KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

秋の夜長にもの思ふ・・・

2009-10-17 | KOFUKU日記
先週末から何かと忙しくて、ばたばたしていました。
今日は久々に一日ひとりで家に居ましたので、
洗濯したり、お料理したり、洋服を冬物に入れ替えたり。。。
そして、しばらくぶりに髪の毛を染めました。
オレンジ系のブラウンから、すこし落ち着いたロゼ系のブラウンに。
結構いい感じに染まって気分一新です~。
夜はクラフトをしたりしてすごしています。

さて、先週末から今週もいろんなことがありましたが、
秋ということもあってか、その出来事の中から自分に関連付けをして
色んな事を考えてみたり、過去を振り返って見たりします。
過去を振り返るといっても、未練あるものを覗くわけではなく、
今起こっていることと繋がることを思い返すのです。

しばらく前までは、人と自分ははっきりと違うものだ、
という認識で生きていました。
今は「はっきり違って、とっても同じ」という認識に変わりました。
自分を知ることは他人を知ること、という経験をしたからです。

私は人としゃべる時、自分の目で自分の顔を見ることは出来ませんが、
会話をしている時、目の前に居る人の中に
しゃべっている自分自身を見ることが出来ます。
相手の表情から、私に対する受け答えから。
そこには私のあり方が現れます。
目の前に居るのは「もう一人の私」です。
そして、紛れもない「誰か」なのです。

ふとそんなことを考える秋の夜長なのでした。

はぁ。。。秋ですねぇ~



手しごとの日(^^)

2009-10-11 | 夢の街手しごと工房
今日は言葉の教室の日でした。
言葉の教室といいつつ、私の教室は何でもやります(笑)
はっきり言えば言葉の教室と言う名の体験教室ですね(^^;)

さて、今日は芸術の秋なので「手しごと」の日にしました。
「手しごと」とはその名の通り、手を使ってする仕事、
縫い物や編み物など、生活を支えるお仕事のことですね。

今の世の中、機械化で自分が手を動かさずとも何でも手に入ります。
ご飯を食べるのも、服を作るのも、自分の働きは必要なくなって来ましたね。
けれど、一昔前まではこの「手仕事」なくしては人間の生活はありえなかったのです。

ご飯を食べるには自分で種を撒き、水を与え、手入れをし、
収穫、そして加工してやっとお腹の中に入れることが出来ました。
服を着るのにも、羊を飼い、綿花を植え、育て、毛刈りや綿摘みをし、
洗って、ほぐして、すいて、そして糸を紡ぎ、染めて、
それを織ったり、編んだり、織りあがったものを縫ったり、
そうやってやっと着る物は手に入りました。

手仕事をする中で、私たちは太陽や風や大いなる自然の力に助けられ、
植物や生き物たちからいのちを分けてもらうことで生きていることを知ります。
そして、同じように、私たちが、この働く手を通し、
物を作り、育て、植物や動物を支え、自分を守り、家族を守り、
そして何よりも自分ではない者の為に手助けできることを学びます。

このようにこの世にあるものはすべてこの手を通して学びますが、
特に手仕事はこの世のつながりを教えてくれる大事な学びです。
ですから私はこの手があることを感謝し、そして手仕事を愛しています。

と、いうことで今日は言葉を離れたところで手しごとのレッスンをしました。
手で作るものにはココロの在り方がまっすぐに現れます。
自分と向き合い、そして自分を愛してあげる良い機会にもなります(^^)

今日は写真にあるコースターを作りました。
これは手紡ぎした毛糸を平織りにしてコースターが作ってあります。

きょうの学びは「羊毛のしごと」
まずは毛糸を触ってもらい、その毛糸は「羊の毛」から出来ていることを学びました。
「フリースと呼ばれる毛刈りをしたばかりの数種類の羊毛を
順番に触ってもらって、いろいろな色や手触りがあること、
たくさんの羊の種類があって、たくさんの種類の羊毛があることを学びました。

