ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

河合俊雄・田中康裕編『大人の発達障害の見立てと心理療法』2013・創元社-ユング派の発達障碍の理解に学ぶ

2024年12月20日 | ユング心理学に学ぶ

 2018年のブログです

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 河合俊雄さんと田中康裕さんが編集をした『大人の発達障害の見立てと心理療法』(2013・創元社)を読みました。

 なかなか難しい本でしたが、かなり刺激的な本で、勉強になりました。

 お二人ともユング派の分析家ですが、ユング心理学だけにこだわらずに、精神分析や心理療法全般にも目配りがなされており、バランスのいい本です。

 発達障碍、と聞くと、空気を読めない、とか、自己流とか、マイペース、とかいったイメージが湧いてきますが、河合さんは、それらよりも、主体のなさや主体の未成立がその本質ではないか、という仮説を持っていらっしゃいます。

 主体が未成立だからこそ、状況に関係なく、刺激に流されてしまい、状況と関われないのではないか、とおっしゃっているように思います(間違っていないと思うのですが…)。

 したがって、主体を確立することが大切なことになるようです。

 そして、分離、発生、誕生などといった言葉や概念がキーワードになるといいます。

 そのうえで、発達障碍の人の心理療法においては、まず、周りとのずれの気づきが重要で、それも内省としてではなく、具体的なことがらからを通しての気づきや実感が重要になるようであり、そういう点で従来の心理療法と少し違う工夫が大切にだろうといいます。

 主体のなさの例証として、風景構成法という心理テストで、普通は10歳くらいの子どもに見られる、川が立つ、という描き方が、発達障碍の人では遅くに出現するという現象が挙げられていて、とても示唆的でした。

 いずれまた、近いうちに再読をして、さらに深く読み込んでいきたいなと思う本でした。           (2018. 10記)

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 2019年11月の追記です   

 発達障碍のかたは、悪気がないだけに、とても傷ついている人が多いと思います。

 まずはその怒りやうらみの受けとめが大切になりそうです。

 そのうえで、周囲とのずれの明確化や直面化を一緒に考えていくことになるのでしょうか。          (2019. 11記)

 

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ジェイ・ルービン『村上春樹と私-日本の文学と文化に心を奪われた理由』2016・東洋経済新報社-村上さんを翻訳する(?)

2024年12月20日 | 随筆を読む

 2019年のブログです 

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 ジェイ・ルービンさんの『村上春樹と私-日本の文学と文化に心を奪われた理由』(2016・東洋経済新報社)を読みました。

 ルービンさんはハーバード大学の名誉教授、村上さんの『ノルウェイの森』や『ねじまき鳥クロニクル』などの翻訳で知られます。

 そのルービンさんの、村上さんとの出会いから最近の交流までを描いたエッセイです。

 面白いです。

 いろんな村上さんらしい逸話が出てきて、飽きません。

 例えば、ルービンさんのクラスで村上さんの『パン屋再襲撃』を取り上げた際、ルービンさんが、海底火山は何の象徴か?と学生にきくと、ゲストで来ていた村上さんが、火山は象徴ではない、ただの火山だ、あなたがたはお腹がすくと火山が思い浮かびませんか?僕は浮かぶんです、空腹だったから、と述べる場面が出てきて、象徴よりも物語を大切にする村上さんを描きます。

 また、村上さんが、夏目漱石の作品の中で『坑夫』が一番好きなこと、そして、『海辺のカフカ』の中で、カフカくんが、『坑夫』は何を書いたのかわからないという部分が不思議にこころに残る、と話す場面を挙げて、村上さんがやはり物語を大切にしていることを述べられていて、そういう村上さんを信頼している姿が印象的です。

 村上さんの小説の英訳についても、細かいことよりも、英文で読んで面白いかどうかを重視するという村上さんの姿勢に、同じようなものが感じられます。

 他にも、ルービンさんの『三四郎』の翻訳にまつわる村上さんとのできことや芥川龍之介の翻訳にまつわる村上さんとのエピソードなど、興味深い逸話が紹介されています。

 村上さんのエッセイと同じくらい、村上さんの世界が楽しめるいい本だと思います。         (2019.3 記)

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 2023年10月の追記です

 ルービンさんの挙げたカフカくんの言葉が気になって、その箇所を読んでみました。

 カフカくんが大島さんという青年と『坑夫』について話していて、この小説には体験からの教訓などが書かれていないことを挙げて、この小説はいったい何を言いたいんだろうって、でもなんていうのかな、そういう、なにを言いたいのかわからない、という部分が、不思議にこころに残るんだ、うまく説明できないけど、と述べています。

 また、次のところでは、彼にとって、自分で判断したとか選択したとか、そういうことってほとんどなにもないんです、なんていうのかな、すごく受け身です、でも僕は思うんだけど、人間というのはじっさいには、そんなに簡単に自分の力でものごとを選択したりできないんじゃないかな、とも述べています。

 不思議さを大切にして、人間の力には謙虚であるという村上ワールドが全開ですね。       (2023.10 記)

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 2024年12月の追記です

 じーじは、努力をすれば、夢は必ずかなう、という言葉が嫌いです(?)。

 他にもそう言っている方がいらっしゃいますし、じーじもそんな趣旨のブログを書いたことがあります。

 漱石さんの『坑夫』の主人公のように、夢に向かわない人生も拙いとは思うけれど、夢の向かいすぎるのも拙いような気がします。

 夢多き若者にはまことに申しわけないとは思いますが、人生、どんなに努力をしても、夢がかなわないことのほうが多いのではないかなあ、と考えています。

 しかし、夢は大切だと思いますし、それに向かっての努力も大切だ、と思っています。

 大事なことは、夢がかなわなかった時に、どうするかではないのかな、と思うのです。

 夢に固執してしまうのか、新たな夢に向かえるのか、そこが大きなポイントのような気がします。

 夢に押しつぶされずに、自由に頑張ってほしいと思います。        (2024.12 記)

 

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