ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

ちいさな、ちいさな、男の子の物語-じーじの旅・親子のスケッチ

2024年08月14日 | 「おとな」の親を考える

 2018年のブログです

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 道の駅のベンチに座って休憩をしていると、お父さんと手をつないだ3歳くらいの男の子がやってきました。

 男の子が棚のジュースを指さして、「これなーに?」と聞くと、お父さんは、「りんごジュースだよ」笑顔でと答えます。

 男の子が、となりを指さして、「これなーに?」と聞くと、お父さんは、」「オレンジジュースだよ」と普通の顔で答えます。

 男の子がさらにとなりを指さして、「これはなーに?」と聞くと、お父さんは、「あっちも面白いよ」といって、男の子の手をひいて向こうに行きます。

 少しして、同じ男の子が、こんどはお母さんとやってきて、「これなーに?」と聞きます。

 お母さんが、「これなんだと思う?」と優しく聞くと、男の子は、「わかんない」といいます。

 お母さんが、「初めてみるかな?」と聞くと、男の子は、「うーんと、このいろは、わいん!」といいます。

 お母さんが笑顔で、「ワイン!か、」と驚き、「ブドウと同じ色だものね、」というと、男の子は、「わいんじゃないの?パパがのむよ!」といいます。

 お母さんが、「そうだよね、ワインと同じ色だよね」といい、「同じ色なんだけど、これはブドウのジュースなんだよ」というと、男の子は、「そうか、ぶどうじゅーすか」といいます。

 お母さんが、「ブドウジュースはワインのお母さんなんだよ」というと、男の子は、「そうか、わいんのおかあさんか、ままみたいだね」とにっこりしていいます。

 なんとも、素敵なお母さんと、素直な子どものほほえましい会話でした。

 いい町です、東川。     (2018.8 記)

 

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ちいさな、ちいさな、女の子の物語-じーじの旅・親子のスケッチ

2024年08月13日 | 「おとな」の親を考える

 2018年のブログです

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 道の駅のベンチにすわっていると、近くの花壇に3歳くらいのちいさな女の子がやってきました。

 女の子は花壇のお花を眺めていましたが、やがて花壇に落ちているお花を見つけて、自分の髪の毛に飾りました。

 その姿はとてもかわいくて、3歳のちいさな女の子でも女子にはおしゃれ心があるんだなと感心させられます。

 と、そこにお父さんがやってきて、お花をとっちゃいけないぞ、といいます。

 女の子は、おちていたんだよ、といいます。

 さらに、お母さんがやってきて、お花をとっちゃだめよ、といいます。

 女の子は、やはり、おちていたんだよ、と話します。

 女の子は気のせいか、少しだけ哀しそう。

 こんな時、ここでお母さんが(あるいは、お父さんでもいいのですが)、まあきれいなお花、わたしもさがしてみようかしら、といって、一緒にお花をさがすと、女の子は喜んで、お母さんといっしょに、花壇に落ちているお花をもっと探すでしょう。

 お母さんがお花を見つけて、女の子の髪にさらに飾ってあげれば、女の子はもっともっとうれしいお顔になるかもしれません。

 ちいさな、ちいさな、女の子とお父さん、お母さんの様子を眺めていて、ほどよい親、のあり方を考えてしまうじーじでした。

(もっとも、昔、じーじがちいさな子どもたちの親だった頃も、そんな余裕はなかったですが…。反省の日々です)     (2018.7 記)

 

 

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子どもが親の背中を見て育つことができるような「おとな」の親に-じーじの旅・親子のスケッチ

2024年08月12日 | 「おとな」の親を考える

 2016年のブログです

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 今年も少し長めの夏休みを取らせていただいて北海道に行ってきました。 

 東川や旭川の森の中で涼んだり、散歩をしたり、キタキツネさんやエゾリスさんらとかくれんぼなどをしたりしていました。

 そんな中、道の駅で休憩をしているといろんな親子を見かけました。

 お金持ちそうだけど、親ごさんがキリキリしている親子、少し貧乏そうだけど、家族みなさんがニコニコしていていて幸せそうな親子。

 子どもにとってはどちらが幸せなのかなと、ふと考えます。

 あるいは、携帯で大声で話しながら片手で車を運転をしている親ごさん、障がい者用の駐車場に平気で車をとめる親ごさん。

 乗っている子どもさんたちは気のせいか、あまり幸せそうではありません。

 子どもが親の背中を見て育つことができるような「おとな」の親になりたいな、と思います。

 もっとも、じーじだって子育てでは失敗の連続でした。

 ずいぶん子どもたちには迷惑をかけてしまいました。

 それでもなんとか二人とも一人前になってくれたことに感謝をしています。

 「おとな」の親になることはけっこう難しいことなのかもしれません。      (2016.  8 記)