次はフリースを一房、カーダーと言う道具を使って実際にほぐしてみました。
固まった房がふわっとした羊毛に変わる瞬間です。
それを今度はたくさんカーダーですいて、毛の流れを同じ向きにして
糸をつむぐための羊毛を丸めたロールを作りました。

次は実際に糸を紡ぎ車で紡ぐところを見てもらいました。
そうして単糸が二つより合わさって双糸になり、
一番最初の毛糸になることを学びました。

そこまでやって、今度は実践です。
お母さんと子どもと組になってもらって、力を合わせて仕事をします。
好きな色の羊毛の束を、少しずつ同じ量に分けて、
次はそれをそっとそっと千切れないように、長く長く伸ばして行きます。

伸ばしたら今度は端っこをお互いに持って同じ方向にねじります。
どんどんねじってこぶが出来るくらいねじったら、
端っこを合わせて二つ折りにし、片方が手を離すと~~~~~、
「ポン!くるっ!」
と、ねじった羊毛がより合わさって「毛糸」が生まれるのです。
これは一番原始的な毛糸の作り方です(^^)

そして頑張って全部の羊毛を糸にできたら、
今度は半分を縦に並べ、次は横糸を交互にはさんで行きます。
そうやって毛糸を織り上げ、端のふさを結んではさみでそろえれば
写真のような素敵なコースターが出来上がります。

こうやって今日は糸つくりから織りまでを体験しました。
みんな、一時間半を集中して頑張りました~。

出来上がった作品はどれも素敵でした。
みんな、とても嬉しそうに持って帰ってくれました。
手仕事の作品は生活の中で使ってこそ意味があります。
お家で使ってくれたら嬉しいなあ~(^^)

今日、レッスンをしながら、そして日々を振り返りながらですが感じたこと。
それは「支えあうこと」そして「分かち合うこと」
わたしたちは世界とそして人々と深く深く繋がっている。
そして助け合い、支えあい、ささげあいながら暮らしていること。
それが本当は当たり前であって、そしてとっても大事であること。
そして、感謝を持って暮らすことの大切さ。

大事なことを感じました。
善い学びの時間でした。
みなさま、どうもありがとう

やっと 

2009-10-09 | 相方さん(米澤観児氏について)
私は1月まで原宿でエンジェルシューレ夢の街と言う
アートスペースをやっていました。

この店の閉店は私たちの予期せぬもので、
事前の相談等はありませんでしたから、
とてもショッキングな事件でした。
会社清算での閉店でしたから、ご協力頂いていた方にも
いろいろな面で多大なご迷惑をおかけしたのです。
それは私だけならず、スタッフの胸に大きな苦痛としてのしかかり、
その気持ちは到底一言では言い表せません。
そして当然ながら今もその傷は癒えておりません。

店のオーナーはとても大事な友人でした。
そして、友人であることは私の中では今も変わらず、
出会いは人生において大きなものであったことも変わりません。
オーナーとして頑張ってくださったことも心から感謝をしております。

ただ親しく出会ったものだからこそ、気持ちを共有したものだからこそ
彼によって行われたことの数々は悲しい出来事だったし、
そうそう簡単に許容できるものではなかったのです。

けれど、その出来事も、一つの終焉を迎えたようです。
債権者となった一人の方から返金がありました、とご連絡を頂きました。

ほっとしました。
本当に良かった、と思いました。
久しぶりにふーっと息を深くした気がします。

もしかしたら、お金を返された方からすれば、
大きなお金が出て行ったと思われるかもしれません。
けれど、返ったお金はもともとその方たちのものです。
持ち主のところにお返しできて良かったです。

この清算の長い日々、間に立ってご尽力くださった
会社弁護士様やご関係者の皆々様に、
この場をお借りして、スタッフを代表し、
ココロより御礼申し上げたいと思います。
本当にお世話になりました。
ありがとうございました。

聞けば会社の弁護士様たちも私たちと同じように
オーナーと一向に連絡が取れず、ご苦労があったそうです。
そんな中、良くぞご尽力くださったと感謝申し上げたいです。
本当に感謝しております。

