KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

Candle Night~夏至~

2007-06-21 | KOFUKU日記
明日、22日は夏至ですね。
私は出来る限りキャンドルナイトに参加するようにしています。

「100万人のキャンドルナイト」今年は明日の
「夏至」22日から24日までの三日間
20時~22時の間に行われます。
詳しくはこちらをご覧ください。
「100万人のキャンドルナイト」 

今日はそのキャンドルの準備をします(^^)
どうせ灯すなら空気を浄化するミツロウのキャンドルをつけよう!
そう思ったので、それにあわせて透ける紙でランタンも折りましょう。
そして明日、このキャンドルをつける2時間、
ゆっくりと時間を過ごしながら祈りの時間を持ちます。
大切な家族、大事な友達、まだ見ぬ地球と宇宙、
そして私たちの命をはぐくんでくれた亡くなった方たち。
祈りをこめて思いを傾けます。
今年はまたたくさんの友人も増え、思いをはせることも多くなりました。
せっかくだからもうすぐ来る七夕の願い事をこの時間に書こうかな~とも思ったり。
(特に今年は心友の一人であるTちゃん家族の幸せを願いたいと思っています。
私はこの友人と出会うことで「家族愛」という素晴らしい学びを体験させてもらっています。
到底女の私では解りえない「お父さん」であることや「夫」であることの厳しさ、その奥にある愛の素晴らしさに日々感動~。
そういう大変な毎日の中、友人である私にも大きな友情と努力を持って接し、そして友愛を示し助けてくれている懐の大きさにこの場を借りて感謝したいと思います。
彼の努力が愛となってご家族に伝わり、毎日を幸せに暮らせるように願っています。
人が出会って家族になるって言うのは本当に素晴らしいですねえ~~~)

さてこのキャンドルナイトはしばし電気を消すことでみんなで地球を冷やそうよ、資源を大切にして地球を守ろうよ!ってところから始まりました。
そしてその時間をいろんな祈りの時間として使われる方やイベントもあります。
年に2回行われますが、どうしてそれが夏至と冬至の日になったのか調べてみますとこういう理由なんだそうです。

「私たちは、それぞれの国の社会事情や、人間の都合で決められた記念日ではなくて、地球に住んでいればどこの国でも必ずやってくる共通の日に開催することに決めました。
「夏至」の日と「冬至」の日は地球にいればどこであろうと、必ずやってきます。
夏至は北半球では昼の時間が最も長く、夜が最も短い日(反対に、南半球では昼が最も短く、夜が長い日なのです)となります。
わたしたちが暮らす地球が太陽を中心として、今、宇宙のどのあたりにいるのか。
そういうことを考えながら、主義や主張、立場や国籍の違いを超えて、いつの日か地球ぜんぶで開催され、くらやみのウェーブが広がることを願って、この日に開催することにしたのです。」

素敵なことですね。そのせいでしょうか?
怖がりな私もこのキャンドルナイトの日の暗闇だけは恐ろしくありません(笑)
暗闇の中、灯るキャンドルは本当に美しいものです。
そして、その後、灯す電球の灯りのまぶしいこと。
この美しさ、ぜひ一度体験なさってください。

追伸:
今、キャンドルナイトのHPで参加表明のメッセージが入れられます。
「キャンドルスケープ「ココロのあかりのリレー」です(^^)
世界中のメッセージも読めますよ。
この三日間に灯りを消せない人も灯せない人も心だけでも参加して見られたらいかがでしょう?
コメントを入れると世界地図の上の自分の住む場所の灯りの輝きが増すのです。
そして表明をするとこういうコメントが届きます。

「"ココロのあかり"のリレーは、あなたの前に 京都府から、
1750 人目にあなたの住む 横浜市に届き、
そして 京都府京都市に繋がりました。
(本当はもっと詳しい住所が伝えられます。
アドレスを入れますが画面には表示されないのでご安心を^^)

