多いのです。
ともだち、と言うよりは「心友」「魂の家族」と心から呼べる人たちです。
私にとって、それが自分の唯一の宝であり、財産。
そう信じて疑いません。
大概、人はこの話をすると、笑います。
そんな友達なんか、普通できるわけない、夢物語だ、とかって言う感じでね。
そういう人と、しばらく付き合うと、次は必ずこう言われるのです。
「福ちゃんみたいに、本当に信じられる友達がいるのがうらやましい」って。
そう言わしめる、深い信頼と友情を持てる友が現実にいる事が私の自慢でもあります。
私は
本当の友達って、傍にいなくてもいい。
いつも会っていなくたっていい。
同じ意識を持たなくったって善い。
そう思っています。
それでも、友達だという事が解るのです。
それでも、すごく傍にいることがわかるのです。
どんなに忙しくしていて、今この時に思い出さなくても、
彼らの魂のなかから自分は決して消えない事が解る。
相手が自分の中から消えることがないことがわかる。
どんなに会えなくても、たとえそれが一生でも、
「ああ、あんな人も居たな」って風にはならない。
どんなに時を経ても、一瞬で出会った頃に帰れる。
たとえ、価値観が全く違うものを持っていても、
それを相手の大切なものなのだと認め合える。
それが私の友達、そこまで行けたら本物のともだち。
そんな友達は、何かあれば、必ず私の事を思ってくれるのです。
何が出来なくても、自分のできることで精一杯助けようとしてくれるのです。
しかも、そこに見返りの要求なんかは、全くありません。
してあげるのではなく、そうしたい、と自分が心から願うからです。
お互いに、ただただ透き通った、まっすぐな想いが届くのです。
こんな風に話をすると、一体、どんな能天気な人生を送ってくれば
そんなのんきな夢みたいな事を言える人間になれんの?とよく聞かれます(^_^;)
ま、まあ、ファンタジーの国の住人であることは間違いないけど(笑)
別段、能天気に何も痛みを伴わず、歩いてきたわけでもないのですよ。
どっちかっていうと、痛み伴う現実の方が多かったと思うし…
私の場合、物心ついたら、すでに貧しかったり、あれやこれやとありましたから、
大人子ども関係なく、いじめの対象にされたり、馬鹿にされたりしたものです。
貧しさにしろ、なんにしろ、経験のない人にはわかりませんでしょう。
だって、在って当たり前なわけですから、それがないって言ったら
「それはおかしいでしょう?」となってしまうわけです。
ストンと、「そうか、そうなんだね」と言う人の方はまずいません。
学校の先生ですら、そうでしたからね。
「貧乏が戸口からこっそり家の中へ忍び込んでくると、
偽りの友情はあわてて窓から逃げ出す
ミューラー」
と言うくらいですから、困窮した家庭の子どもである私と
お友達になってくれる人が逆に居ませんでした。
きっと、いろいろ大変な事があるに違いないと思われたのでしょうね。
そんなでしたから、私は友達作りには大変センシティヴでした。
信じるという事が難しい子どもでした。
まあ、そんな紆余曲折を超えて、この年まで来たのですが、
その年月の中で、私は本当にありがたい経験をたくさんさせてもらい、
自分のココロの扉にはドアノブがついていなくて、
中から自分が開けなくては誰も入ってこられない事実や、
無条件に信じる事から始める尊さや、またしっかりと疑う事で
その後を全く疑わずに信じて過ごせるのだという事を学びました。
本当のともだちを作るには、自分が相手の為にすべて捧げても
決して後悔しないような大きな覚悟を持たねば信じてもらうに値しない事や
事実、人の為に生命を投げ出す様な友愛も存在すると知りました。
そして、それは自分にも持てると知りました。
おかげで、私にはかけがえのない、人達が今います。
会えなくても、ずっと心の中にいる人です。
友達はいません
そう思っている人が居たら、これから本当のお友達を作ってほしいなと思います。
お互いが向き合える、お互いを認め合える、本当のお友達を。
時々、自分の意見を受け入れて、相手が変わってくれてこそ友達
と思ってる人がいるけど、そこは間違わない方がいいな、と思います。