そして、この突然の日々、会社から突然支払いも協力も無いままに
会社の解体や後片付けをしてくださった大野さん、米澤さん。
お二人には本当にお世話になりました。
その後も二人が私を支えてくれて、今日をこうして生きています。

同じように突然無一文で放り出された私たちを助けてくれたたくさんの人たち。
今日まで本当にありがとうございました。
遠くから何度も足を運んで解体を手伝ってくれた大ちゃん。
店内の荷物のおき場所を提供してくれた祐美子さんファミリー。
最後まで大事にしてくれた原宿の大家さん。
三重や大阪からお店にお別れを言いに来てくれた
オードリー先生、愛ちゃん先生。
最後まで原宿に通ってくれたお母さん、子どもたち。
そして、原宿の灯を消してはいけないと
新しい場所を提供してくれた長谷川先生。
そして今も集ってくれる子どもたち。
まだまだ書き足らないたくさんの仲間たち。

もともと体が健康ではなく、精神的な重い症状も抱え、
実家もとても大変で家族からの手助けも得られず、
身よりも無く、通常の人よりも救いが少なかった私は、
それまでも何度も危機的なピンチがありました。
時には命すら危ないこともありました。

それを日本から外国まで、たくさんのタマシイの仲間たちが
お金や色々なことで私を助け支えてくれたのです。
親友のリッキー、真理ちゃんをはじめ、たくさんの仲間たち。
全く働けない私に大きなお金を貸してくださった方。

けれども原宿の店が任されることとなり、
やっと少しずつ皆にお返し出来るようになった矢先、
突然の閉店。
お金の返済も、当然のことながらできなくなってしまいました。

原宿お店の開店と伴い、また母が寝たきりになったこともあって
生活保護を受けていた実家の家族を正式に扶養することになりましたが
結局は安心を与えることも出来ず、突然仕送りも出来なくなり、
甥っ子は大好きだった学校を転校することになってしまいました。

相棒のぴーちゃんにもずいぶん苦労を掛けました。

けれども、同じように皆が支えてくれました。
愛の循環をして支えてくれました。
何も言わず、今日まで待っててくれました。

ありがとうございます。本当にありがとうございます。
みんなのおかげで今日を迎えられました。

こうした仲間たちに会社の債務返金の話をするたびに
「あんじゅのお金はどうなったの?」
と聞かれます。

私の現状は弁護士を立ててお話して頂いています。
お店に出した私のお金は返ってきません。
というか返す気持ちが無いそうです。
これまでも色々してやったし(^^;)
逆に返して欲しいくらいだ、と。
そんなコメントを頂いております。

けれど、それぞれの出て行ったお金には、
それぞれの理由があったと
オーナーさんが一番知っていると思うので
私は何も言うことはありません。

くしくもこの前お金の価値観について書きましたが、
オーナーさんがこれまで私たちとしてきたことを
「多くの人とたくさんのものを分かち合えた」
と思って愛の循環にしてくださる様にと祈ります。

債権者の皆様にご返金をなされたときに、
「本当にご迷惑をおかけしました。
いろいろありがとうございました」
と思いながら、入金してくださることを祈ります。

日々を思い返し、ご協力してくださった方のお顔を思い浮かべ、
いろんな人に助けられて今がある感謝をしてくださればと思います。

愛のあるお金が愛を生むように、
執着や偽りがあるお金は同じようなものを生み出すでしょう。
そうしてそれは、それを手放した人に大きくなって返るでしょう。
だから彼が温かな愛のあふれるお金を動かされるように祈ります。

私の方も早く解決して落ち着けばいいなと思っています。
そうしたらおわり。ゆっくり出来ますし。

私は当然だけど以前より年もとったし、色々な体の調子も合って
ずっとやれることも少なくなりました。
そして、これからもお金儲けにはご縁が無いと思います(笑)
私はそういうことにはむかないと思うからです。