2003年夏至から始まった"ココロのロウソク"を示す
キャン ドルスケープは
人と時をつなぐココロのあかりのリレーです。

キャンドルナイトがはじまってからこの夏で5年。
"ココロのあかり"のゆるやかなリレーは、
今日のあなたのあかり を経て、
時を超えて未来の子供たちのもとに届くことでしょう。」

キャンドルスケープ、とっても綺麗です。
ぜひごらんになってください(^^)

今日も世界中の人々がちいさな幸せを見つけられますように

ふぁーざーずでぃ

2007-06-18 | 相方さん(米澤観児氏について)
「いやぁ~、立派なパパっぷりじゃあありませんか~!」
ある方がうちのお兄ちゃんとぴーちゃんの様子を見ておっしゃった言葉です(笑)

昨日は父の日でしたね。家には「父」はおりません。
が、うちのぴーちゃんにとってお兄ちゃんはパパでママでお兄ちゃんでおねえちゃんで、、、とにかく全部なんですね(笑)
ぴーちゃんと一緒に会話しておりました。
(ああ、また犬バカだよ。。。と思われそうですが^。^;)

「ねえ、ぴーちゃん、今日は父の日だよ。知ってた?」(しらんだろ^^;)
「?」(ぴーちゃん、不思議そうな顔)
「あのねえ、パパにねえ、いつもありがとう!って言う日なんだよ。」
(ぴーちゃん、ここでおにいちゃんを覗きに行って振り返る)
「お!ぴーちゃん、おにいちゃんにありがとうするの?」(指を一本だす)
「ぺろりん(指をなめる)」(これはぴーちゃん語で「ハイ」の意味)
「それじゃあ、何かプレゼントする?」
「ぺろりん(うん)」
「なんにしようか~?」
(ぴーちゃん、ここでおやつの袋を見あげる)
「うーん、それはお兄ちゃんは食べないかなあ~」
(次にちょっと考え、自分のリードかけに走っていって、振り返る)
「おお~、リードは駄目だけど(笑)お散歩の時に使えるものにしようか?」
(ぴーちゃん、駆け寄ってきて指をなめる)
「じゃあ、ぴーちゃんの貯金使っていいの?」
「ぺろりん(うん!)」
ぴーちゃんは病気やなんかの時のためのぴーちゃん貯金を持っていて小銭や五百円をいっぱい空き缶に貯めているのだ。そしてそれが自分のお金だとも知っている(笑)さらにお金でおやつやジュースが買えることも知っているのだ(笑)
ぴーちゃんは自販機に120円を入れてぽちっと押すのが好きなので、いつの間にかお金で物が買えることを覚えてしまったらしい。
なので、いつもだと缶を触ったら怒るのだけど、怒らずじーっと見ている。
と、言うわけでぴーちゃんから命を受け、買って来ました、プレゼント。
お散歩用のお洋服とサンダルのセットです。
綺麗にラッピングしてもらってぴーちゃんに見せると嬉しそうにしています。
じゃあ、渡しに行きますか~と言うとぴーちゃんは自ら抱っこされに来ます。
一緒にプレゼントを持ってお兄ちゃんの部屋へ。
お仕事中のお兄ちゃんに声をかけ、ぴーちゃんにプレゼントを持たせ
「今日は父の日です。ぴーちゃん貯金で買いました。いつもありがとう
と、渡させるとお兄ちゃんは満面の笑顔で大喜び!
「ぴーちゃん、ありがとう!!」と豪快になでなで(^^)
サンダルはもったいなくて外で履けないよ~と内履きにまでしてしまう始末
喜ぶおにいちゃんを見て、ぴーちゃんも大興奮!
嬉しいときにしかしない「喜びのダンス」をえんえんと踊りまくり、それを見てまたお兄ちゃんが喜ぶ。。といった具合。
なんて幸せな人たちなんだろうか、この二人(^^;)
世のお父さんも初めて子どもにプレゼントもらった時ってこのくらい嬉しいものなんでしょうねえ~。
そして子どももおなじように嬉しいんですね(^^)
わんこのぴーちゃんでさえこんなに嬉しいのですから。
(って、ぴーちゃんは犬の自覚まったくないけど^^;)
親子が(家族が)仲良く幸せってのは天国です。
愛し、愛される対象が近くにいるって事はなんて幸せなことでしょうか?
死という出来事に身体の毛は一週間で真っ白になり、精神的な呼吸困難から呼吸器の不治の病を負ってしまったぴーちゃん。一時期は死を覚悟したこともありました。
けれど愛って力は偉大です。今のぴーちゃんは毛もふさふさと生え変わり、このところあの真っ白になってしまった部分もうっすらと色がさしてきました。
きっとやっと心が「安心」できるところまできたのでしょう。
それもこれもぴーちゃんを愛してくれる存在があり、本当の愛を与えてくれるからです。
多分、ぴーちゃんの今日のありがとうはこころからのものだったに違いありません。
愛の心は動物も人も変わらない。そう思いました。
きっとぴーちゃんのそんな姿を天国にいる本当のパパも目を細めて安心して見守っていることでしょうね(^^)