 

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子どもの意思,その本音と建前のせつない言葉にていねいにより添うことの大切さ-「おとな」の親になるために(再録)

2018年01月10日 | 「おとな」の親を考える

 たぶん2011年ころのブログです

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 夫婦の間で不幸にして離婚の話が出てしまい, 子どもさんの親権などで揉めてしまったような時に,「子どもの意思を尊重する」という親ごさんがいらっしゃいます。

 一見,ものわかりのよい,子どものことを考えている,とても立派な親ごさんのように見えます。

 しかし,これは親ごさんの無責任の裏返しだと思うのです。

 親ごさんの都合で離婚をしようというのに,子どもに親権者を選ばせるというのは非常に残酷なことです。

 子どもの本音は,どちらかに虐待や暴力でもないかぎり,お父さんもお母さんも大好きで,できれば別れないでほしい,というのが大多数だと思うからです。

 子どもの意思を尊重する,というのなら,離婚をしてもいいかどうか,というところから「子どもの意思を尊重」しなければならないと思います。

 また,「子どもの意思」は,一応,刑法では14歳からその有責性が問われ,民法では15歳から一定の権利が認められていますが,私の経験では,それくらいの年齢でも,自分の選択をあとになってから悩む例を多く見ます。

 おとなが自分の選択で悩むのは仕方ありませんし,そうやって少しずつ本当の「おとな」になっていくのだと思いますが,子どもが親のせいで悩むのは酷なことです。

 できれば,親ごさんがその責任をきちんと負わなければならないと思います。

 そして,その場合,親権をもらうことだけでなく,親権を譲ることも含めて,子どもの幸せを考える責任があると思います。

 仮に,親権を譲っても,面会交流で子どもとの関わりあいは十分に可能です。

 いつも一緒にいることだけが親ごさんの愛情とは限りません。

 子どもに責任を負わせずに,真に「子どもの意思」や「気持ち」を尊重できる「おとな」,そういう「おとな」の親ごさんが大切になると思います。  (2011?記)

 

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離婚の話し合いに長く立ち会ってきて-父母それぞれの良さを認めることの大切さ-「おとな」の親になるために

2017年12月01日 | 「おとな」の親を考える

 たぶん2011年ころのブログです

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 長い間,家庭裁判所の離婚調停に立ち会ってきました。

 いろいろなケースがあり,いろいろなことを考えさせられました。

 その中で一番印象に残っていること。それは,人はどうして争いたがるのか,ということです。

 もう少しで仲直りができそうだというのに,そこでまた,どっちが親として立派なのかと,再び争ってしまう,そんな親ごさんたちをいっぱい見てきました。

 子どもさんたちにとっては,どちらも,いいお父さん,お母さん,なんだけどなあ,と思います。

 そもそも,お父さんとお母さん,どっちがいい親かなんて,誰が決められるのでしょうか?

 お父さんにはお父さんなりのよさがあり,お母さんにはお母さんなりのよさがあって,子どもさんたちにとってはどちらも大切な親ごさんで,上も下も,一位も二位もなくて,両方が必要だと思うのです。

 そして,だからこそ,子どもさんたちには離婚後もお父さんとお母さんの協力が必要になりますし,別れて暮らすことになる親ごさんとの面会交流が大切になります。

 ですから,今からでも,できるだけ早くに競争や争いはやめて,すぐにでもご両親が可能なご協力をして,子どもさんたちの面倒をできるだけ協力をして見ていくことが大切になると思います。

 子どもさんたちは,きっと,ご両親のご協力と仲直りを心から望んでいると思いますし,少なくとも子どもさんたちの前では笑顔の楽しそうなご両親の姿を楽しみにしていると思います。

 子どもさんたちのためにも,もっと「おとな」の親ごさん,そして,本当の「おとな」になりたいものだ,と思います。     (2011?記)

 

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