だから、前よりもずっと時間がかかると思います。
けれども、ゆっくりですが、愛を示してくださった方、
少しでもお返しして行き、また自分の愛も
必要なところにめぐらせることが出来ればと思っています。
お待ちくださっている方、どうか待っててくださいね。
よろしくお願いいたします。

くしくも今、私はオーナーの自宅そばに仕事に行ってるのです。
そのうち道でばったりなんてこともあるでしょう。
きっとこれも何か意味あってここに来る事になったのでしょう。
ばったりと顔を合わせたその時、えがおで過ごせればいいなあ、
と思う今日この頃です。

とりあえず、ちょっとほっとしたワタシ
皆様に感謝のご報告いたします。

初出勤報告~私の中の価値観

2009-10-07 | KOFUKU日記
さてワタクシ、月曜日より仕事始めております~。
昨日、ご縁を頂いたお仕事場より初出勤から無事に帰還いたしました!
いや~、なんとか勤まってよかった良かった。
いえね、アタクシ、見た目より全然ひ弱っちい奴なんでございますです(^^;)

バイト先は原宿でお仕事をする半年ほど前まで、
少しの間お世話になったことがあるコールセンターさん。
雨の中の出勤、目の前に現れた懐かしい道、
きれいに舗装されて広くなっていました。
そして会社のビル。懐かしい面影は変わらずでしたが、
なんだか以前と違います。そう、ドアが豪華になっている~~。
インターホンで事務所に連絡し、開けられたドアの中は

うぉぉおおおぉおおおおおお!

すっごい豪華になって、きれいに近代的にリフォーム!
そしてコールブースも一新!一枚板とカーテンで区切られていた
アナログな面影は無く、すっかりきれいな個室に。。。。
そして、システムも一新!すべてコンピューター導入!
それはそれは素晴らしい環境になってたんです!

なってたんですが、、、、ですが、、、です、、、がぁ、、、、、

見た目とは裏腹に会社さんは不況のあおりをモロに受けておられました。
娯楽業界の中できらびやかな存在であったその会社さんも
昨年の世界的な不況のあおりを受けて内情は非常に厳しくなっていました。
遊びにお金を使える人が減ったってことなんですねー。
シミジミ。。。。

現在はその部署は社員さんが仕事の合間に回しててバイトさんは居ませんでした。
面接で聞いたら時給も以前よりぐっと下がってて、、(^^;)
今日は研修と言うことで一日居たんですが、
以前と比べてご注文やお問い合わせ自体が半分くらいに減っていて
正直、ボケーっとする暇がとってもとっても長かったです。。。。

システムや社屋が新しくなっていた分、前以上に快適で自由な
ノンビリ勤務で私には都合のいい現場であることは代わらず(^^)
しかあし!
現実問題、以前の半分くらいにしかお金にならないので
生活を支えるべきバイトに選ぶにしては厳しいところ、、、(--;)、
「世の中不況」おもむろに感じた一日でした。

でも、きっと会社さんとしては、余分な人間は雇うのも大変な時期、
こうしてひ弱な上にいろいろと自分の都合のある私を知りつつ
快くお話を聞いてくださり、ご自分たちも大変だったろうに
「大変だったねぇ、いつでも来れるときに来てくれればいいよ~(^^)」
と自由出勤の形で雇ってくださった事に深く感謝です。
お仕事もらえただけでもありがたい。
その気持ちが何よりありがたい。
しばらくは様子を見ながら、どうしてもそれだけでは無理ならば
バイト掛け持ちするさ~、と思った私でございました。

だって皆様、
義理と人情忘れたら、日本人じゃあござんせんわよ(^^)
人様のご縁や愛はお金には変えられないないですもんね。
お金はお金を得るための仕事で得ればいいのですもの。

いや、万年貧乏、迷惑掛け捲りのアタシが言っちゃいけないかもしれないけどさ。
そりゃあ、しょっちゅう何か仕事を決めるたびに
私の「金銭の価値観」なるものを問われる人ですし(^^;)