そうそう、そのお兄ちゃんは依頼で絵を描いていましたが、深夜出来上がった絵の中にはしっかり天使が抱きしめるぴーちゃんの姿がありました
仲良きことはすばらしいかな。
愛です、愛(^^)

シアトル酋長の手紙

2007-06-14 | KOFUKU日記
ERATH BEATで朗読されていたシアトル酋長が大統領にあてた手紙です。
生命の輪の中に生きている皆さんへシェアします(^^)

父は空 母は大地
ワシントンの大酋長へ そして 未来に生きるすべての兄弟たちへ


はるかな空は 涙をぬぐい
きょうは 美しく晴れた。
あしたは 雪が大地をおおうだろう。
けれど わたしの言葉は
星のように変わらない。

ワシントンの大酋長が
土地を買いたいといってきた。

どうしたら
空が買えるというのだろう?
そして 大地を。
わたしには わからない。
風の匂いや 水のきらめきを
あなたはいったい
どうやって買おうというのだろう?

すべて この地上にあるものは
わたしたちにとって 神聖なもの。
松の葉の いっぽん いっぽん
岸辺の砂の ひとつぶ ひとつぶ
深い森を満たす霧や
草原になびく草の葉
葉かげで羽音をたてる
虫の一匹一匹にいたるまで
すべては 
わたしたちの 遠い記憶のなかで
神聖に輝くもの。

わたしの体に 血がかけめぐるように
木々のなかを 樹液が流れている。
わたしは この大地の一部で
大地は わたし自身なのだ。

香りたつ花は わたしたちの姉妹。
熊や 鹿や 大鷲は
わたしたちの兄弟。
岩山のけわしさも
草原のみずみずしさも
子馬の体のぬくもりも
すべて おなじひとつの家族のもの。

川を流れるまぶしい水は
ただの水ではない。
それは 祖父の
そのまた祖父たちの血。
小川のせせらぎは 祖母の
そのまた祖母たちの声。
湖の水面にゆれる ほのかな影は
わたしたちの 遠い思い出を語る。

川は わたしたちの兄弟。
渇きをいやし カヌーを選び
子どもたちに
惜しげもなく食べ物をあたえる。
だから 白い人よ
どうか あなたの兄弟にするように
川に やさしくしてほしい。

空気は すばらしいもの。
それは すべての生き物の命を支え
その命に 魂を吹き込む。
生まれたばかりのわたしに
はじめての息を
あたえてくれた風は
死んでゆくわたしの
最後の吐息を うけいれる風。

だから 白い人よ
どうか この大地と空気を
神聖なままに しておいてほしい。
草原の花々が甘く染めた
風の香りを かぐ場所として。

死んで 星々の間を歩くころになると
白い人は
自分が生まれた土地のことを
忘れてしまう。
けれど わたしたちは 死んだ後でも
この美しい土地のことを
決して忘れはしない。
わたしたちを生んでくれた 母なる大地を。