孤独を超えて、あの人に友達が出来たらいいな。
そう願っています。
友達作りには秘訣があるんだって。
たけしさんがこういってます。
「ともだち」ビートたけし
困った時、助けてくれたり
自分の事のように心配して
相談に乗ってくれる
そんな友人が欲しい
馬鹿野郎、
友達が欲しかったら
困った時助けてやり
相談に乗り
心配してやることだ
そして相手に何も期待しない事
それが友人を作る秘訣だ
昔、某ミュージカル劇団にいたころ、そこは友達を作ってはいけない世界でした。
周りはみんなライバルで、何をしてでも蹴落としていくのが当たり前だった世界。
そんな中で、ラッキーなことに私には兄弟のような仲間がいて、
劇団を出たところで、良く皆で集まって歌った歌があります。
それがこれ。
そして、今も、その皆とは兄弟の様です(^^)
音楽座ミュージカル
「しゃぼん玉とんだ 宙までとんだ」より
《守ってブレンド(フレンドの意)》
悲しみください
あなたの喜び
見つめたい感じたい いつまでも
守り続けよう 大切ないのち
これからはもっと幸せに
果てしなく広い宇宙の中で
たったひとつだけ 小さないのち
だから守る
いつだってブレンド
きみの味方
こころのブレンド
あなたの笑顔が僕たちの夢
くじけずに負けないで いつまでも
どんな時にでも 助けてあげよう
いつだって友達だから
美しい地球に咲いた花のように
咲いているだけで心安らぐ
だから守る
いつだってブレンド
君の味方
心のブレンド
ミュージカルや歌は、私にとって、人生や言葉と変わらないものです。
人生、いろんな事があるけれど、そんな時に心に歌が聞こえて支えてくれます。
そんな歌の中から。
劇団四季ミュージカル「ユタと不思議な仲間たち」より
「ともだちはいいもんだ」
作詞 岩谷 時子
作曲 三木たかし
友だちはいいもんだ 目と目でものが言えるんだ
困った時は力をかそう 遠慮はいらない
いつでもどこでも君を見てるよ 愛を心に君と歩こう
みんなは一人のために 一人はみんなのために
みんなは一人のために ひとりのために
友だちはいいもんだ 言いたいことが言えるんだ
悲しいときは励ましあおう 心はひとつさ
大人になっても忘れはしない 夢を大事に君と進もう
みんなは一人のために 一人はみんなのために
みんなは一人のために ひとりのために
劇団四季ミュージカル「うかれバイオリン」より
そんなにしょげることはない
道が呼んでいる
広い世の中を 観に行く いいチャンスじゃないか!
へこたれはしない どんなときでも
笑顔わすれない つらいときこそ
見上げる空に 太陽が照る限り
新しい道が 続いている限り
明日と言う日がなくならない限り
なんとかなるさ この世の事は
いつでも いつでも
おおきな おおきな
夢を持とうよ
胸をはって
へこたれはしない どんなときでも
笑顔わすれない つらいときこそ
孤独はくるしいもの
でも、孤独をかんじるってことは
本当の愛を知っているからなんだと、私は思う。
音楽座ミュージカル「マドモアゼル・モーツァルト」より
《旅》
曲がりくねった道を
馬車に揺られて行けば
広がる麦畑 崩れた城壁
強い雨に心までも たたきつけられ
辛くても 疲れても 前に進めば
ふっと雲が割れ 青い空のぞかせ
光に包まれる
愛に抱かれて
すべてが輝いて
生まれ変わる
僕たちの旅は今 曲がりくねって
寂しさや ためらいに 疲れ果てても
本当の孤独なんて ないから
きっと辿り着ける
愛に…
あなたのこころが
たくさんの愛に出会えますように
マドモアゼル・モーツァルト「朝焼け」
《朝焼け》
あの空の遥か向こう
新しい世界 待っているから
まだ見ぬ夢を求め
音に乗り 風を受け 飛んでいこう
のびやかに翼ひろげ 旅がはじまる
赤く染まる空よどうか
昨日までの悲しみ溶かして
まだ見ぬ自分に会うため
どこまでも追いかけて
音に乗り 風を受け 飛んでいこう
のびやかに翼ひろげ 旅がはじまる
辛くても 勇気だして はばたいていけば
きっと会える さわやかな 優しい笑顔
さあ旅立とう 悲しい歌はいらない
夢を求め 生きる喜びあふれた 旅がはじまる