自分のお金の価値観、今回バイトに行ってみて再度確認いたしました(笑)
私の周りに居る方は、金銭的な感覚にしっかりとした意識を持っていらっしゃる方が多いです。
中途半端な人は居ない気がする。
お金というものに重きを置く人、正反対に居る人、はっきり分かれますね。

でも声を大にしていいたいのは、お金そのものに重きを置いている人はいないということでしょうか。
そのお金に意味を持って、それらのあり方を選んでおられます。
自分が使うお金に意味を持っているというのは素晴らしいことです。
私は私の周りに居る人のそういった意識をとても尊重しています。

皆、そういったすばらしい意識の中から私にアドバイスしてくれるのです。
でも、私もわたしなりの価値観を持っておりまして。
これから書くことはあくまでも私の中の価値観なんですけどねー。

やっぱしアタシは思うのですよ、
♪お金じゃないのよ、人生は~♪、とね(笑)
人生はこの世の関わりの中でどれだけ愛を知るか。分け合うか。
アタシにとってはそうなんですのよ。大事なことって言うのは。
それらはお金のなかにもあるんですよ。

確かにお金、大きいよねー。この世では。
お金がなきゃ出来ないことも一杯ある。
お金ありきって話もわからなくはない。

けどさ、君の持ってるそのお金、
そこに愛はあんのかい?(byあんちゃん)
愛の無い金に意味はあんのかい?(byあんじゅちゃん・笑)

だって愛のないお金は、使っちゃえばそれっきり。
影も形もなくなって失ってしまう。
世の中に渦巻いてるお金は大体がそう。
だから人はお金に執着してしまう。お金を集め手放さない。
失うことが怖いから。
失う怖さや持ってないという恐怖があっては循環も出来ない。

でも愛の宿ってるお金は、お金の姿が消えても、色んな場所で増え続ける。
わずかなお金でも愛を持って使ったお金は、使うと同時に愛を生む。
増えることはあっても減ることはない。失うという恐れも無い。
恐れの無いお金はいろんな人のところを巡って人を助ける。

もちろん、お金儲けることが悪いなんて全然思わない。
まっとうに儲けられる人はしっかり儲けて分け合えばいい。
ただ、私にとってそれが価格に「正当なものか」は大事。
そこに愛があるかがとっても大事。

私には理想があるのですよ。
「理想だよね~」って言われる理想だけど、
私の周りには努力してる人はたくさん居るし
その中で暮らしてる人も居る。
私もその仲間でありたい。

それは愛でお金を循環させること。本当の意味で経済が平等になること。
それは皆が助け合い、分け合うこと。
持ってるものは持たぬ人を助け、助けられた人はまた次を助ける。
そうしていけば、本当はこの世に貧困なんてなくなる。

きっとそれはお金だけではないと思う、物も気持ちもすべてだろうな。
だから私は愛にこだわる。
何かをするとき、本当に自分の真実からそれを行っているかこだわる。

私は心から愛を分かち合える人間になりたい。
与えるんではなく、喜んでささげられる人になりたい。
すべてを誰かと分け合える人になりたい。
それが私の金銭と言う価値観の根っこだとおもっています。

だから時給が安くても、価値の低いバイトとは思いません。
自分が何かをする時に安い値段をつけたとしても、
それが自分の価値を下げることだとは思いません。
ものの価値を下げるとは思いません。
私は自分をお金の単位で計られるのではなく、
愛の単位で価値を計られる様になったらと願います。

先日は大好きなアッシジの聖フランチェスコの記念日でした。
彼はお金という単位を手放し、愛の単位を重んじた方です。
そして世界はすべて愛の上に平等に作られているとして分かち合っておられました。
皆、ひとつの愛の中にいる、と。

てな事で、つくづくよい経験と感謝を頂く機会となった就職でしたー。
そして不況にあおられている皆様のご苦労を実感し、
ココロから皆様方に良い環境になります様にと祈らずに居られなかったです。
多くの方に周りの方からの愛の分かち合いがありますように。。。

さて、明日も頑張るぞ~!