わたしが立っている この大地は
わたしの祖父や祖母たちの灰から
できている。 大地は
わたしたちの命によって 豊かなのだ。

それなのに 白い人は
母なる大地を 父なる空を
まるで 羊か 光るビーズ玉のように
売り買いしようとする。
大地を むさぼりつくし
後には 砂漠しか残さない。

白い人の町の景色は
わたしたちの目に痛い
白い人の町の音は わたしたちの耳に痛い

水面をかけぬける 風の音や
雨が洗い清めた 空の匂い
松の香りに染まった
やわらかい闇のほうが
どんなにか いいだろう。
ヨタカの さみしげな鳴き声や
夜の池のほとりの カエルのおしゃべりを
聞くことができなかったら
人生にはいったい
どんな意味があるというのだろう。

わたしには わからない。
白い人には なぜ
煙を吐いて走る 鉄の馬のほうが
バッファロウーよりも 大切なのか。
わたしたちの 命をつなぐために
その命をくれる バッファローよりも。

わたしには あなたがたの望むものが
わからない。

バッファローが
殺しつくされてしまったら 野生の馬が
すべて飼いならされてしまったら
いったい どうなってしまうのだろう?
聖なる森の奥深くまで
人間の匂いがたちこめたとき
いったい なにが起こるのだろう?

獣たちが いなかったら
人間は いったい何なのだろう?
獣たちが すべて消えてしまったら
深い魂のさみしさから
人間も死んでしまうだろう。

大地は わたしたちに
属しているのではない。
わたしたちが 大地に属しているのだ。

たおやかな丘の眺めが
電線で汚されるとき
藪は どうなるのだろう?
もう ない。
鷲は どこにいるだろう?
もう いない。
足の速い子馬と
狩りに別れを告げるのは
どんなにか つらいことだろう。
それは 命の喜びに満ちた
暮らしの終わり。
そして ただ 生きのびるためだけの
戦いがはじまる。
最後の赤き勇者が
荒野とともに消え去り
その記憶をとどめるものが
平原のうえを流れる
雲の影だけになったとき
岸辺は 残っているだろうか。
森は 繁っているだろうか。
わたしたちの魂の ひとかけらでも
まだ この土地に残っているだろうか。

ひとつだけ 確かなことは
どんな人間でも 赤い人も 白い人も
わけることはできない ということ。
わたしたちは結局
おなじひとつの兄弟なのだ。

わたしが 大地の一部であるように
あなたも またこの大地の一部なのだ。
大地が わたしたちにとって
かけがえのないように
あなたがたにとっても
かけがえのないものなのだ。

だから白い人よ わたしたちが
子どもたちに 伝えてきたように
あなたの子どもたちにも
伝えてほしい。
大地は わたしたちの母。
大地にふりかかることは すべて
わたしたち 大地の息子と娘たちにも
ふりかかるのだと。

あらゆるものが つながっている。
わたしたちが
この命の織物を織ったのではない。
わたしたちは そのなかの
一本の糸にすぎないのだ。

生まれたばかりの赤ん坊が
母親の胸の鼓動を したうように
わたしたちは この大地をしたっている
もし わたしたちが どうしても
ここを立ち去らなければ
ならないのだとしたら
どうか 白い人よ
わたしたちが 大切にしたように
この大地を 大切にしてほしい。
美しい大地の思い出を
受けとったときのままのの姿で
心に 刻みつけておいてほしい。
そして あなたの子どもの
そのまた 子どもたちのために
この大地を守りつづけ
わたしたちが愛したように
愛してほしい。 いつまでも。

どうか いつまでも。




「父は空 母は大地
 インディアンからの手紙
 FATHER SKY, MOTHER EARTH」
    寮 美千子 編・約
    パロル舎 刊より

きれいのちから

2007-06-13 | KOFUKU日記
以前「MUSA」というエンターテイメントミュージカルカフェをやっていました。
たくさんのオリジナルショーをやっていましたがその中でネイティヴアメリカンを題材にした「EARTH BEAT~大地の鼓動」と言うオリジナルショーがありました。
作・演出の自分が言うのもなんですが、ネイティヴの美しい言葉でつづられた詩の数々と音楽とミニミュージカルで構成された華やかではないけれど、心にしみるような善いショーでした。
そこに「ミミズのカーロ」という話が出てきます。
ショーの途中、俳優たちが楽屋のごみをどうしようか?ってトークを始めて、ドイツのゴミ箱が一個しかない小学校とそこで飼われていたミミズのカーロの話になります。
ゴミでいっぱいの学校のゴミ箱、なんど説明しても分別すらできない。
そんな時、先生がゴミのことを教えてくれる先生としてミミズのカーロを連れてくるのです。
カーロの入った水槽にいろんなごみを放り込むと土に戻せるごみはカーロが細かく噛み砕いて、土に混ぜこんで行きます。
けれど土に戻らないガラスや鉄などの「本当のごみ」はそのままどんどんと土の上に積もってゆく。それは今の地球の姿そのものだった、と言うわけです。
子どもたちはそれを見て本当のゴミはどういうものなのかを学びます。そして土の上に積もってゆく本当のゴミを減らそうと努力するのです。
おやつに持っていっていたジュースはガラス瓶や水筒に入れてもって行きます。
紙袋やビニールに入れていたお弁当も自然素材出でできたお弁当箱で。
そしてその学校からはゴミ箱が消えました。
ショーでカーロのくだりの最後、俳優たちは土には戻らないゴミをどうするか話し合います。そして自分たちらしくリサイクルしようと言うことになってゴミをその場で楽器にして即興演奏をします。
そして今あるすべての現代の発明がネイティヴたちの暮らしが文明となって私たちに美しさを教えてくれるのと同じように、私たちの暮らしも次の時代に「文明」として残りますようにと祈りを込めて歌うのです。
ショーの間、詩の朗読でも、歌でも、ミュージカルの中でも、テーマとなったネイティブたちの言葉が何度も繰り返されます。
「自然と私たちは兄弟。命という輪の中で生きている」と。
自然はすべて自分であって、自分もそれを創る一本の織り糸にすぎない、と。
先日使った後の排水が水を綺麗にすると言うエコ洗剤を買ってみました。
廃油や大豆などで作られた物で、使えばその排水が善玉菌を増やし、悪玉菌を退治して川や海の水を綺麗にするお手伝いができると言うものです。
ネイティヴたちは何かを決めるとき、先人の知恵とその霊魂たち、
自然霊たちの大いなる力を借りて、7代先の子孫たちにとって
その決断がすばらしく、善きものであるようにと考えたそうです。
難しいことや無理は何もする必要はないと思うけど、
自分ができることをやっていけばいいンじゃないかなって思います。
私はテレビは殆ど見ませんが、先日こんなCMを見ました。
タバコのCMで、ケータイ灰皿を持ちましょうってやつです。
「携帯と名のつくものを携帯せずにどうする?」
「マナーを携帯する人が増えている」美しいCMだと思いました。
自分の世界のなかから少しずつ「きれい」を見つけてみる。
それってすごいエコかもしれない。

「綺麗」は「力」になる。そう思いました。

今日の写真は夕焼けを一心に見つめるぴーちゃんの後姿です。
自然の美しさは小さな仲間たちの心をもぐっとつかんで離さないのでしょう。
いつまでも美しい夕焼けの見つめられる地球でありますように

オラクル

2007-06-12 | KOFUKU日記
「オラクル」とはご神託のことだそう。
私はドーリーン・バーチュー博士の「エンジェルカード」シリーズのファンで
自分でもいくつか持っていて、日々、このカードに助けられています。
これは新しく友人がプレゼントしてくれた「ユニコーンカード」
とても綺麗なカードです。
これらの善いところは、メッセージにネガティヴなものがないところかも。
とにかく覗いて笑顔になれるものはいいなあと思います。
ここに載ってるカードは「愛」のカード。
愛の波動が届いてみんなが幸せになれますように(^^)